ギロチン皇女の最後、僕の最後

「さて……婚約式まで、あと三か月か……」


 アビゲイル皇女との婚約発表パーティーを終え、部屋に戻ってきた僕は深く息を吐く。

 聖女は僕が、アビゲイル皇女……『ギロチン皇女』の婚約者となったことをこの世の不幸であるかのように言っていたけど、そんなことはない。


 本当のアビゲイル皇女は優しさに溢れ、敵国の王子……つまり、ていのいい人質以下の存在でしかない僕に、ずっと心を尽くしてくれた。


 ヴァルロワ王国に対して恨みを持つストラスクライド皇国の者から、いつ暗殺されるのかと怯えていた僕に。

 味方などこの世界のどこにもいないと……いや、あの女・・・しか味方がいないのだと勘違いし、自暴自棄になってふてくれされていた僕に。

 あの女・・・に裏切られた挙げ句、断頭台の枷にはめられ、死の恐怖に震えていた僕に。


 僕は……最後の・・・最後・・で、そのことを知った。


 ◇


「アハハハハ! 本当に、お前は馬鹿な奴だ!」


 皇宮になだれ込んだヴァルロワ兵に捕らえられ、地面に這いつくばる僕を見て腹を抱えてわらう第二王子のルイ。

 逆に僕は、一体何が起こったのか理解できず、困惑したままだった。


 だって王国は、この僕を救い出すために皇国に攻め入ったのだから。

 そのために、たった一人僕のことを気にかけてくれた、聖女セシルの指示に従って皇都にヴァルロワ兵を招き入れたのだから。


「まだ事態が飲み込めていないようだから、教えてやるよ。お前は、僕達王国に利用されていたんだ」

「り、利用……って……」

「決まっているだろう? お前を『ギロチン皇女』の結婚相手として送り込んだのは、この時のためなのだから」


 それからルイは、それはもう嬉々として語ってくれた。

 もちろん僕が皇国に差し出されたのは、不義の子である第六王子の命がどうなろうと知ったことではないというのもあるけど、万が一王配として認められたら、皇国打倒のために使い捨ての駒として活用してやろうと。


「だ、だけど、僕がヴァルロワ兵を皇宮に引き入れるようにと調整を重ねていたのは、正確には王国ではなく、その……」

「分かっているじゃないか。お前をこき使おうって言ったのは、聖女だよ」

「っ!?」


 本当は、こうなった時点で心のどこかで理解していた。

 僕が、聖女に……あの女に騙され、利用されていたのだということを。


 ただ、たった一人だけ寄り添ってくれた彼女の優しさまでもが、全て偽りだったなんて受け入れることができないだけ。


「あは……あはは……っ」

「アハハハハ! 見ろ! このギュスターブの姿、まるで惨めな芋虫みたいじゃないか!」


 床に頬をこすりつけ、涙をこぼして乾いた笑みを浮かべる僕を、ルイが指差して大笑いしている。

 涙でにじんだ僕の視界の端には、信じていたあの聖女の姿があった。


「まあ、お前は分不相応にも、あの『ギロチン皇女』と運命を共にできるのだから、よかったじゃないか」

「フフ……女神リアンノンのご加護がありますように」


 寄り添い合う二人が何か言っているようだけど、僕の耳には届かない。

 ルイの指示を受けた兵士に引きずられ、皇宮の中庭に連行されると。


「あはは、あは…………………………あ」

「…………………………」


 乱れた金色こんじきの髪と、まるで血の色を表しているかのような真紅の瞳で僕を見つめる、一人の女性。

 僕の形式だけ・・・・の妻であり、ストラスクライド皇国の『ギロチン皇女』、アビゲイルが枷をはめられ、たたずんでいた。


 ストラスクライド皇国に来てからの三年間、この女はいつだって冷たい視線を向けてくる。

 まるで僕の心を見透かしているかのように……憐れな僕を見て、ほくそ笑んでいるかのように。


「フン……」


 僕は笑うのをやめ、鼻を鳴らして顔を背けた。

 アビゲイル皇女が気に入らないから……というより、こんな事態を招いた張本人としての後ろめたさで。


 なのに。


「……ギュスターブ殿下、お怪我はありませんか?」

「っ!? ば、馬鹿じゃないのか!?」


 彼女の言葉に、僕は思わずカッとなって叫ぶ。

 僕達はこれから処刑されるっていうのに、怪我だのなんだの、しかも全ての張本人である僕にかける言葉じゃないだろ!


「大体、お前だって聞いているだろ! こうなったのは、全部僕のせいだってことを!」

「はい、承知しております。シャルル国王や兄弟達によって皇国に捨てられ、長年虐げられてきた善良なあなた様を騙し利用した上に、最後の最後までこのような目に遭わせた、あのくずどものせいであることを」

「あ……」


 皇国に来てからの三年間で初めて見た、アビゲイル皇女の怒りと憎しみに満ちた表情。

 それも……この僕のためを思って。


「ど……どうしてだよ! 僕はこんな真似をしたんだ! お前だって……お前だって、僕のせいで死ぬんだぞ! もっと僕を恨めよ! その歪んだ顔を、僕に向けろよ!」

「……いいえ、あなた様は何も・・悪く・・ありません・・・・・。それはこの私が、一番よく知っています。それより……あなた様を三年もの間苦しめてしまったこと、このような場ではありますが謝罪をさせてください」


 ルイや聖女に見せていた怒りの表情から一変し、いつものアビゲイル皇女の顔に戻って頭を下げる。

 抑揚のない、まるで仮面を被っているかのような無表情に。


「……結局」

「…………………………」

「結局僕は、お前が……いや、あなたが分からないよ。僕のことを、まるで空気でも見るかのような視線を向けるくせに、あの連中には怒りを見せて」


 気づけば僕は、ポツリ、と呟いていた。

 アイツ等にはあんなに感情をむき出しにしておきながら、僕には初めて会った時から一切感情を見せない。


 怒りも、憎しみも、喜びも、悲しみも、何もかも。


 すると。


「そう、ですよね……どうして私は、普通の人なら当たり前のことができないのでしょう……」

「アビゲイル……殿下……?」


 表情は相変わらず変化がないものの、その真紅の瞳が少し潤んでいる。

 ひょっとして……これは、彼女の涙……?


「ぐ……っ」

「っ!? アビゲイル殿下!?」


 兵士が強引に、アビゲイル皇女を断頭台の枷に固定した。


「待て! まだ……まだ僕達の話は……っ!?」

「黙れ!」


 彼女を止めようとした僕を、別の兵士が押さえつける。

 必死に身じろぎをするけれど、身動きができない。


「ギュスターブ殿下」

「っ! アビゲイル殿下!」


 今まさに命を散らすというのに、表情を変えずに僕を見つめるアビゲイル皇女。

 僕は彼女の瞳から、目が離せなかった。


 だって……確かに彼女は、涙をこぼしていたから。


「ずっと……おした――」


 ――ダンッッッ!


「あ……」


 最後の言葉を言い終える前に、空しくも黒光りの分厚い刃が、彼女の……アビゲイル皇女の白く細い首を断ち切ってしまった。


 処刑台の上に転がる、アビゲイル皇女の首。

 その表情は、先程まで見ていた無表情でも、ルイと聖女に向けた怒りと憎しみの表情でもなく、ただ……不器用に、微笑んでいた……っ。


「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!」


 僕は狂おしいほどの声で叫ぶ。

 初めて……初めて彼女が、僕に微笑んでくれたのにッッッ!


 それを、愚かな僕のせいで終わらせてしまったんだ……っ!


「フフフフフ! 何を悲しむ必要があるのですか! これから、すぐに会えるというのに!」


 嘲笑あざわらう聖女の言葉が合図となって、今度は僕が断頭台の枷に固定され、兵士がロープを切るために斧を振り上げる。

 こんな結果を招いた僕は、間違いなく黄泉の国で、アビゲイル皇女の罰を受けるだろう。


 だけど、願わくば。


「フフフフフ! ……ハア、これでお別れだなんて、本当に寂しいです。お人好しで愚かな道化師さん」


 ――ここにいる全ての者も、絶望と苦しみを。

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