第3話 ⑥

「昨日、オレは放課後教室でずっと過ごしていた。


 何をしていたかだって?

 スマホゲームのイベントで、とにかく敵を倒さなきゃならなかったから、家にも帰らずに時間いっぱいまでゲームをしてたんだよ。

 気付いたらクラスメイトは誰もいなくなっているし、時間を確かめたら、最終下校時間も近付いている。生徒会どもが来るとギャーギャー五月蠅いから、仕方なく帰り支度をしていると、二号棟の一階が目に付いた。生徒会の見回りを気にしていたから、生徒会室が気になったのかもしれないな。そしたら、その隣の部屋――備品室にいけ好かない女の姿が見えた。


 そいつは隠れるようにカーテンと窓の間に立って、スコップを握り締めていた。まるで祈りでも捧げるみたいに短い握りを両手で持っていた。

 何をしているのか、観察していると、部屋がにわかに明るくなった。電気が消されていることに、オレはそこではじめて気が付いて、ますます女が何をしているかが気になった。

 そしたら、そいつはカーテンの裏から飛び出して、部屋にいた人間に襲い掛かったんだ。


 部屋が明るくなったのは、その襲われた奴が扉を開けて部屋に入って来たからだったみたいだな。電気は点けられないまま、扉から入ってくるわずかな明かりで、オレは女がスコップで何度も相手の頭部を殴り付けるのを見た。

 普段澄ました顔していやがるのに、鬼みたいな吊り上がった目をしてたぜ。網辺にも見せてやりたいぐらいの醜い面だったよ。

 リーチが短いスコップで殴り続け、相手が動かなくなると、そいつは凶器を部屋に放って出て行った。灯りが点いていない備品室はまた暗くなったが、しばらくするとまた扉が開いて明かりがさす。犯人が戻って来たのかと思ったが、どうやら違うようで、そいつは慌てふためいて倒れている奴を揺さぶったり、呼びかけたりした後、部屋を出て行った。

その後、教師がバタバタと走り回るわ、救急車はやって来るわで最終下校時刻だって言うのに校内は大混乱。見ものだったぜ。」


語り終えると、骨川はにやりと笑う。

「どうだよ。オレの嘘は分かった?」

「勘違いを見分けると言ったでしょう。」

「で、分かったのかよ?」まるで分かるわけがないと言いたげな物言いで、その自信が窺える。


「私は早とちりをしないから、安心して良いわよ。第一発見者からも話を聞いて、それから判断するわ。」

「ようは、分からないってことだろう。無理もねえ、オレは本当のことを言っているんだからな。」

 不快な笑い声を無視して、網辺は教室をあとにする。私は後ろに続きながら、わずかにその肩が戦慄いているのを見逃さなかった。



「面倒事をお願いして、申し訳ないです。」

 備品室の前で、網辺は上級生の女子生徒に頭を下げた。

「生徒会長のお願いだもの、かまわないよ。」新田雪恵は笑顔で首を振り、唐突な網辺の依頼を快諾してくれた。

彼女は去年に続き、今年の生徒会役員を務め、昨日は最終下校時間の見回り担当だった。つまり、九条法子が備品室で倒れているのを見付けた、第一発見者だ。


骨川の目撃情報の矛盾を衝き、彼の発言が真っ赤な嘘であると証明したかったが、証言の違和を指摘できるほどの情報が私や網辺にはなく、悔しいかな一時撤退と相成った。しかし、尻尾を巻いて逃げ出したのではなく、情報という名の武器を得るための戦略的撤退だ。

 教室を出ると、網辺はその足で二年生の教室へと赴き、新田へ声をかけた。

 教師からはまともな情報を得ることは叶わないと判断した彼女は、生徒の中で一番事件に詳しい第一発見者から話を聞くことを選択したのだ。


「昨日は生徒会室で、年度末までに必要な書類をまとめていて、ちょっとだけ遅れてから最終下校時刻の見回りをスタートしたの。」

 新田はおっとりとした口調で語りながら、備品室の扉を指差す。

「それで、まずは生徒会室の隣の部屋の確認のためにドアノブを回したの。いつもならば施錠されていて、ノブは回らないからそれで確認は終わりなんだけれども、昨日はすんなりと扉が開いちゃった。びっくりはしたけれども、誰かが備品を出すために鍵を開けたのだと思い、中を検めることにしたの。でも、蛍光灯が灯っていないせいで中は真っ暗で、室内は良く見えなかった。だから、扉を大きく開けて少しでも明るくしたの。そしたら、九条先輩が倒れていたの。」


 穏やかな顔立ちをしているが、最後の一言を口にする時だけはその顔も曇った。

 今年だけでなく、昨年も生徒会に所属していたとのことだから、全生徒会長の九条とは顔馴染みだったはずだ。さぞ、驚いたことだろう。

「覚えている範囲でかまわないので、昨日の事件発覚時と今日で、部屋の中に違いがあるか教えて欲しいんです。」

 目的を伝え、網辺はどのように借用してきたのか、備品室の鍵をブレザーのポケットから取り出す。施錠を解き、抵抗のないドアノブを回すと、軋む音ひとつなく扉は開いた。


 足を踏み入れると、日中でも備品室は暗かった。通常の教室の半分ほどの大きさのその部屋は、扉の正面奥に窓があるのだが、遮光カーテンがかかっているために午後の陽射しはほぼ遮られている。夕方以降であれば、確かに室内は真っ暗だろう。

 網辺は電灯のスイッチを入れ、室内に明かりを灯す。露わになったのは、混乱の名残だった。

 床には血の跡が零れた果実の染みのように点々と付着し、その横には先端の尖った園芸のスコップが放り出されている。スコップを凶器にして、何度も殴ったという骨川の話が本当ならば、このスコップがそれなのだろう。他にも、パイプ椅子や長机が畳まれた状態で壁に立て掛けられ、未使用の箒やゴミ袋が右手側の棚に収められている。その他にも脚立や長鋏、鋸などがあり、赤錆の浮いた雪掻き用のシャベルは床に放り出されていた。


「何か変わった点はありますか?」

 室内を見回しながら、網辺は新田に尋ねた。

「たぶん、先生たちが片付けたのかと思うけれども、昨日はもう少し物が散らばっていたと思う。乱闘がありましたって感じで、」

「なくなっているものとかは?」

「細かいものは分からないけれども、目立ってなくなっているものはないと思う。」

 部屋の隅々を見回しながら、新田は断言を避けながら答える。


「そうですか、」薄い唇の縁を人差し指で網辺は撫でる。「ちょっと、カーテンの後ろに隠れてもらっても良いかしら?」

 指示に従い、私はカーテンを捲り上げてその厚い生地の裏に身を隠す。室内は遮光されて薄暗かったが、カーテンの外側は冬の穏やかな陽射しが集まり、その狭い空間に光は閉じ込められてむしろ眩しく、長居すれば汗ばんでくるほどの熱気も集中していた。

 私は顔を上げ、一号棟へと視線を向ける。いくつもの窓が並んでいるが、どれがどのクラスなのかは分からず、教室内に人がいるのは認められるが、その顔立ちまでは判別が出来ない。

 今回は嘘だとしても、よくこれほどの距離を骨川は目視することが出来るものだ。単純に感服してしまう。


「ありがとう、もう良いわよ。」

 声がかかり、私は再びカーテンを捲って遮光された部屋の空間に戻る。

「ところで、なんで今もさっきもカーテンを捲ったの?」

 私の動作に、網辺は不思議そうに首を傾げていた。背が小さい私からすると、カーテンの内側と外側への出入りはレールを滑らせるよりも捲ってしまったほうが出入りしやすい。逆に、身長が高い人間であれば、カーテンの裾を潜るのは一苦労だろう。

「カーテンレールが壊れているわけではないのね、残念。」

 遮光カーテンを横に引っ張り、網辺はカーテンレールが稼働するかを確かめる。もしもカーテンが壁に貼り付けられていれば、外から室内は絶対に覗き込めないので、その瞬間に骨川の証言は瓦解する。しかし、カーテンは横に滑らせることが出来るので、この点から目撃証言を否定することは叶わない。


「新田さん、」カーテンを開けたり締めたりを繰り返しながら、網辺は背後の上級生を振り返る。「昨日の発見時、カーテンは閉まっていたのかしら?」

「そうね、確か……、」肉付きのよい頬に手を当て、彼女は記憶の中の映像を漁る。「閉まっていたわね。部屋は真っ暗だったのだもの。」

 閉まっていた?

 ならば、外から目撃することは出来ない。これで骨川が嘘を吐いていると証明できる。

 私が喜び勇んで指摘すると、網辺は備品室の薄闇よりもひと際濃い闇色の髪の毛をゆっくりと左右に揺らす。

「十中八九、見えていないことは証明できるわ。でも、たまたまその時だけカーテンが捲れていたと言うかもしれない。例えば、棚にカーテンが引っ掛かって、室内が見えたとかね。」

 そんな都合の良い偶然があってたまるものか。思わず私は心の中で叫んでいた。

「もっと、言い逃れのできない矛盾を指摘しなければ駄目。」眉間に皺を寄せながら、網辺はらしからぬ苛立ちを滲ませる。「あれだけ雄弁に目撃情報を語っていたから、どうせすぐにボロが出ると思っていたけれども、存外厄介ね。」


 網辺愛梨には図書館に居たという、れっきとした不在証明が存在するのに、何でこんなくだらないいちゃもんで心を煩わされなければならないのだ。

 ドッペルゲンガーの件でもそうだ。彼女が逢引きをしているというあらぬ疑いがかけられたこともあった。なんで、彼女の周りには彼女を貶めようとする悪意が存在するのだろうか。

 電車の中で誰も助けてくれない孤独もつらいが、四面楚歌の状況で孤軍奮闘する彼女の精神もきっと耐えられるものではない。誰からも慕われ、敬われていると感じていたが、傍にいると妬み嫉みもそれと比例して降りかかってくる苦労を私はようやく理解した。

 網辺愛梨が気高く孤高なのは、すべてに対して毅然と振舞っているからだ。しかし、それは翻ると、常に彼女は孤独であるということでもある。

 一人でいることの心細さを私は理解している。そして、誰かが手を引いてくれる安心感と喜びも知っている。今度は、私が彼女を助けたい。

 もちろん、私の知能では網辺愛梨のような快刀乱麻を断つ推理を披露することは出来ない。ならば、乱れた糸を一本一本愚直に解いていくしかない。それがたとえ間違っていようとも、それによって間違いを潰すことは出来る。


 私は部屋の中を見回し、当初から感じていた素朴な疑問を口にする。

「何で、スコップなんて凶器にしたのかな?」

 備品室の中に様々なものが保管・備蓄されているのだから、もっと人を殴り易いものもある。金属製の1メートル定規やモップ、雪掻き用のシャベルも良いだろう。もしくは、黄色と黒の標識ロープで首を絞めるという方法もあった。それなのに、リーチの短いスコップで殴るのは何だか不思議に思う。

「柄が木製で、全体が金属のものよりも幾分軽いからじゃあないかしら。それに、スコップ面は棒状のものよりも当たり易いでしょうからね。」

「うーん、」

「納得できない?」

「……うん、」申し訳ないが、網辺の説明だけでは私はいまいち納得が出来なかった。「私みたいに非力な人間なら分かるけれども、それでもやっぱり返り討ちに合いそうで怖い。」


 包丁などの刃物であれば、例え刃渡りが短くても一撃必殺の武器になりえるが、園芸用のスコップで殴っても一撃で相手を昏倒させるのはむつかしい。何度も何度も必死になって殴って、ようやく相手を無力化することが出来るかどうかだ。その間に反撃に合うリスクのほうが高いと感じてしまう。

「暗い中で不意の一撃を食らえば、相手が何処にいるのか分からないのだから、反撃はむつかしいと思うわよ。」

 網辺は私の疑問をさして大きく取り合うとはしてくれないようで、一蹴するように首を左右に振った。

「何処にいるか分からないって、眼前にまで近付いていれば――背後かもしれないけれども――、いくら暗くても分かるでしょう。」

 だんだんと私もムキになってきた。

「眼前まで近付く必要なんてないわよ。スコップを持っているのにそんなに近付いたら、殴りづらいでしょう。」

「何を言っているの。近付かないと殴れないよ。」

 私の意見が聞き入れてもらえないもどかしさに苛立ち、床に落ちていたスコップを拾い上げ、網辺へと歩み寄った。


「ほら、これくらい近付かないと殴れない。」

 私はスコップを握ったまま腕を振り上げてみせる。もちろん、私の背が低く、腕も短い所為もあるが、もしも網辺愛梨を殴ろうとすればあと半歩前進すれば身体が密着するほどの至近距離に寄らなければならない。

「シャベルで襲い掛かればそうでしょ。」冷たく彼女は言い、部屋の隅に放り出されているシャベルを拾う。「スコップならば、1~2メートル離れて殴れるでしょう。」

「へ?」

「え?」

 睨み合っていた目が、一瞬呆けたように点となり、見る見ると大きく見開かれていく。同時に、私たち二人の口から笑い声が漏れた。

「ふふふっ、」

「あははははっ、」


 何て馬鹿げた話し合いでお互い苛立っていたのだろうか。理由が分かればこれほど滑稽な話はない。

「スコップとシャベルがどちらを指すかは、地域や人によって違うというのは知っていたことなのに、いざ実際に自分たちがその齟齬をしていると、分からないものね。」

 ひとしきり笑い終えた網辺は、ゆるゆると首を左右に振って溜息を吐く。

「どういうこと?」

 傍でやり取りを見ていた新田は訳が分からない様子で、頬に手を当てたまま首を傾げる。「単純な話です。」私は自分が手に持ったスコップと網辺が握っているシャベルを交互に指をさす。

「どちらもスコップであり、シャベルなんです。ただ、人によって大きい方をスコップと呼んだり、小さい方をスコップと呼んだりする違いがあり、まさに私たちは同じスコップという言葉で別々のものを示していたんだす。」


 私は小さい園芸用のものをスコップと呼び、網辺は雪掻き用の大きなものをスコップと呼んでいた。だから、話し合いに食い違いが発生したのだ。

「でも、これで骨川くんが偽証をしていることが分かったわね。」

 網辺は握ったシャベルのスコップ面を見詰めながら、私の言葉を継いだ。

 新田は当然眉根を寄せて首をもう一度捻る。私も、この勘違いで何故骨川の証言の真偽判定が出来るのか、分からないでいた。

「この大きなスコップの先端の金属部分に鉄錆のような血が付着していることから、凶器がこちらであったことは分かる。」よくよく近付いて確認すると、私がはじめ錆だと思った赤色は血痕であることが分かった。「でも、思い返してみると、骨川くんの発言は小さいシャベルを持っているような言い回しだった。これは明らかにおかしいわ。」

「彼もスコップとシャベルの捉え方が違ったのではなくて?」

 まだ、新田には網辺が説明しようとしている内容が見えないようだ。

「例え、呼び名がスプーンであったとしても、本当に観ていたのならば血痕の付いていた雪掻き用のスコップの長さで話す物でしょう?」

 つまり、彼は事件現場を目撃していない。

 でも、何故か彼は中途半端に事件の状況を知っていた。

 それは――、


「言葉だけで犯行状況を教えてもらったから、スコップとシャベルの食い違いが発生して、所々に誤りのある発言となってしまった。」

「誰から、彼は犯行現場の様子を聞いたの?」

「犯人以外に存在するわけがないわ。」

 犯人でないのならば、他人を使って噓の証言を骨川にさせて網辺に罪を着せる理由が見付からない。恐らく、犯人は骨川が網辺に対して恨みを持っていることを知っていて、その仕返しとして偽証することを提案したのではないだろうか。そして、骨川はそれを実行した。

「犯人は誰なの? 誰が、九条先輩を殴ったの?」

 新田にとって九条は昨年生徒会を指揮していた先輩なのだから、心配なのも当然だし、その先輩を襲った犯人を知ることが出来るのであれば、知りたいと思うのも自然な心理だ。でも、骨川が嘘を吐いていたということは分かっても、犯人が誰なのかは分からない――


「確証が得られるまで、もう少し待って。」

「へ?」網辺の返答に、私は思わず間の抜けた声を出していた。「確証って、何か犯人の目星がついているってこと?」

「ええ。いくつかの条件を考えれば、犯人は彼なのでしょうけれども、何故彼が私に対して敵意を向けてくるのかが分からないの。」

「彼?」

 鸚鵡のように彼女の言葉を繰り返していると、不図ある人物の顔が過った。贅肉に覆われた頬にビリケンのように細い目。冬場でもその体格の所為で額に汗が浮いている彼は、塚田健。

 塚田黒斗について調べようとしている私たちを牽制するために、網辺に罪が問われる偽証を骨川にさせたのではないか。やはり、同じ苗字なのは何かしらの繋がりがあるということだろう。


 私の思考を読んでか、網辺は備品室をあとにしながら「次は塚田黒斗について、もう一度斎藤先生に話を聞きに行くわよ。」と告げた。

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