第15話 返信
これが何かの間違いで、次の日になったら招待状が消えていたりしないだろうか。
現実逃避もここまでくると末期だなと思いつつ、その日は陽夏を送った後、コンビニでビールを購入して帰った。もちろんこれっぽっちも酔うことはなく、熟睡することもできないまま、明け方にうとうとしたただけで朝を迎えてしまった。
どうしてこんなものが俺の元に届くのか……二人の真意が分からない以上、こちらも対応を間違えたくはない。不参加は確定としても、返事をどうするかは悩みどころだった。
真っ先に考えたのは即ゴミ箱行き。その次が不参加表明だ。
どんな対応を取るにせよ、ネックになるのは浜田の反応だった。
返信しなければ、浜田はきっと俺の非常識をやり玉に挙げて皆の前で被害者面をするに違いない。不参加を表明するにしても、だったらお祝いはどうする? という問題に直面する。
当然、俺には二人を祝福する気はない。ご祝儀なんてもっての他だ。子供染みた対応だとは思うが、そもそも元恋人という微妙な立場の人間に本人に確認も取らずに招待状を送って来る方がどうかしている。
共通のサークルの仲間という立場上、招待状がどちらから届いても不思議はないが、封筒の差出人は二人の連名になっているので、開封しない限り返信先が誰なのかは分からなかった。
こんな悪魔のような所業ができるのは浜田だ。浜田に決まっている。絶対そうに決まっている。そう確信しながらも、もしそうじゃなかったらという一抹の不安が胸を過る。悩みに悩んでグルグル考えながら生活していたせいか、この一週間で、訪問先に工具を忘れて帰るという失態を三回も起こしてしまった。
「おい大丈夫か高槻? お前、最近疲れてない?」
さすがの芝さんも、異常事態だと悟ったのか、仕事終わりにわざわざ声を掛けてくれた。
「まぁ、その、色々大変なのはわかるけど……。あいつの面倒見るのも無理なら無理って言っていいからな。真帆さんに言いにくいことあったら、すぐに相談しろって近藤さんも心配してたぞ」
「はぁ…………」
そっちは大丈夫です……多分。
調律道具の手入れをして工房を出たところで、携帯電話に着信が入っていることに気付いた。名前を確認するまでもなく陽夏からだということが分かった。今時、電話で直接連絡を取ってくるのは親か陽夏か、代引きを頼んだ時の宅配業者ぐらいなものだ。
毎週恒例のアポイント電話なのだろう。何でもいいからSNSを初めてくれたら楽に連絡を取れるのに、IT難民にしてキッズ携帯の陽夏の通信手段は専ら電話だった。
「もしもし。どうした?」
『あ、創平?』
「明日だろ? 予定ないよ」
先手必勝。どうせ断ることなど出来ないのだからと陽夏が用件を言う前に承諾する。じゃ学校終わったら行くね、といつもはそれだけで終わるのだが。
『どうしたの? 元気ないみたいだけど……』
いつも通り対応したはずなのに、陽夏が訊いてきた。
こういうところはさすがと言うべきか、陽夏の耳は確実に俺の異変を察知している。それでいて、好奇心の強さ故か、経験値の低さ故か、見て見ぬフリをするという処世術を知らない中学生はストレートに疑問をぶつけてくる。
「別に……大したことじゃない」
『……ねぇ、今から創平の家行っていい?』
「え……?」
陽夏が来るのは明日の予定のはずだ。たった今、電話でそのアポイントを取ったのではないのか。
しかし、こちらが戸惑っている間に陽夏はサクサクと自分の行動予定を立てていく。
『ご飯まだでしょう? 俺、今弁当屋にいるから、創平の分も買って行くよ』
「いや、さすがにそれは…………」
『俺の奢り』
「いいよ。そんな気を使わなくて……ってゆーか、社会人が中学生に奢ってもらうってあり得ないだろ」
『あ、すみませーん』
こちらの許可も待たずに、陽夏が店員を呼ぶ声がする。
「おい、陽夏……!」
『チキン南蛮でいい?』
はぁ……全く…………。
毎度毎度のことながら、こちらの都合を聞く耳はないらしい。これもいつものことなので、今拒否したところでアパートまで突撃されるのだろう。陽夏を拒絶することを諦めて、俺は鞄から車のカギを取り出した。
「…………野菜炒めがいい。で、迎えに行くから、そこで待ってろ」
疲れはピークに達していると言うのに、あっちもこっちも取っ散らかったまま収拾がつかない状況に苛立ちが募る。
車に乗り込んでエンジンを掛ける。
短大卒業後、就職して住所も変わったはずなのに、どうしてあの招待状が届いたのか、あれからずっと考えていた。
たった一つ可能性があるのは引っ越しの時で、ただ、そうなるとあの手紙の差出人が揺らいでしまうのだ。
もし、西村先輩が出していたら?
その不安がずっと拭い去れずにいた。
もし、そんなことをされたらきっと俺は立ち直れない。それを考えると、封を開けることがますます怖くなってしまった。
「ねぇ、聞いてる?」
「ああ……ゴメン」
宣言通り弁当を二つ携えた陽夏を迎えに行き、俺は自宅アパートへと戻ってきた。
明日休みの俺はともかく、陽夏は学校がある。そしてきっと野宮家も散らかっているだろうから、弁当屋から直接野宮邸に向かう方が効率が良いはずなのに、陽夏に『片づけは明日でいい』とにべもなく却下されてしまった。
『明日も来いということか?』と陽夏に尋ねたら『俺が創平の家に行ってもいいよ』と堂々巡りの回答が返ってきたので、それ以上は追及しないことにした。
アパートに戻って買ってきた弁当を平らげ、いつものように陽夏の勉強を見てやっていたのだが……。
「分かった! もういいよ」
突然、陽夏が机を叩いてそう言った。
恨みがましい目で俺を睨み、おもむろに立ち上がる。この『わかった』は絶対に勉強のことではないだろうし、トイレにでも行くのかと背中を見送ろうとしたら、陽夏が向かったのはトイレがある廊下ではなくキャビネットの方だった。
まさか。と思った時には遅かった。
「気になってんの、これでしょ。さっきからずっとそっち見てるよ、創平」
そう言って、招待状を手に取る。
血の気が引いて、俺は急いで立ち上がる。陽夏に飛びつき、招待状を取り返そうと手を伸ばしたが寸でのところで躱された。
「やめろ……返せ!」
「まだ開けてもないじゃん! こういうの早く返事しないといけないんじゃないの?」
必至になって取り返そうとする俺に背を向けて、陽夏はビリビリと封を破ってしまった。人の郵便を許可もなく開封するなんて正気とは思えない。
カッとして頭に血が上ったが、
「ハマダ……テンコ…………?」
返信用ハガキに印字された名前を読み上げた陽夏にどっと脱力してしまった。
やっぱり、浜田だった。
そうだ。先輩がこんなことをするわけがない。
安心した途端、膝から力が抜けてその場に座り込んでしまった。
「…………返せ」
てゆーか、人の手紙勝手に開けるな。
しかし、陽夏はうろうろと視線を彷徨わせ、招待状と俺を何度も見比べた後、何かに気付いた様子でハッと息を飲んだ。左手を口元に当てて、見開かれた瞳には、驚きと憐れみの色が混じっている。なんか嫌な予感がすると思っていた矢先。
「もしかして……このハマダテンコって……創平の元カノ…………」
「違う!」
まったく違う!
何もかも違うっっ!!
よりにもよってどうして俺が浜田と付き合わなければならないのだ。例え俺が性的マイノリティーではなかったとしても浜田とだけは付き合わないぞ。
湧き上がるような怒りと共に再び立ち上がった。
「おかしいと思ったんだよね。どうして創平が他人の楽譜を持ってるんだろうって…………めっちゃ書き込みしてあるのにさ……。創平、彼女取られた腹いせにあの楽譜を……」
「だから、違うって言ってるだろ!!」
さすがにムカついて、陽夏の頭を叩いた。
招待状をもぎ取って、テーブルの上に放り投げ、宿敵と向かい合うように席に着く。怒り狂っている俺に気後れしたのか、叩かれた頭を押さえつつ陽夏も隣にちょこんと腰を下ろした。
「二人ともサークルの仲間! ちなみに、これ、ノリコだから」
「え?」
「ハ・マ・ダ・ノ・リ・コ! 辞典の典に子供の子って書いて、ノリコって読むんだよ!!」
浜田の名前をトントン指さして、陽夏に説明する。
「あ、そうなの?」
陽夏は間抜けな顔でマジマジと招待状を覗き込む。
「…………で、行くの?」
「行かないよ」
「何で?」
何でって…………まぁ、当然の質問か。
「…………別にそんな仲良かったわけでもないし、仕事入るだろうし」
今の説明で納得したのか、してないのか、陽夏はふーんと頷いて、新しい玩具を発見した子供のように返信ハガキを手に取った。
「ねぇ、これ、俺が返事してもいい?」
通常のハガキとは異なる、きめの細かい上質な紙が淡い光を反射していた。
そうか……あの二人結婚するのか。
改めてそれを実感した。
浜田の苗字は変わってないが、返信用ハガキの宛先は東京だった。二人は既に一緒に生活を始めているのだろう。
「御欠席の御の所に線引いて、シュクって書くんでしょ?」
ぼんやりとしていたら、陽夏が俺の腕をツンツンと突いてきた。その手には既にボールペンが握られている。
「…………よく知ってんな」
「祖父ちゃんやってるの見たことあるんだよ……ね、俺書いてもいい?」
まぁいっか。無視するでもなく、俺から返信するでもないけど、招待状は消えてなくなる。ある意味画期的な解決策かもしれない。
陽夏に許可を出して、俺はキッチンへと向かった。緊張したせいか喉が渇いていた。見れば、陽夏のコップの中身も少なくなっている。冷蔵庫の中から麦茶を出して、リビングに戻ると、陽夏がニコニコしながら書き上げたハガキを見せてきた。
「ほら、これでばっちり!」
確かに、欠席に丸はついていたが、妙な違和感があった。何かがおかしい。
麦茶をテーブルの上に置いて、陽夏が差し出すハガキを受け取り、よくよく見返してみると、
「バッ……カ!! お前、これ、呪いじゃねーか!」
ザンッと別の意味で血の気が引く。陽夏が握っているのはボールペンだ。シャーペンでも消えるボールペンでもない、ガチのボールペンだ。
バカっっ! マジで何やってくれてるんだよ!!!
こんな時に日本語分からないスキルを発動させてんじゃねーよ!!
「え? これ、シュクじゃない? 何か、こんな字だと思ったんだけど、違った?」
ハガキを裏返して、マジマジと見つめながら陽夏が首を傾げる。
「違う! うろ覚えで書く前に調べろよ! 祝ってこうだろ」
言いながら、俺は陽夏の筆箱からペンを取り、式場までの案内が書かれた紙に祝の文字を書いて見せる。
「あ、本当だ。わー……どうしよう。修正テープとかないの」
「ねーよ!」
今時、スケジュール管理なんてスマホでやるだろう。手帳を使うことがあったとしても、それこそ消せるボールペンがあるのだ。今時、修正テープを常備している人間などいない。
ようやく自分のミスに気付いたらしい陽夏は、しかし、何かを思いついたように手をポンと叩いた。
「おい、これ以上余計なこと……」
止めようとする傍から陽夏は呪いの文字をバツで消し、不格好な『祝』を書いた。更に空いたスペースに『まちがって書いてしまいました。ごめんなさい。お幸せに。野宮陽夏』というメッセージを書き添える。大きさの揃わない下手糞な文字が最悪のバランスで並んでいる。
「これでどう?」
再び差し出されたハガキは、陽夏の修正があまりにも酷すぎて、住所を書くスペースも潰れてしまっているがこれ以上怒る気力も修正する術もない。
「…………もういい。ペン貸して」
余白に10フォントぐらいの小さな文字で自分の名前を書いて、ハガキを陽夏に渡した。
「これ、いつでもいいから出しといて」
「え? 俺が出してもいいの?」
「何なら捨ててもいいぞ」
もう、俺は知らん。
悩みの種だった招待状がこの部屋から消えるなら、それはそれで喜ばしいことだ。陽夏のメッセージを見て二人がどう思うかは知らないが、不参加を表明するにしても、なんだかわけの分からない人間から何だか意味不明の返事が届いたという話になれば、浜田がどれだけ俺をこき下ろしても周りの人間が面白おかしく話を転がしてくれることだろう。
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