第4話 マイノリティ

***

 

 自分が性的マイノリティだと気づいたのは高校生の時だ。

 高校二年の春、初めて彼女ができた。

 彼女の方から告白されて付き合い、初体験もその時に済ませた。

 ただそれは、友人たちが興奮気味に語る内容とは程遠く、俺にとっては違和感と嫌悪感しかないものだった。一刻も早くこの時が過ぎてしまえばいいと、それだけで頭がいっぱいになり、その時自分はなのかもしれないと思った。

 彼女が嫌だったわけでない。一緒に話をするのも楽しかったし、普通のカップルのようにデートもしていた。でも、いつからか、そういう場面になるとあれこれ理由をつけて避けるようになっていた。

 夏の終わりに彼女から別れを切り出され、俺はそれを受け入れた。悲しいとか、寂しいとかいうよりも、恋人という肩書が外れたことに胸を撫でおろしている自分がいたような気がする。

 彼氏、彼女の関係ではなくなったのに、俺たちの関係はそれほど変わらず、むしろ付き合っていた頃よりも自然な形で友人関係を続けることができた。異性でありながらキスもセックスもしないことが正しいと証明するように、その関係は彼女に新しい彼氏ができるまで続いた。


 その後、俺は調律科のある県外の短期大学に進み、そこで一人の男性と出会った。

 西村先輩は大学のピアノ科に在籍する一つ年上の先輩だった。幼少期からピアノを習い、その流れで音大までやってきた都内出身の彼は、ピアノ奏者であるにも関わらず、学園祭実行委員のメンバーからキツイ、汚い、危険の3Kパートと揶揄される情報宣伝パートに参加している、少し風変わりな人だった。

 おっとりしていて、穏やかで、ちょっと天然が入っていて……年上としての威厳は皆無だが、それ故に一緒に居ても疲れることがなく、他の先輩たちよりも身近な存在に思えた。


『キスしてみます?』


 最初は些細な切っ掛けだった。

 酔っぱらって彼女ができないと愚痴を零していた先輩に、冗談半分でそう声をかけた。

 酔った勢いもあったのか、先輩は躊躇いながらも唇を重ねてきた。そして、単なる悪ふざけのつもりだったはずなのに、あろうことか不器用なキスに反応したのは俺の身体の方だった。

 男性からのキスを……その先の行為を想像すると何故かたまらない気持ちになった。心のどこかで自分に対して抱えていた不安が確信へと変わった瞬間だった。


 翌日、素面に戻った先輩に謝罪された。誘ったのは俺の方なのに、理性と欲望の間で葛藤し、何とか整合性を取りながら謝罪しようと四苦八苦している先輩が可愛らしく見えて、好感を抱いた。

 初めて、心の底から「この人とセックスをしたい」と思った。

 それから、二人きりの時、何となく先輩とキスをするようになった。

 キスをする度に、先輩のことをもっと好きになっていった。高まっていく自分の気持ちに比例するように、冗談から始まったはずの行為は深くなり、初めての学園祭が終わる頃には、互いの家を行き来し、半同棲のような生活を送るようになっていた。


 ずっと一緒にいられるなんて夢みたいなことを思っていたわけではない。

 いつか終わりがくることは分かっていた。人知れず始まったこの恋に終焉が訪れたとしても、二人で一緒に幕を下ろして『綺麗な思い出』に変わるのだと俺は信じていた――それこそ、バカな夢を見るみたいに。


 出会って二年目の春、西村先輩は国際ピアノコンクールに出場した。本選に残ることはできなかったが、三次審査まで進んだことが校内で大きな話題となり、注目を浴びるようになった。

 そんな時、俺たちの前に現れたのが浜田典子だ。

 浜田は西村先輩と同じ大学のピアノ科に所属する俺と同期の学生だった。特段手先が器用なわけでも、目立つタイプの子でもなく、ほぼ幽霊部員と化していたが、サークルに参加する日は、手製のお菓子を振舞ったりと、素朴で家庭的な一面があり、サークルメンバーからの評判も悪くはなかった。


 浜田が西村先輩に目を付けたのは仕方のないことだと思う。

 学年こそ違えど、二人は同じ学部の先輩後輩だったし、当時西村先輩に注目していたのは彼女だけではなかった。国際コンクールに出場している学生が、学園祭実行委員の3Kパートである情報宣伝所属という噂は電光石火の速さで学実メンバーに伝播していた。三次審査を受ける頃には、にわかファンクラブのような物も存在していたようで、ただサークルが同じというだけで情報宣伝パートのメンバーは全く面識のない学生から声をかけられる、なんてこともあったほどだ。


 情報宣伝パートの仕事は学園祭期間中、正門に設置される巨大看板を作ることだった。基本的に屋外、そして大工仕事なんかも入ってくる。指を痛めたくない楽器奏者であれば当然、そんなサークルには参加したくないわけで、どの年代でも人手不足が大きな悩みのタネになっていた。

 西村先輩の活躍のお陰で情宣に興味を示す学生は増えたものの、新規メンバーの獲得が困難である状況には何ら変わりはなく、昨年の先輩方に倣って今年も頑張るしかないと諦めムードで迎えた二年目、突如その存在感を示したのが浜田だった。彼女が情宣にやってきた経緯は知らないが、幽霊部員だった浜田は突如サークル活動に精を出すようになった。ピアノ科で手を痛めてはいけないから、と危険な作業に携わることはなかったが、そんな中でも彼女は周囲の人間に声をかけ、作業がしやすいように気を使ってくれていた。

 一年目とは見違えるような彼女の対応に、最初は皆戸惑っていた。彼女が楽器奏者であることは皆が知っていたので、十分とは言い難い作業量ではあっても辞めないだけマシという共通認識が出来上がっていたので尚更だ。しかし、彼女が何の目的で——誰を目的にサークル活動に参加するようになったのかは、程なくして皆が知るところとなった。

 彼女が西村先輩に興味を示していることは誰の目にも明らかだった。苦笑交じりのメンバーから茶化されても浜田は全く動じなかった。それどころか、堂々と本人の前でそれを認めて、外堀を固める強引さと図太さを兼ねそろえていた。

 素朴で家庭的というそれまでの印象はガラリと変わり、浜田の動向にうっすらと嫌なものを感じながら過ごしていたある日、サークル内に俺と西村先輩が付き合っているという噂が流れた。


 噂を広めたのは浜田。


 そして、真偽不明の噂に『ノリ』で飛びついたメンバーたちによって、それはやがて『ネタ』になった。

 日に日にエスカレートしていく状況を見かねて、浜田に抗議すると彼女は謝るどころか俺に悪態をつき、怪我を負わされたという無実の罪まででっちあげたのだ。

 西村先輩との関係を公にすることが出来ず、皆の前で弁明すらできなかった俺と、西村先輩を奪うためなら手段を択ばない浜田とでは、端から勝負にはならなかった。


 浜田の本質に気付いた時には、既に手遅れで俺はサークル内で孤立していた。

 唯一、西村先輩にだけは真実を話したが、否定こそしなかったものの、彼も最終的には『素朴』で『家庭的』で『女性』である浜田を擁護したのだ。

 その後、別の先輩のフォローがあって俺に対する濡れ衣は晴れたものの、自分の立場が危うくなったと知るや否や、浜田はしおらしい態度で俺に謝ってきた。

 慢性的な人手不足を補うため、OB、OGが集まったまさにその日、わざわざ皆が集合した休憩時間を狙って。場所を変えようとした俺の提案を泣きながら拒み、こちらの気持ちなどこれっぽっちも考えずに公開処刑のようなシチュエーションで謝罪された。彼女に謝る気持ちがないことは明白で、俺に対する攻撃もまだまだ続くのだと、その時に分かった。

 それでも、俺は浜田の謝罪を受けないわけにはいかなかった。そこには、泣いている女性と謝罪される男性の構図が出来上がっていたからだ。

 レディーファースト。女性には優しくするものだなんて誰が言いだしたのだろう?

 謝罪を受け入れれば浜田は免罪され、拒否すれば俺は『狭量な男』のレッテルを貼られる。どっちに転んでも浜田の思い通りだ。

 案の定、浜田の嫌がらせはその後も続いた。浜田は当たり前のように西村先輩の隣に居座り、それが普通で正しいことなのだと、俺に対してマウントを取ってきた。

 恋人を寝取られた上に、そんな二進も三進もいかないストレスフルの一年を送った。


――触らないでよ!! 気持ち悪い!――


 あの時、浜田が放った言葉が今でも頭に残っている。変なのは俺で、西村先輩は『気持ち悪い』出来事に巻き込まれた一般人。

 それなら、浜田は西村先輩を正しい道に導いた救世主?

 姑息な手で人を孤立させ、『冗談』という形で他人の秘密を暴露した人間が?


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