第3話 ④

 翌日、網辺愛梨は学校を休んだ。

 先日も、ドッペルゲンガーの正体を暴くために一日教室に姿を現さない日があったが、それでもあの時はその日の夕方には図書室にやって来ていた。しかし、今回は放課後になっても彼女の姿を見かけることはなかった。

 代わりに、珍しい来客が教室にあった。


「網辺愛梨さんは、いる?」

 それは昨年の生徒会長である、三年の九条法子だった。網辺が今年度のはじめ、生徒会長選で勝利を収めた後、壇上で引継ぎとして証書を読み渡していたので、一年の私でもその顔はすぐに分かった。


「網辺は休みですけれども、」

 網辺愛梨の名前が出た途端、クラスの皆は係わりを避けるようにこちらへと視線を投げかけてきたので、仕方なく私が先輩に答えた。

「そうなの、」

 九条は何かを考えるように腕を組み、利発さを感じさせる額に皺を寄せる。

「どうかしたのですか?」

 前生徒会長が現生徒会長を訪ねてきたのだから、理由は生徒会に関わるものと思ったのだが、それは違った。


「妙なことを調べているって聞いたから、忠告に来たの。生徒会長は今の生徒のことだけを考えなさいってね。」

「もしかして、先輩も元三組なんですか?」

「ああ、あなたがもう一人いた女子なのね。」眉間の皺が解け、九条は晴れやかな顔となる。「なら、さっき私が言ったことを伝えておいて。」

 発言から理解するに、三品いちごが昨日か今日のどちらか、網辺愛梨と私が元三組のことを調べていると話したのだろう。そして、元生徒会長の権力を利用して圧力をかけてきた。

 それは完全な越権行為だ。いや、そもそも彼女はすでに生徒会長ですらないのだから、権力も何もない。


 でも、おかげでひとつ私でも分かったことがある。元一年三組で何かが起きたことは間違いないということだ。何もないのであれば、わざわざ九条が網辺を訪ねてきたりはしない。

「伝えておきますけれども、彼女ならばきっとこう言うと思いますよ?」本当に罪を犯していたかは分からないが、しかし彼女たちは何かしら人には言えないことをしていたはずだ。そんな相手に、唯々諾々と従うのは癪だった。「『あなたたち三年生も、卒業までは我が校の生徒なのだから、現生徒会長が気に掛けるのは当然よ。』って、」


「あなた、名前は?」

 目が細められ、値踏みするような視線を向けてくる。正直苦手な視線であったが、私は膝に力を込め、顎を上げて九条の視線に向き合った。

「十津根まりです。」

「覚えておいてあげる。」

 冷たく言い捨てると、九条は踵を返して教室から去っていった。

 彼女の視線がなくなった瞬間、膝から力が抜け、私は手近な椅子にへたり込んでしまった。網辺愛梨のように振舞うには、まだまだ胆力が足りないようだ。


     ※


「へえ、そんなことがあったのね。」

 携帯電話の受話器口から聞こえてくる網辺の声は管楽器の高音のように澄んだ笑いを含んでいた。


 家に帰り、携帯電話の液晶画面を何度も何度も点しながら、私は深呼吸を繰り返してようやく昨日登録してもらった連絡先に通話を繋いだ。

「早速連絡をくれたのね。ありがとう。」

開口網辺が感謝の言葉を口にしてくれたおかげで、私の緊張は幾分解れて、放課後教室にやって来た九条法子とのやり取りを伝えることが出来た。

 もしもくだらないことで連絡をしないように窘められたらどうしようかと不安であったが、彼女はいつも私の心の慄きを和らげてくれる。


「ところで、今日は学校を休んでどうしていたの?」

 昨日の今日であるから、彼女が何かしらを調べるために不登校を選んだのは理解できる。しかし、昨日の帰り道はほとんど会話がなく、彼女が何を考えているのか分からないままだ。

「図書館に行って、調べ物をしていたの。」

「学校の図書室では、駄目だったの?」

「ええ。古い新聞記事を確認したかったの。ネットで調べようにも、検索ワードが曖昧で調べ切れなかったし。」

「古いって、二年前のこと?」

「そうよ。」

 大きな出来事であれば、確かに新聞記事に載ることはあるかもしれないが、何が起きたのかも分からない状況で、彼女は何をどのように調べようと思ったのだろうか。


「いくつか、ポイントになるものは得ているから、それを足掛かりに一年分を調べただけ。」

 私の疑問に、彼女は事も無げに答える。しかし、要点を絞ったとしても二年前の一年間となれば、相当な量だ。

「確かにそうね。地方紙も確認したから、思った以上の時間になってしまったわ。」

「思った以上って、まさかもう調べ終わったの?」

「ええ、一日も時間を使ったのだもの。」

 受話器から聞こえる涼やかな声に疲労の色はなく、私の頭はくらくらとする。毎日の新聞の文字量は新書一冊分と言われ、それが一年間であれば単純計算で三六五冊。もちろん、休刊日もあるので実際はもう少し少ないであろうが、それでも地方紙含めた複数紙となれば誤差程度だ。一体、網辺愛梨の脳内はどのような造りをしているのだろうか。

「大袈裟よ。」

 私の驚愕は一笑に伏されてしまった。


「それで、」私は話題を戻すことにした。「探していた内容は見付かったの?」

「ええ。おかげさまで、二年前、県内のある高校で塚田という若い教師が自殺を決行したという記事を見付けられた。」

「塚田、」その名前は昨日三品いちごの口から零れ落ちた名前だった。


 記事から得られた情報は以下のような内容だったらしい。夏休み明けの九月、塚田黒斗という教師が学校の図書室で自殺を決行するも、同僚の教師に発見されて未遂で終わり、自殺の理由は判然としないまま、当の本人は教師を辞めた。

「学校名などは伏せられていたけれども、双方の情報を突き合わせれば間違いないでしょうね。」


 網辺からの情報を聞く限り、私もこの事件こそがあの告発状に書かれていた『犯罪』で間違いないと思う。まず、『塚田』という名前の人物が関わっていること。次に、『図書室』が事件の舞台となっていること、教師を退職して、『この学校の教師ではない人間』ではないこと。そして、塚田が若い男性であることと、自殺が未遂で終わったことだ。これは、三年生の間だけで噂されるドッペルゲンガーが男性であることにリンクする。

 塚田は死ぬことがなかったので、噂は幽霊でなく、ドッペルゲンガーとして広がった。もちろん、彼のことを知っている在学生は三年生だけなのだから、噂が限定的になる。


「明日は学校に行って、塚田黒斗の情報を調べてみようと思うから、手伝ってくれるかしら?」

 網辺愛梨の情報処理能力を知らされた直後では、まともな手伝いが出来るか心許無いが、断る理由は私にはない。

 しかし、結論から言えば、翌日私が塚田黒斗について調べることはなかった。何故ならば、網辺愛梨が九条法子に対する暴力行為で教師に拘束されてしまったからだ。

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