第5話 姿無き幼なじみ


 電線に止まった小鳥たちが、さえずり始めている。

 住宅街に、いつもと同じ平穏な朝が訪れた。


 閉めたカーテンの隙間から、朝陽が差し込んできている。

 寝間着姿のケイは、まだ温かいベッドの中で眠り続けていた。

 起きる時間になると、枕元のスマートフォンがアラーム音を奏でた。


『――――お兄ちゃん、起きて! 朝だよ!』


 それは、正確にはアラーム“声”である。 

 少女の甘ったるい声色で、枕元のスマートフォンは、ケイを起こそうと喋り続ける。


『んもう。お寝坊さんなんだから。そんなふうにいつまでもお布団に潜ってると~、妹がイタズラしちゃうんだぞ~!』


 耳元で喋られ続け、徐々にケイの意識が覚醒に向かっていく。

 ゆっくりと瞼を開けると、ぼやけた天井が見えてきた。


『おに~~ちゃん☆』


 異変に気付き、ケイは慌てて上体を起こした。

 ベッドの上で、しばらくボンヤリとした後、傍らのスマートフォンを見下ろす。


「……」


 苦虫を噛んだような、渋い表情のケイ。

 そんなケイに、スマートフォンが語りかけてきた。


『――――おはようございます』


 機械合成の音声。

 甘ったるい口調をやめたスマートフォンは、普段通り、女の合成音で挨拶をしてきた。何事もなかったように話しかけてくる相手に、ケイは尋ねた。


「今日の目覚ましアラーム音は……なんだったんだ、アデル」


『フフフ。よくぞ、それをたずねてくれました!』


 アデルと呼ばれた、ケイのスマートフォンは、嬉々ききとして語り出した。


『先日はケイが撮影の日で、相手をしてくれなくて暇だったもので。インターネットの動画サイトを見て回っていました。すると、男性が元気になる動画というものを見つけたのです。私には性別がないので、理屈の部分は理解不能だったのですが、男性は妹に兄扱いされるのが嬉しいそうですね。たしかケイは男性。さぞや活力が溢れる朝になると思ったのです』


「ならんわい……」


 あきれたケイは、うんざりした表情で頭を抱えた。


「このヘンテコ花は……。またネットの変な知識に毒されたのか。あのな。スマホ通信で、あんまり動画サイトを見るなって言ってるだろ。先月も、馬の出産が気になるとか言って、関連動画見まくったよな。おかげで、すごい通信料金を請求されたんだからな」


『おかげで私は、馬の出産に詳しくなりましたよ?』


「だからなんだよ、ドヤっと言うな! ケツから子馬をひり出すサムネばっかり、オススメ動画一覧に出てくるオレの気持ちにもなれよ!」


『う~ん。もしかして、今日の起こし方はお気にしませんでしたか?』


「まあ……。気をつかってくれたことはわかったよ。ありがとう」


『やはり私は、人の気持ちがわかる優秀な人工知能AIのようですね』


「調子に乗るな。次は普通のアラーム音で起こせ」


 ケイは指先で、スマートフォンの画面天辺てっぺん部分から生え出た、小さな赤い花を小突こづいた。するとアデルが、不服そうに言う。


『突かないでください。私がくきから折れたらどうするんですか』


「そんなんで折れたことないだろ。お前って、華奢きゃしゃな見た目のわりに意外と頑丈がんじょうで、ポケットに入れても平気な花だし」


『ポケットの中は嫌いです。私のことは、なるべく光の当たるところに置いてください』


 アデルの本体は――――機械に根ざした“赤い花”である。


 スマートフォンに標準インストールされてる、製品人工知能AIなどではない。

 当人いわく、自身は赤花に宿った高度な知性体であり、スマートフォンのマイクとスピーカーを媒介にすることで、ケイとコミュニケーションを取っているのだと言う。昔から、非常に博識はくしきで頼もしい相棒ではあるのだが……好奇心が旺盛おうせいすぎて、こうして困らせられることもあるのだった。


 その正体は“不明”だ。


 そもそも、当のアデル本人も、自分の正体についてよくわかっていないのだから、詮索のしようもない。ケイにとってアデルは、小さい頃から一緒にいる存在のため、互いにいることが当たり前になっていて、もはや気にもしていないのが実情である。


 寝間着から着替えたケイは、学校の制服に着替える。


 通学鞄を拾って、2階の自室から下の階へ降りていった。

 居間に来ると、ちゃぶ台に置かれた、味噌汁の良いにおいがした。

 ケイがやって起きてきたことに気が付き、エプロン姿の白髪老人が声をかけてきた。


「おお、ケイ。朝飯ができとるぞい」


「ありがとう、じいちゃん」


 ケイの祖父。雨宮ゲンゾウは、ちゃぶ台の上に、朝食を盛った皿を並べているところだった。

 ご飯に味噌汁。そして焼き鮭。ケイが好きな、祖父の朝食メニューだ。

 ケイは食卓にスマートフォンを置くと、畳の上であぐらを掻き、朝食にありつく。


『おはようございます、ゲンゾウ。私の分の朝食はないのですか?』


「ははは。お前さんに食べる口があるなら、用意してやるさ」


 アデルの自虐的じぎゃくてきな冗談に、ゲンゾウは喜ぶ。

 そして卓上たくじょうのアデルをまじまじと見やり、改めて感心して言った。 


「しっかし、最近の機械はすごいもんだわい。詳しい仕組みはサッパリ知らんが、このジンコーチノーとかいうのは、本当によくできとる。毎朝、こうして人間のように冗談も言ってくるときた。まるでワシとケイ以外の、3人目の家族がいるみたいじゃないか。ん? いや、人間じゃないから、ペットみたいなもんか?」


『今、インターネットで調べてみました。ペットとは、人間よりも社会的地位が下の、愛玩動物あいがんどうぶつを意味する呼び名のようでした。なら、私はペットよりも格上になるべく、待遇の改善を要求します』


「はははは。悪かった。じゃあ、アデルはやっぱり家族ってことでどうだ?」


『わかれば良いのです』


「だから調子に乗るなよ、ヘンテコ花……」


 食事を終えると、ケイは「ごちそうさま」をして家を出る。


 学校までの道のりは、電車で2駅である。今朝は少し早く出られたため、走らなくても電車に間に合いそうだった。快晴の朝陽に照らされた、見慣れた住宅街。なんの変哲もない景色が、見ていると嬉しく感じられた。


『それにしても、先日の撮影で起きたハプニングは興味深かったですね』


 ふと、ズボンのポケットに入っているアデルが、話しかけてきた。

 近所の人が周囲にいないことを確認してから、ケイはアデルを取り出して返事をする。


「ああ。危なかったな……。今になってよく考えてみれば、あの廃墟に住んでたホームレスだったのかもしれない。まさか、不審者と遭遇しかけるとは思わなかった」


『危なかったのは、トウゴとサキだけでした。あの場にはケイがいたのですから、私は、特に危険な状況であったとは考えていませんでしたが』


「……」


 アデルの他意たいない発言に、ケイは一瞬だけ、黙り込んでしまう。

 だが気を取り直し、同意した。


「まあ……たしかにオレだけ、だったならな。あの時は先輩たちがいたんだ。撤退が、正解だったさ」


適切てきせつな判断だったと考えます』


 ケイを肯定してから、アデルは話を続けた。


『後日、無事に定点カメラを回収できて良かったですね。不審者に気付かれて、盗まれている可能性もありました。カメラが残っていたのだから、映像も残っているわけで、果たして不審者の姿を捉えることに成功しているのか。私は、その結果に興味があります』


「部長、大喜びだったな。怪我けが功名こうみょうとか言ってたっけ。不審者が映っていたなら、そいつが何をしていたのか記録が残ってるかもしれないわけだし。恐怖動画撮影を目的としたオカ研的には、満点の撮れ高だろうさ」


『この土日で、サキが映像確認をするという話でしたから、放課後の部活時間には、報告が聞けると良いですね。馬の出産と同等に、興味深いことです』


「馬の出産と同等扱いなのかよ……」


 アデルの発言に苦笑しながらも、ケイは警告した。


「もう外なんだから、いつも通り、あんまりしゃべるなよ」


『つまらないルールです。私は、人と話すのが趣味なのですが』


「知ってるよ。だけど我慢してくれ」


『ブーブー』


 不満そうにしているアデルへ、ケイは嘆息たんそくまじえて言った。


「じいちゃんは、スマホに詳しくないから気付いてないけどさ。スマホに標準インストールされてる製品AIは、お前みたいに“自分から話しかけてくる”ことはしないんだ。学校の連中にはすぐバレるから、気をつけないと」


『はいはい。いつも通り、外では“話しかけられた時だけこたえる”ことにします』


「よろしい」


 スマホの画面表示で、時刻を確認する。

 アデルと話をしていて、どうやら歩くペースが落ちていたのだろう。電車に間に合うのか、微妙な時間帯になってしまっていた。ケイは駅まで、小走りで向かうことにした。


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