第3話 ①

「卒業式というくらいなのだから、この元一年三組というのは今の三年生のことで間違いないでしょうね。」

 図書の間から現れた不穏な紙切れを回収し、私と網辺愛梨は自分たちの教室に戻り、顔を突き合わせていた。他に生徒はなく、最終下校時刻まではまだ幾何かの余裕があったので、私たちは落ち着いて話し合うことが出来た。


「でも、去年から挟まれていたかもしれないよ?」

「可能性はすべて潰しておくべきでしょうけど、それは愚問よ。」ふるふると頭を振り、私の言葉を網辺は一蹴する。「あの本は、年末に貴女が借りて読んでいるのだから、紙は今年になってから挟まれた。そうでしょう?」

「ええ、それで間違いない。」

頷きながら、私はもうひとつ時期を狭めるポイントがあることを考える。それは読書会だ。あの時も私は本を棚から取り出して、皆でパラパラと頁を捲って回したが、あの紙は挟まっていなかった。だから、あの紙はごく最近何者かによって仕込まれたと考えられる。


「そうね。」

 網辺も私の考えに同意してくれる。

「でも、何のためにこんな悪戯を施したのかな?」

「十津根さんは、これを悪戯だと考えるのね。」

 網辺は切れ長の目を大きく見開き、私の発言に驚く。その反応が、私には驚きだった。

「網辺は悪戯じゃあないと思っているの?」

「悪戯ならば、過去のことではなくて現在のクラスで記すんじゃあないかしら。」

 指摘された通り、悪戯ならならば例えば現在の三年三組は犯罪者集団と書いた方が分かりやすいし、ショッキングだ。


「じゃあ、これを書いた人間は本気で卒業式を中止させたいと思っているってこと?」

「それはどうかしらね。卒業式を中止にするなんて、中々できることじゃあないわ。生徒会長としても、止めさせるわけにいかないし。」

「なら、何が目的なの?」

「分からないわ。だから、調べてみましょう。」

 カンニングの解明やドッペルゲンガーの解明。網辺と二人で行った謎解きは、思い返すだけで胸がドキドキと高鳴る。その興奮をもう一度味わうことが出来るのならば、何処にだって一緒に行く。

「ええ。」

 二つ返事で、私は同意を返した。


     ※


「お願いしていたアポは取れたかしら?」

「大丈夫。この後、図書室で話を聞けることになっているから。」

 一年の私たちでは、二年前の三組のことを当然知る由もない。だから、面識のある人間の中で二年前のことを知っているであろう人間に、私は面会の約束取り付けていた。


「でも、元三組の誰が、どんな犯罪をしたのか分かるのかな?」

「期待はしないほうが良いと思うわ。もしも誰もが把握している犯罪ならば、こんな回りくどい方法で訴えることなんてしないばずだから。」

「じゃあ、なんでわざわざ聞くの?」

 昨日から、情けないことに私は質問を繰り返すばかりだ。網辺愛梨といると、どうしてもその観察力や思考力に太刀打ちできるわけもなく、どうしてもその判断の後追いをする形となってしまう。

「把握はしていなくても、何か思い当たる節はあるかもしれないでしょう。指摘しても、何のことかさっぱり分からないのであれば、罪を訴える意味がないのだから。」


『元一年三組の生徒は犯罪者だ。卒業式を取り止めろ。』何度も短い文章を読み返してみたが、私にはこの文章を書いた人間が何を訴えたいのか分からなかった。分かったことは、ひとりを訴えているのではなく、クラス全体の罪を訴えていることくらいだ。

 果たして、三十余名が関わるような大それた犯罪が一介の高校生のクラスで行われていたのだろうか。もしも行われていたとして、それはどのような犯罪だったのか、そして告発者は何故今になってそれを訴えるのか。明確ではない文書は多くの謎を想起させ、私たちの足を動かす。


 見慣れた図書室の扉の前で私たちは足を止め、一度互いに目配せをしてから扉を開けた。日に日に日暮れは遅くなり、以前であればすでに西の空にわずかな茜が射していたはずなのに、図書室の窓から射し込む西日はまだまだ白く透き通っていた。

 インクと埃の匂いを溶かした陽射しに目を細め、書架の間に並ぶ大机や椅子を見回すが、まだ約束の人物はやって来ていないようだ。

 図書カウンターを見ると、当番の図書委員がこちらへ視線を向けて、顔を強張らせていた。いや、正確には網辺愛梨を見て、だろう。


「こんにちは。」

 貸し出しを受け付けるカウンターの内側にいる鈴宮りえに歩み寄り、網辺は微笑む。

「こんにちは、」

 普段は体育会系らしい溌剌とした印象の彼女だが、さすがに網辺に対しては気まずさがあるようで、わずかに顔を伏せて視線を避ける。

「確認したいのだけれども、斎藤先生はまだ来ていらっしゃらない?」

 網辺はしかし鈴宮の心情など慮ることなく質問する。

「ええ、まだ来ていないけれども、どうして?」

「話したいことがあって、待ち合わせをしているの。」

「話?」

再び鈴宮の顔が石細工のように固まった。おそらく、私たちが森大地の襲撃された事件について、教師に何事かを伝えるのではないかと不安が彼女を捉えたのだろう。


「今年卒業する三年生について、色々教えてもらいたいの。生徒会長として、卒業式に参加しなければならないし。」

「ああ、そういうことね、」理由が分かり、乾いた石に水が注がれる。「網辺さんも大変ね。」

「いいえ、大変なのは図書委員の皆さんでしょう。一番熱心に職務に当たっていた森先輩が、まさか落とした花瓶の水で足を滑らせて頭を打って倒れるなんて、しわ寄せも大きいでしょう。」

「足を滑らせて?」

「ええ、森先輩から、そういうことだと聞いていますよ。」

 大事はなかったとはいえ、頭部を殴打されているために森はまだ検査のために入院をしていて、例え恋人であっても面会は容易に叶わない。しかし、親族であれば病室へ行くことに困難はない。私は網辺と森の間でどのような会話が交わされたのかは知らないが、どうやら事件はそのような形で解決したようだ。


 逸脱した鈴宮りえの行為に対して、何ら処罰がないのは気になるが、被害者の森が容認しているのならば、今回の件に関して私はこれ以上口を挟むのは避けておこう。

「森くんが、そう言っていた?」

「ええ。『自分の落ち度だ』って。」

「そう、」俯き、顔を伏せたので彼女がどのような表情をしているのか、私からは見ることが出来ない。ほくそ笑んでいるのか、安堵しているのか、それとも……。

「だから、気に病む必要はないわよ。」

「えっ、」顔を上げた鈴宮の眦に、わずかに涙が浮いていた。「もしかして貴女、」

「私は森と話し合ってきたことを伝えただけよ。」

 見開き、まじまじと網辺の顔を凝視している内に鈴宮の涙は乾いていく。

「みんながあなたに憧れるのも、分かった気がする。私には無理そうだけれども、」

 鈴宮の口から憧れという言葉を聞いて、森の行動がにわかに理解できた気がした。彼もまた、網辺愛梨という完璧な存在に憧れていたのだ。それはきっと恋愛感情などではなく、純粋な憧憬。しかし、その発露の形が捻じれていたのだ。それによって、鈴宮も不要に気を揉んでしまったのだろう。

 網辺が今回の事件を不問に付したのも、犬も食わない問題だったからだ。

「人にはそれぞれ性分があるのだから、他人になる必要なんてないわよ。」

 網辺のその言葉は、鈴宮にではなく私の胸にずきりと響いた。網辺愛梨やあの人のようになりたいと思う憧れを否定されているような気がしたのだ。


「来たようね、」

 背後のドアが開く音がしたので振り返ると、斎藤真字が角張った気真面目そうな面で室内を見回していた。

「御足労頂いて、ありがとうございます。」

 網辺は教師に歩み寄ると、軽く会釈をして奥のテーブルへと案内する。

 基本的に彼女は誰に対しても砕けた口調とはならず、むしろ慇懃な立ち居振る舞いをするのだが、どこか尊大で、それは年長の鈴宮に対してもだし、教師である斎藤に対しても変わることがなかった。

 図書室はいつもの通り利用者はおらず、好きなように机を使うことが出来た。私と網辺は図書カウンターから一番離れたテーブルを選び、並んで座った向かいの席に斎藤を勧めた。


「それで、話というのは何だ?」

 盛り上がった胸板を強調するように腕を組み、斎藤は私たちを見比べる。

「お聞きしたいのは、これです。」

 制服のポケットから例の告発状を取り出し、木目の荒いテーブルの上に置く。表面を開いた状態で差しだしたので、そのまま文章を読むことは出来たが、彼は岩のようにごつごつと筋張った手で紙切れを掴む。

「何だ、これは?」

 胡乱なものを見るように、斎藤の目は細められて眉間には不快の皺が寄る。私は昨日、この図書室で紙切れを見付けた経緯を順を追って説明した。もちろん、森の事件については一切触れずに。


「悪戯だな。」

 手にした紙をテーブルに放り、鼻であしらうように素っ気なく言い切る。

「それを確認するためにお呼び立てしたんです。」

「くだらないことに時間を割いているほど、教師も暇ではないんだ。」

「それは承知していますが、もしもこの文章が本物だった場合、知っていながら無視をした教師の責任は多大なるものでしょう。きっと、今が暇に感じるほどに。」

 微笑みながら訴える網辺に、立ち上がりかけていた斎藤は舌打ちをして、あらためて腰を椅子に沈める。


「それで、何が聞きたいんだ?」

 普段の読書会から愛想のよい教師ではなかったが、今日の斉藤はいつにもまして不機嫌で、口の端を歪めてぶっきら棒に問う。

「今年卒業する三年生の一年時、三組で何か事件はありませんでしたか?」

「知らないな。」

 口を真一文字に結び、表情を一切崩すことなく斎藤は言い捨てた。

「別に犯罪性のあるものでなくて構いません。印象的な出来事とか。」

「知らないな。」

「三組の担任は誰でしたか?」

「すでにこの学校の教師ではない人間だ。」

 繰り返される網辺の質問はけんもほろろに返される。しかし、網辺は諦めることなく質問を続けた。


「当時のクラス名簿はありますか?」

「所持していない。」

「では、元三組の生徒を一人教えてください。三年生を受け持っているのですから、まさか知らないなんてことはないですよね?」

 斎藤の頬がわずかに痙攣し、無機質な石仮面にわずかな綻びが生じた。

「三品だ。」

「三品?」

「三品いちご。三品林檎の姉だ。」

 以前、林檎は三年生の姉がいると言っていたが、そのお姉さんが元三組の生徒とはなんだか出来過ぎている気がするが、ともあれ、これで次に話を聞く相手の目途はついた。


「もう終わりで良いか?」

 質問が止んだのを見計らい、斎藤は席を立ち上る。

「最後に、」肩甲骨の浮き出た大きい背中に、網辺は問いかける。「元三組の生徒で、今年度の卒業式に参加できない生徒はいますか?」

 扉へ向かっていた足がピタリと止まる。「残念だが、」振り返った面には綻びの影響がありありと残り、わずかな笑みが浮かんでいた。

「イジメか何かを想像しているのかもしれないが、転向した生徒もなく、みんな無事に卒業するよ。」

 答えると、斎藤は今度こそ出入り口へと向かい、振り返ることはなかった。網辺が、「卒業式が中止されなければね、」と零した言葉も聞くことはなく。

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