ブリジットの誘い

「……そう、ですか」


 マリエットからもたらされた王国使節団のことを伝えると、アビゲイル皇女は憎悪に満ちた表情を見せる。

 僕をしいたげてきた、王国への怒りで。


「そのような不名誉な称号、是非ともお断りしたいのですが……それは難しいですね」

「ええ……」


 エドワード王は、おそらく王国からの使節団を受け入れるだろう。

 それは、王国の目的である『アイリスの紋章』の授与についても。


「ですが、僕はこれを絶好の機会ととらえています。王国を恥辱にまみれさせ、破滅への序章へと導くための」

「それは……」


 顔をうかがうアビゲイル皇女に、僕はゆっくりと説明した。


 王国使節団の護衛を務めるのは、騎士団長のフィリップ率いる王宮騎士団。

 フィリップという男は自尊心の塊で、己の能力を信じて疑わない。


 まあ、実際にフィリップの実力は王国内でも五本の指に入るから、増長してしまうのも無理はないところだけど。

 だからこそ、僕があおれば簡単に掌で転がすことができる。


「……つまり、フィリップを激高させ、皇国と王国で剣術試合に持ち込もうと思います」

「そ、それは……」


 アビゲイル皇女は何か言おうと手を伸ばそうとして、そのまま引っ込める。

 もう、僕がその気であることが分かったんだろう。


「ご安心ください。あなたと婚約する前、一度だけフィリップと立ち合ったことがありますが、今の僕の足元にも及びません、万に一つも、僕が負けることはないでしょう」


 これは、決して誇張じゃない。

 サイラス将軍の厳しい指導のおかげで、僕の実力はあの時と比べて桁が違う。

 そもそも、一度目の人生・・・・・・の最後の時の僕の実力で、フィリップを上回っていたのだから。


「他にも、王宮騎士団の副団長を務めるバラケという男の剣の腕前は、フィリップよりもさらに数段落ちます。いずれにせよ、連中は大恥をかいて、王国に尻尾を巻いて逃げ帰ることになるでしょう」

「ハア……」


 僕の説明を聞いても不安がぬぐえないのか、アビゲイル皇女は溜息を吐き、こめかみを押さえてかぶりを振る。


「お止めしてもあなた様が譲らないことは分かっておりますが……どうか、怪我だけはなさらないでくださいね?」

「もちろんです。あんな連中ごときにかすり傷一つ負うだけで、僕の名誉がけがされてしまいます」


 何より、僕の婚約者であるアビゲイル皇女の名誉が。

 それだけは、絶対に受け入れられない。


「もう……」


 口を尖らせて目で抗議するアビゲイル皇女に、僕は思わず苦笑した。


 ◇


「じゃあ、行ってくるよ」

「はい! 頑張ってください!」


 マリエットに見送られ、今日も朝から訓練場へ向かおうとして。


「あれは……」

「ギュスターヴ殿下!」


 通路の陰から現れたのは、二人の侍女を連れたブリジット。

 僕の姿を見るなり、笑顔で駆け寄ってきた。


「ひょっとして、これから剣術の訓練ですか?」

「え、ええ……」


 顔をのぞき込んで尋ねるブリジットに、僕は若干戸惑いつつ答える。

 それにしても……ここでこの女に会ったのは、偶然じゃないだろう。


 昨日まで、僕が訓練場に向かう時は、一度もブリジットに出くわしたことはない。

 一応、ブリジットの動向を監視させているマリエットの報告では、あの洗礼祭以降、毎日貴族達と面会をするか、夫人達を招いてお茶会を開いているか、そのどちらかだった。


 なら、この女の目的は、洗礼祭と先日の会食における、エドワード王との接触についてということでいいだろう。

 むしろ、ここまで接触してこなかったことのほうが不思議だったからね。


「私も最近は本当に忙しくて、なかなかお時間を取ることができなかったのですが、今日の午前中は久しぶりに予定が空きましたの」

「はあ……」

「その……よろしければ、お茶でもご一緒しませんか?」


 さて……どうしたものか。

 付き合ってもいいが、罠である可能性が高い。


 ブリジットにとって、この状況を招いた僕は邪魔な存在だろうからね。

 ただ、真実・・を手にするためには、この女に近づかなければならないことも事実。それに、その真実・・こそが最終的に切り札となり得るのだから。


 なら。


「お誘いいただき、ありがとうございます。是非ともご一緒させてください」

「まあ! 嬉しいですわ!」


 パアア、と咲き誇るような笑顔を見せ、ブリジットがはしゃぐ。

 この女の本性を知らない者からすれば、これだけで間違いなく騙されるだろう。実際、多くの貴族や民衆がそうなのだから。


 ということで、僕はブリジットに皇宮内にある、温室のテラスへと案内された。

 季節を問わず一年中花が咲き乱れるここだが、今日は汗ばむ陽気だから少し熱い。


「どうぞ」


 ブリジットの侍女が、気を利かしてよく冷えたお茶を差し出してくれた。

 思わず手を伸ばしそうになるが、何が仕込まれているか分からないため、僕はお礼を述べるに留める。


「うふふ……ひょっとして、でも入っていると思われています?」

「っ!?」


 不意を突いたブリジットの言葉に、僕は思わず息を呑みそうになるが、何とか踏みとどまって平静を装った。


「ご安心ください。これはただのお茶ですわ」

「あ……」


 僕のグラスを手に取り、ブリジットがお茶を口に含む。


「ね?」

「は、はあ……」


 ……ここまでされては、飲まないというわけにはいかない。

 仕方なく僕は、ブリジットからグラスを受け取ってお茶を飲んだ。


「ふう……美味しいです」

「それはよかったです」


 にこやかに微笑むブリジット。

 ますます、この女の目的が分からない。


「ね……ギュスターヴ殿下」


 ブリジットはエメラルドの瞳を潤ませ、テーブルに乗せる僕の手に自身の手を添えると。


「今からでも、お姉様ではなくて、その……私と一緒になってはいただけませんか……?」

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