第3話   交渉相手ベネット

 カーのヤツ、逃げてしまったぞ。普通の動物だからか、大人の大声に弱くて肝心なときにいない。


 何かの資材置き場らしき家屋の陰に隠れた。少し遠くで、どこだ探せー! と大規模に捜索されている気配がビリビリと伝わってくる。


 てっきり二人しか見張りがいないのだと思いこんでいたが、とんだ誤算だった。あの森は手入れが不十分だから……それだけが兵士を並べている理由ではなかったのだろう。


 それこそ、森から出てくる不審者は徹底して捕獲するように、鼠一匹のがすことは許されない……それぐらい厳しい命令でもなければ、こんなに大勢で取り逃しに固執する理由がわからない。


 ……これもまた、私が理由だったりするんだろうか。森から悪い魔女が脱走しないように、見張っていろ、とか言われていたのだろうか。


 ん? なんだなんだ、なんで腕にロープがかかってるんだ??? ちょ、今、ギュッて締まったぞ! 腕が動かせない!!


 何が起こったのかわからないんだが、捕まってしまった……。


 「ああよかったぁ、上手くいったよ」


 やたら高い、男の声がした。私の背後から、枯れた雑草を踏みしめる足音が、近づいてくる。足音が軽めに聞こえるが、重装備はしていないんだろうか。だとしたら、兵士ではないのか?


 自分を縛るような相手に振り返るのも億劫だが、不躾に接近してくる相手にこのままの体勢でいるのは良くない。


 走り続けて疲れたせいもあり、ゆっくりした動きで振り向いた。


 ……今まで出会ったことのない、変わり者が立っていた。長さはあるが薄手で動きやすいフード付きマントを身に付けた、明るいオレンジ色のうねる髪の青年が立っていた。……フードに三角の尖り耳っぽいデザインがあるのだが、まさかフードの下から猫のような耳が生えているのではないだろうな。そんな人間は見た事がないぞ。


 子供の頃に拾った、街に一軒しかないガラス工房の付近に落ちていたビー玉の、あの綺麗だった空の色を思い出す両目は、ころっと大きくて、あの時のビー玉はどこへやってしまったのかと、とても寂しくなった。たぶん、兄の小屋のタンスかどこかの引き出しにしまって、そのまま今日、燃えカスになってしまったんだろう、たぶん……。


「僕の顔見て、そんなに寂しそうな表情に変わった人、初めて見た…… 。まあ、その、いきなり縛られちゃ気分悪いよね。ほんの少しで終わるから、僕からの大事な話、聞いてくれるかな」


 胸元と襟と袖にフリルが付いている……。足の付け根が見えそうな黒の短パンからは、銀色のチェーンでぶら下げた小さな鞄が。大きさ的に実用性があるように見えず、たぶん、オシャレで付けているんだろう。


 話を聞けだぁ? いきなり人のことを縛っておいて、何をふざけたことを。


「嫌だと言ったら?」


「あー……んっとー……抵抗したら、縄を強めるからね」


 なんだ、今の間は。たった今考えて、口に出したようだな。


 別の足音も近づいてきたんだが、おそらく鎧の兵士だろう。こいつが物陰から外に立っているせいで、見つかってしまったようだ。私は縛られているし、どうしたものやら。


「ん? なんだか周りが騒がしいね。君が走ってたから話しにくいな~って思ってロープで捕まえたんだけど、ひょっとして、うちの兵に追われてた系?」


「森から出ただけで、娼婦扱いされて追われていた。お前のとこの使用人ならば、もっとしっかり躾けておけ」


「ふぅん、お手柄だって褒めてあげないとね。彼らは職務に忠実だっただけなんだから」


 ヤツは駆け寄ってきた兵の前に立ちふさがった。ちょうど私のいる位置が、角度的に誰からも見られない位置だったのは偶然か。


「ベネット様!? お疲れ様です。ご偵察ですか!?」


「うん、まあ、散歩」


「そうですか。現在我々はいにしえの魔女の逃走を目撃し、捕獲のため任務を遂行中であります」


「へえ、どうして魔女だってわかったの?」


「女子供一人で森を出入りできる者など、魔女以外の何者でもありません! さらに肩には鴉を載せて会話し、その髪色も濡れ鴉のごとき漆黒! ここいらでは見かけない髪色です。魔女に違いありません!」


 鴉がペットで髪色が黒ければ、森を歩くだけで魔女だと認識されるのか。そういう趣向が流行りだしたら、誤認逮捕者が多発するのだろうか。


「ベネット様、そのような特徴の女をお見掛けしてはいないでしょうか!」


「ごめんねぇ、僕ついさっきここに来たばかりで、まだ誰とも会ってないんだ」


「そうですか。では、目撃した際にはすぐに我々に報告くださいませ。それでは、失礼いたします!」


 唾が飛ぶようなしゃべり方だな。魔女を逃しただけで、そこまでの緊急性を帯びるのだろうか。


 遠ざかる足音。そして、ゆっくりと近づいてくるベネットとやら。


「しっかり追われちゃってるね~。もっと危機感を持たないと。イマドキは魔法使えるってだけで、犯罪者扱いなんだから」


「家を焼いた。無罪ではない」


「……自分から認めないほうがいいよ。不利になる情報なんて、知らない相手に渡すことないからね」


 ……え?


 そんなことを指摘されるとは、思わなかった。私は生きてるだけで悪人扱いだ、黙っていようがしゃべろうが、何も変わらないと思っていた。


「僕はベネット。君に用事があったけど、お話できないくらい逃げ回ってたから捕まえちゃった。ああ、これ以上の怖い事はしないと約束するよ。ここの領主のラファエルが魔女を欲しがっているから、面接だけ受けに来てほしいな」


「面接……?」


「うん、そう。さらに僕は優しいから、カンニングさせてあげる。君はラファエルの質問に、全部好意的に答えて。さもないと、国の危険因子だと判断されて殺される。君はもう、僕らに従うしか生きる道は残されていないんだよ」


 めちゃくちゃなことを言われている。


「よし、理解できたって顔してるね。僕もうれしい。それじゃあ、行こうか」


「行くってどこへだ? 私にはこれから向かうところがあるのだが」


「それは遠いところ?」


「とても遠い」


「僕らに殺されてでも行きたいところなの?」


 ……どうだろうな、自分でもわからなくなっている。「そうだ」と即答してあっさり殺されては、復讐の旅に出た意味がなくなってしまうしな。


 なんと答えたら良いものか。


「……。私は危険因子かもしれないし、人からよく思われない性分なのも理解している。殺してくれたって構わない。だがその前に、どうしても遂げたいことがある。それさえやらせてくれたら、私の事は好きにしていい」


「わかった。この地一帯を治める公爵閣下の友人として、君の言葉を信じるよ。まあ、僕が彼に意見できるほど強い立場じゃないのは、了承しててよね」


 味方なのか、それとも冷血漢なのか、どっちとも取れない話し方をするヤツだ。私をラファエルとやらのもとに連れて行きたいようだが、そんなことをして得をする者がいるのか、物好きなことだ。


「それじゃあ、僕と取引しようね。今日中に面接だけでも受けること。それで合格したら、僕の魔法でお目当ての場所に、移動させてあげる。僕は他の魔法はからっきし使えないんだけど、どこか遠くへ旅する魔法だけは、誰にも負けないよ」


 ヤツはふらりとした足取りで歩き出したと思ったら、ふっと跡形もなく消えた。


 そして唐突に目の前に現れた。


「ほらね。あ、ロープだけ移動させて君を捕まえたのも、この魔法の応用だよ。兎を捕まえる用に練習したんだ」


 無邪気に八重歯を見せながら、数歩後ずさって私と距離を戻した。


 瞬時にどこかへ移動したり、捕らえたり……なかなかに厄介な魔法だ。だが、これで私が長距離を歩かなくても、よくなる、だと……? それはなかなかに抗いがたい提案だ。兄の手紙に記されていた住所は、国二つ越えた先。結婚式までは、まだ日付に余裕はあるけれど、悠長に歩いていたら到底間に合わない。だから私は、定期的に走って距離を縮めなければいけなかった。それがどんなに無謀で大変なことか、わかっていないわけじゃない。でも……どうしても、あの男の体にウエディングケーキをぶちまけてやりたいのだ。


 この提案、乗ってみるか。


 ん……? そう言えば、目の前にいるこいつは、なんなんだ? いろんなことが起きすぎて、今目の前にいる青年の存在に疑問を抱くのを忘れていた。


 私以外の魔法使いを目の前にしたのは初めてだ。体を斜めにして立っている姿が、薄っぺらく幼い体格を強調してしまっている。背丈は私と同じくらいだが、ずいぶんと年下に見えた。


「それじゃ、行こうか。ラファエルの屋敷に」


「ああ、好きにしろ」


 先に面接だけして、合格とやらをもらい、その後に兄のもとへ移動して、ウエディングケーキを横倒して、その後は……今のところ、なんの予定もないな。


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