第2話 魔女、森を出る
今まで戦ってばかりいた、そのせいか私が怒りっぽいとか、すぐに癇癪を起こすとか、街での評判はますます悪化の一途をたどっているのを、襲ってくる人間どもが口にする捨て台詞で知った。
ふん、勝手に思っていろ。
実際の私は、気分がふさいだら部屋にこもったり、ベッドにボスンと横になってふて寝する。雨が降りそうな気配を察したら、そのまま一日小屋で過ごす。いろいろな野菜をハーブとオリーブ油に漬けて保存食を作ったり、ナッツが欲しくて畑に木の実を植えてみたり、刺繍などの裁縫をして過ごしている。
殺されかかったり、兄からのひどい手紙みたいに、よっぽどのことがなきゃ怒髪天は
「カア」
肩に使い魔の鴉が下りてきた。自分から使い魔になりたいと立候補してきた変わりモノの、元野生動物だ。名前は何が良いかと訊いたら、「カア」と言われたので、そのままカーと呼んでいる。
しばらく黙々と森を歩いていたら、冷静になってきて、数多の疑問も沸いてきた。なぜ兄はあんな遠くまで出稼ぎに、なぜ兄は恋人ができたことを私に伏せていた、なぜ兄は今まで音信不通だったのか、なぜ兄は結婚を私に黙っていた、なぜ兄は、なぜ兄は、なぜ兄は。
……ここで疑問に思っていても、答えをくれる人物は誰もいない。考えていても、無駄な話題だと、わかってはいる。頭では、わかってはいる、けど、勝手にもやもやと胸に不満が溜まってゆくのだ。
涙も出てきて、長い袖でぬぐいながら、歩みだけは止めないようにと自分に鞭打った。森の中でうずくまって泣いているだなんて、あまりにも自分が惨めだから。
……カーは難しいことはわからないしな、話し相手には向かない。それでも孤独よりは肩にいてくれたほうがマシだけど、こういうとき励ましてくれる誰かが、となりを歩いていてくれたらなぁ。
思えば、兄が出稼ぎに出てから五年間、ずっと一人暮らしだった。人付き合いの煩わしさは一切なかったけれど、日常のちょっとした出来事を報告できる相手も、風邪を引いて熱が出た私を心配してくれる人も、誰もいなくて心細かった。でも街の人間には頼れない。街で起きる偶然の事故や不運を、全て私に関連付ける人間どもに、頼るなんて出来るわけがないだろう。
兄の手がかりを、何でもいいから手に入れたかった。それで、ほんの少し探し物の魔法に手を加えた。使い魔のカーにその魔法を三回ほど重ねがけして、カーを信じて空へと送り出した。
そしたら、あの手紙を黒い嘴に挟んで、私のもとに戻ってきた。
フラれたとか、裏切られたとか、そんな感情が泉のように沸き出てきて、自分では止められない。けど、あの手紙を読まなければ良かったとは思わない。もしもアレを読まなければ、危うく十年ほど森の中で引きこもっているところだった。きっと産まれた兄の子は、七歳くらいになっているだろう。そうなったらもう、自分が消費した十年間の空白なんて、どうしようもならない。
そもそも私は兄に、本当の気持ちを伝えてない。兄は魔法が使えなかったけれど、それでも怖がらず私を妹として受け入れてくれて、家族にしてくれて、独りではできないことを手伝ってくれた日々は、私にとっての宝物だ。
今の私に再会したら、兄はどんな顔するだろう。いい顔はしないだろうな、すでにとっても大切な人がいるんだし、そのことを私に教えてくれなかったし、そもそも五年も家に戻ってこなかったし。
……ああ、腹が立ってきた。怒りと悔しさの中に、辛いって感情が顔を出し、それがどんどん胸を占めていった。震える涙腺から涙が出てきて、あっという間に、拭いきれない悲しみに変わった。
この森から出たことは、一度もなかった。兄と暮らしてきた家を放棄するなんてできなかったし、私がどこかへ移動している隙に、兄とすれ違ったら嫌だから。今日こそ帰ってきてくれると、毎日信じ続けて、もう五年になってしまった。
待ちくたびれたんだからな。
これから私がする事は、全部兄のせいで起きる悲劇なんだからな。
まだ具体的にどんな復讐をしようか、考えてないけど。とりあえず結婚式のケーキを、魔法を使って横倒しにして、兄も下敷きにしてしまおう。
何もかも、台無しにしてやる! さぞ思い出に残る素敵な日になるだろうな!
と、心の中で高笑いしてみせるも、その笑い声はいつまでも続かなかった。独りで強がってみせてもすぐに陰りが見えてしまう。
……ああ、この道の景色は初めて見る。森から出たことがないのだから、特に行く用事のない森の端っこ方面には、長らく住んでいても縁がなかった。今日ここを抜けるのは、兄のいる住居の方角であるとカーが嘴を向けて示しているから、その通りに真っ直ぐ歩いているだけだ。
初めて、独りで森を抜ける。生えている植物にこれといった変わり種は見当たらない。街からこの森へ歩いて移動したときは、この道ではなくて反対側の道を通って来た。あれ以来、街には一度も足を踏み入れていないから、今あの雑踏がどうなっているのか全くわからないし、興味もない。未練もなかった。
「カー!」
カーが合図のつもりか一声上げた頃、背の高い樹木の密度がなりをひそめて、景色が一気に開けた。
皮肉に思うぐらい、まったりした農村地が広がっていた。魔女なんておとぎ話の世界で、魔法なんて子供騙しな嘘で、そう思い込んでいるごく普通の人間たちが、毎日の営みを繰り返している、そんな光景。
きっと彼らにすら怒りが向くようになったら、私は本当に悪い魔女になってしまうんだろう。普通の毎日を一生懸命生きている人間にとっては、いきなり田畑を焼いて、自分たちにも火の玉を飛ばしてくる女なんて、敵以外の何者でもない。
……みんなと仲良くしたかったな。どうして私は、悪い魔女だと思われてしまうんだろう。正当防衛と生活の補助以外で、魔法を使用したことはないのに。
……。
早く通り過ぎよう。仲の良さそうな家族がしゃべっている姿を、遠目から見るだけでも辛くなってきた。
もう私には、縁のある人間なんて一人もいない。これからも、ずっとそうなのだろうか。誰とも話が通じ合わないまま、ずっと独りで――
「止まれ! 聞こえないのか! 止まれと言っている!」
ん? 誰か何か言ったか?
うつむきがちだった自分に気がついたのは、意識して顔を上げたからだった。いつの間にか前方に、槍を持った甲冑姿の兵士がいるのだが?
ちょっと待て。このままスタスタと突っ込んでいったら、刺されかねんじゃないか。カーのヤツめ、肝心なときに合図しないんだから。
言われたとおり立ち止まってやったら、二人がかりで周囲をぐるぐると、頭から足先まで観察された。
「女一人だけか? 連れはどこにいる」
「肩に載っているだろう」
「その鳥のことを言っているのか? 正気か」
どうやら人間以外は連れとみなされないらしい。
「この森は手入れが間に合わんから立ち入りが禁止されているんだ。知らないのか」
「私はここに住んでいた」
「はあ!? ここの見回りをして何年も経つが、女一人が徒歩で出てきたのは初めて遭遇するぞ! 怪しい奴め、名前はなんと言う! どこから来た!」
「私はヒューリ。森から来た」
聞かれたことを答えただけなのに、高圧的な口調で「嘘をつくな!」と怒鳴られ、小突かれた。どうしろと言うのだ。
兵士はとにかく怪しい人間を捕らえて連行したいようだ。ボロボロの服装を指摘され、娼婦だとも疑われた。これは兄と幼少期の頃の自分の服を裂いて、リメイクした結果なんだが、ボロボロと言われてショックだった。
服装含めて、私の見た目は明らかに普通ではないらしい。困ったぞ、私はこれから兄のもとへ急がねばならないのに。一日と無駄にせず足を動かして、遠い結婚式場に到着していないと、楽しい挙式が終わってから数日した頃に、私が到着する羽目になってしまうではないか。
怪しむ兵士に納得してもらうためには、質問にあれこれと言い返したり、言い訳したり……そうしたかった。ろくに誰とも会話をしてこなかったせいもあり、言葉が出にくくなってしまった気がする。
あの、その、と言い淀むばかりで、途切れる事なく飛んでくる質問に全然間に合わない。
「カア!」
今鳴くのか。立ち止まっているのはしょうがないだろ、文句を言うんじゃない。カーは目の前の事情が読み込めないようで、しきりに嘴の先を進行方向めがけて差し示している。ちょっと可愛い。
「私は怪しい者ではない。質問への問答は、歩きながらで良いだろうか。このままだと相棒のカーが大騒ぎしそうだ」
ダメ元で頼んでみたが、無駄だった。槍の先端を向けられ、どこぞへついて来いと指示された時点で、もう逃げようと思い至って実行してしまった。
「止まれ女ー! どこへ行くんだー!」
「我々の質問にほとんど答えていないじゃないか! 怪しいヤツめー!」
あんな重そうな鎧を腹にぶら下げておいて、よく走れるものだな。ここで自衛のために魔法を放つという選択肢もあるが、万が一軌道が外れたら、あの農園に火の玉が飛んでいってしまって、私の評判が指名手配モノにまで悪化してしまうのではないかと血の気が引き、とにかく逃げる一式だと焦った。上手く撒ければいいのだが。
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