第6話 廃墟ホテルの怪人



 オレンジ色に暮れなずむ空。それを背負った校舎。

 夕焼け空が、廊下の窓向こうへ、美しく広がっていた。


 校内放送で、放課後のチャイムが鳴り響く。

 生徒たちは席を立ち、思い思いに教室を後にして行った。

 友達と一緒に帰る者。所属している部活動へ向かう者。行き先は人それぞれだ。


 通学鞄つうがくかばんを手にげ、ケイは廊下ろうかを歩いていた。

 ふと、背後から肩を叩かれたため、振り返る。

 すると、見知ったピアスの少年が立っていた。


「おーっす、雨宮あまみや


「あ。どーも、先輩」


 微笑みかけてくる峰御みねおトウゴへ、ケイは挨拶した。

 トウゴはケイの隣を歩き始める。

 向かっている方角が同じであることを、ケイは不思議に思った。


「あれ。たしか今日は先輩、サッカー部の助っ人に入るって、言ってましたよね? そっちはやめて、オカ研に顔出すことにしたんですか?」


「ああ……仕方なくな」


 トウゴは苦々しい表情で認めた。


「雨宮のところにも、吉見からダイレクトメッセージきてるだろ? 見せたいものがあるから、放課後は速攻で部室に集合しろって、急に言ってきやがった。なんでも緊急案件らしいじゃねえか」


「言ってましたね。部長のテンション高すぎでした」


「こういう時は、大抵たいていロクなことじゃねえんだが……まあ、部長に呼び出されちまったら、行くしかねえだろ」


 乗り気でない様子のトウゴと歩いていると、廊下の向こう側から、こちらに歩いてくる坊主ぼうず頭の集団と出会った。いずれも、白いユニフォームを泥で汚した、野球部の生徒たちだ。


 坊主頭の1人がトウゴに気付き、すれ違い様に声をかけてきた。


「よお、トウゴ! 来週の西高にしこうとの試合、また助っ人すけっとしてくれるんだって? 今度もよろしくな!」


「任せとけって。西高の奴等なんざ、この俺が軽くひねってやらあ!」


「だろうな。頼りにしてるぜ!」


 そでをまくって力こぶを見せつけるトウゴに、野球部員たちは喜んでいた。

 通り過ぎていく野球部員たちを見送り、そのやり取りをそばから見ていたケイは、なんとなく思ったことを言った。


「先輩って、あちこちの運動部から助っ人を頼まれてますよね」


「ああ? まあな」


「スポーツ推薦すいせんの話も上がるくらい、運動神経抜群なのに……。なんで運動部に入らないで、オカ研やってんですか?」


「ああ~ん? なんだあ、雨宮。お前が俺にそれを言うのかよ」


「?」


 トウゴは奇妙な言い回しで答える。

 その意図について、ケイはよくわからなかった。


「もしかして、雨宮は俺にオカ研を抜けることをすすめてんのか?」


「いやいや。そうじゃないですよ。最低でも3人は部員がいないと、部活動認定にんていしてもらえないですし。先輩がいないと、オカ研がなくなっちゃいますから。助かってはいますけど、なんか才能がもったいないって言うか」


「かぁ~。他人様たにんさまのことに気遣きづかいが多いよなあ、雨宮は。まあ、気持ちはありがてえけどよ。俺にも色々と事情があんだよ」


「事情ですか」


「おうよ」


 話しているうちに、2人は部室の前にたどり着いてた。


 そこは――教材室きょうざいしつ


 オカ研の部室として割り当てられた、ようするに小さな物置ものおき部屋である。

 学園祭で使用する立て看板や、体育祭のプラカードなど、使用頻度しようひんどの低い品々が棚に押し込められている、狭苦せまくるしい部屋だ。ただ、オカ研は部員が3名しかおらず、少人数のため、ケイとしては言うほど手狭てぜまには感じていない。


 引き戸を開けると、その向こうにはすでに、仁王立におうだちの吉見サキが待ち構えていた。


「遅い! 遅すぎるわ、あなたたち!」


 2人の顔を見るなり、サキは詰め寄って言ってきた。


「放課後は速攻で部室に集まれって言ったでしょ! 私が速攻って言ったらダッシュ! 走ってきなさい!」


「いきなりパワハラだな……」


「パワーでハラスメントしたくもなるわよ! 昨日の晩から、あなたたちにコレを見せたいと思って、ずーっと今まで我慢してたんだからね!」


 言いながら、サキはハンディカムを手にしている。

 それは、先日の廃墟ホテル撮影の時に、定点カメラとして使用したものだ。

 ケイとトウゴは、即座に察してしまった。


「やっぱり、定点カメラの映像に、なにか入ってたんですね」


「ヤベえもんが映ってる予感はしてたんだが……ガチかよ」


「ヤバいなんて言葉じゃ、言い足りないくらいにすごいの撮れてるの! とにかく、そこへ座って! これから上映会するわよ!」


 サキは2人の背中を押して、用意してあった椅子へ座らせる。

 机の上には、サキの私物のモバイルPCが置かれていた。サキが動画編集に使っているものである。すでに動画プレイヤーが起動されており、再生ボタンを押すだけの状態にまで準備されていた。

 

 ふと、ケイのポケットの中で、スマートフォンが震えていた。

 どうやらアデルが、「私にも見せてください」と、無言で訴えているようだ。ケイは嘆息を漏らした。ズボンのポケットからアデルを取り出すと、胸ポケットへ移す。アデルの目であるカメラレンズを、PC画面の方に向けてやった。


 サキはマウスを操作し、再生ボタンを押した。


「まずは、編集前のなまの映像を見てちょうだいよ」


 映像は、ハンディカムの夜間撮影機能で撮影されているため、赤外線視である。

 全体的に緑色に染まった画面だった。


 画面中央には、地下大浴場で、暗闇1人検証を始めたばかりの、トウゴの姿が映っている。

 キョロキョロと落ち着きなく周囲を見渡し、「何にも見えねえぞ」と呟いている声が入っていた。

 みっともない自分の姿が映し出され、気恥ずかしさを感じたのか、トウゴは軽く咳払いする。


 問題のシーンまで、サキは動画を早送りした。


 画面に映ったトウゴの動きが止まる。

 何かに気付いたようで、耳を澄ませて周囲の様子を確認している様子である。

 やがてハンディカムのマイクが――――鼻歌のような音声を拾い始める。


「これって……男の声ですか?」


「だから言っただろ?! 男の鼻歌が聞こえたんだって!」


 トウゴの空耳などではなかった。

 鼻歌は徐々に鮮明に聞こえてくる。なんの歌なのかは見当もつかない。


 それと共に、マイクは足音も拾っている。大浴場へ続く階段を、誰かが降りてきているような音だ。足音と鼻歌はどんどん大きくなり、恐怖に駆られたトウゴは懐中電灯を点けて、たまらず画面外へ逃げ出した。


「先輩が逃げましたね」


「見事な逃げっぷりよね」


「仕方ねえだろ! 怖すぎだっつの、こんなの!」


「シッ! 静かに! 問題はここからよ!」


 トウゴがいなくなってしばらく――――“知らない男“が画面に映る。

 ちょうど、トウゴが立っていた場所あたりで立ち止まった。


 中肉中背。ネクタイにスーツといった格好を見るに、おそらくは会社員だろうか。

 その異様さは、見てすぐにわかった。


「…………なんだ、コイツ……?」


「……懐中電灯を持ってないですよ。明かりも持たずに、あの廃墟の暗闇を歩いてきた……?」


「少なくとも、身なりの良さからして、この廃墟に住んでる浮浪者とかじゃなさそうよね」


 男は手ぶらだった。

 手荷物どころか、光源となるものさえ何も持っていない。

 その場に立ち止まり、だらりと垂れた両肩を、ゆらゆらと左右に揺すっているだけである。 不気味な鼻歌を歌いながら、ニタニタと笑い。そのままずっと、その場に立ち尽くしている。


 サキが動画を早送りするが、男はずっとその場に立ったままニヤけているだけである。


「うえええ……! キモいキモい。マジでキモい。なにしてんだよ、こいつ!」


 本気で嫌悪している様子のトウゴが、青ざめた表情で画面を注視ちゅうしし続けている。

 サキも同意する。


「まるでなにかに取りかれてるみたいな……気色悪い、謎の行動……としか言えないわよね」


 やがて男は、フラリとその場を離れる。

 画面外に去って行き、また鼻歌と足音を響かせ、廃墟を去って行った。

 どうやら定点カメラの存在には気付かず、その場を後にした様子である。


 サキはそこで、動画を止めた。


「……感想は?」


 ケイとトウゴは、言葉に詰まった。

 見てはいけない。関わってはいけないものを見た気がしていた。


「殺人事件の遺体処理が行われた現場へ、明かりも点けずにやって来て、何時間もニヤけて突っ立っているだけですか……まともじゃないです」


「キモいとしか、言い様がねえよ……。こいつ、本当に生きてる人間なんだろうな? 冗談じゃなく何かに呪われてね?」


「呪われてるって言われても、私は信じちゃうわね」


 なぜだかサキは、嬉しそうにそう言う。

 腕を組んで、自慢するように語った。


「こういう映像を求めて、オカ研は活動をしてきたわけよ。プラス思考で考えれば、この映像が撮れたのって大成功よね」


「良かったですね、部長。過去1番の撮れ高じゃないですか。これをニューチューブへアップしたら、かなりの再生数になりそうです。一気にチャンネル登録者数が増えそうですよ」


「おお! じゃあ晴れて俺たちのチャンネル、収益化しゅうえきかができるのか!? 広告料金で、左ウチワな生活できるのか!?」


らぬたぬき皮算用かわざんようですが、もしかしたらワンチャンありますね」


「やったな! 吉見よしみ! お前も有名ニューチューバーになる夢が叶いそうじゃねえかよ!」


「――――甘いわよ、あなたたち」


「え?」 「はあ?」


 サキの意外な言葉に、ケイとトウゴは怪訝けげんな顔をする。

 言い聞かせるように、サキは2人へ説明した。


「この動画をネットにアップすれば、たしかにそれなりの再生数が見込めるでしょうよ。けれど、そこまで。単発たんぱつネタで終わっちゃうわ」


「なにが言いてえのか……よくわかんねえぞ」


「もしも私が視聴者なら、この動画を見た後に、もっと突っ込んだことが知りたくなるわ。それこそが、視聴者が真に求めているものだと思うのよね」


 サキは不敵な笑みを浮かべた。


「――――この男の“正体”を突き止めるのよ」


 それを聞いたトウゴは、心底から嫌そうに顔をしかめた。

 一方のケイは、感心した表情である。


「今のところ、この男については、廃墟に来て奇行きこうをする謎の変態紳士へんたいしんしということしか、わかってないでしょ。視聴者的には、こいつがどこの誰で、何をしていたのか、すごく気になると思うのよ。もちろんこの国では、変態にもプライバシーがあるから、個人を特定できる情報をネット公開するのはまずいわ。ただその辺は、うまいこと編集して面白くできると思うのよね」


「そうきましたか……」


「マジ言ってんのかよ……」


 トウゴは頭を抱えてしまう。

 構わず、サキは鼻息を荒くして力説りきせつした。


「とりあえず。この動画は、一時的にアップロードをひかえるわ。まずは、この男の正体に迫るドキュメンタリーを作成するのよ。そんで、それができたところで何編なんぺんかに分けた動画投稿するの。そうしたら、これを単発ネタで終わらせずに済むでしょ」


 サキは頭上を指さし、胸を張って宣言した。


「次なるオカ研のチャレンジは、題して“廃墟ホテルの怪人の謎に迫れ”よ!」


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