2 ホテルリリエンタール

マットはチャーター機で飛び立ち、昼過ぎには、太平洋の南海の宝石と称されるエステル諸島の小国パプリアのノエイラス島の空港に降り立った。

小規模な離島の空港ではあったが、細かいところまでよく整備されていて、繁栄の度合いがわかる。一時は閑散としていたこの空港もここ数年は勢いを盛り返し、毎年たくさんの観光客が押し寄せている。空港のすぐ向こうはサンゴ礁のある青い海で、マグナスは立ち止まって見入ってしまった。

「僕もそんなに南の海を見たことはないんだが、ここはすごいなあ。あっちは青、そっちは透き通るような薄い青で、向こうはエメラルドグリーンだ。海の色がこんなに違う場所を初めて見たよ」

するとアヤコはしばらく海を見つめてそれからしゃべり始めた。

「…美しいですか?」

「ああ、美しい、感動だね…」

その時アヤコの中で小さな音が聞こえた。

「…共感回路発動…」

一体なんだろう、マグナスは聞き逃さなかった。

「…本当ですね美しいわ。私にもよくわからないんですが、海底の様子が岩だとかサンゴ礁だとか、砂だとか、水深やプランクトンの量によっても違うようですね」

「ははは、今度潜って確かめてみようか」

「私も可能ならご一緒しますわ」

他愛の無い二人の会話だったが、今彼女は大事なことを学ぼうと一生懸命なのが分かった。

「やあ、マット君待っていたよ。大歓迎だ」

「ゴールドマン知事がお迎えに来てくれるなど光栄の至りです」

この魅惑的な南の島に、前知事のパトリックメイランドや親族の建設会社がいくつものテーマパークやホテルを誘致したのだが、乱開発で下水が垂れ流しの海は汚染され、ごみがあふれ、結局観光客は大幅に減少、それをこのゴールドマン知事が、3年間観光客の入島を制限、その間に環境設備に予算を大幅に取って、この地域で初めての下水処理場やごみの焼却場などを整備し、昔通りの美しい島を復活させ、観光客も復活させたのだった。

その時、島民に代わってごみ処理や土木工事などを効率的に行ってくれたのがマットの自立型アンドロイドだった。

ゴールドマン知事が案内してくれたのは、白壁の高い天井のリリエンタールホテルだった。南洋の美しい花が咲き乱れるおしゃれな植物園が中庭にあり、果樹園や小さな水路には、いつも派手な色彩の小鳥たちが集まってきていた。ここはハンググライダーで有名な冒険家の一族が作った高級ホテルでクラシックなハンググライダーのイラストがあちこちにデザインしてある。ホテルのあちこちにも、風見鶏やプロペラなどが飾ってあり、屋上には飛行機の黎明期にオットーリリエンタールが空を飛んでいたと言われるハンググライダーのクラシックな復刻記の格納庫があり、天気の良い日には遠くからでも見えるように屋上に展示され、ホテルのシンボルになっている。豊かな海産物と南国のフルーツをふんだんに使った料理のレストランが自慢だという。

知事は最初、マットの妻がガンで急逝したと聞き、表情を曇らせていたが、英語やフランス語、現地の先住民の言葉まで流ちょうに使い分けて話すアンドロイドのアヤコの快活さに、すっかり驚いていた。

「君のアンドロイドの優秀さはすでに認めているが、このアンドロイドの頭脳を、亡くなった奥さんが作ったというのかい。いやあなんて優秀なんだ、性格も明るくてウィットに富んでいて驚くばかりだ」

ゴールドマン知事は秘書アンドロイドのアヤコチェリーブロッサムの優秀さに感心し、明日は電気自動車シルバーハウンドを用意してくれるという。

マグナスは、新鮮な海鮮料理に舌鼓をうち、食べることのできないアヤコにどんな味なのか教えたり、昔のこの島の悲惨な状況を教えたりして楽しい時間を過ごした。そして広いシーサイドビューの明るい部屋でアヤコと夕日を眺めながら夜を迎えた。着替えてシャワーを浴び、そしてマグナスがベッドに入るころアヤコも別に空輸されてきたメンテナンスボックスに入った。この中でアンドロイドボディを洗浄殺菌し、充電、故障個所のチェックなどが自動的に行われ、ピカピカになって朝を迎えるのだ。

翌朝、もう新しい服に着替えたアヤコにマグナスは起こされた。いよいよ目的地に行くのだ。

そしてマットとアヤコチェリーブロッサムは電気自動車で山奥のパゾロという村に向かっていった。山奥に入ると道は狭くなり、道路はがたがただった。途中自然保護区域の入り口で車は止まった。

「ここから先は自然処理のできないごみ、またはごみになるプラスチック用品等は持ち込むことができません」

ゴールドマン知事の用意してくれた電気自動車は検査をパスし、さらに奥のジャングルへと向かっていった。自然保護区域のここの村では現在、石油や石炭は使用できず、環境負荷の低い薪と風力発電、太陽光パネルだけがエネルギー源となっている。村の入り口のそばには広いなだらかな丘があり、その周辺は畑になっている。村で食べる野菜や、あと最近は綿花も盛んに作られているらしい。

その後ろや村の周りは一面のジャングルで、ジャングルならではの作物が作られているという。そこを登っていくと開けた広い集落がある。いよいよ到着だ。

村では、プラスチック製品や粗大ごみのもとになる金属製品などにも規制がかかり、現地で作られる木製品、葉や樹皮、樹脂などを使った製品だけで作られた住宅や施設がマグナス達を出迎えた。

「おお、マット、よく来てくれた。今年はカカオの出来がいいぞ」

親友のアレックスリゲルが小屋から出て迎えてくれた。彼はもともと医者としてここに来たのだが、生物学や環境学にも精通し、貧しいこの村を何とかしようと活動している。彼はフェアトレードに今すべてを投げうって頑張っている。その貧しい村に最適な作物や手工業などを見つけて、その村そのものの力で村を豊かにする方策を開発していく日々を過ごしていだ。

この村ではもともとキャッサバやココヤシなどを伝統的に作ってきたが、1時はジャングルを焼き、焼き畑農業でプランテーション作物のバナナや油ヤシなどを栽培するようになっていた。ジャングルは荒廃し、結局村の貧困は続いた。でもアレックスが訪れてからここ数年は高額取引のできるコーヒーや胡椒、トウガラシ、カカオなど、複数の作物のアグリフォレストリーや、ネットでの直接取引などのフェアトレードに取り組んでいる。長期的に儲かる産業を根づかせながら、一度破壊されたジャングルを復活させていくのだ。

「ここの人たちは働き者で、しかも勉強家ばかりさ、きっと近いうちに名産物が生まれる」

そしてアレックスリゲルはマグナスを、村の広場へと連れて行った。子どもがたくさんいて、あちこちを走り回っている。まわりで家族が見守っている。この村では子育ては皆が協力して行う。そして意外なことにアヤコチェリーブロッサムには子育てプログラムや教育プログラムがインストールされていたのだ。赤ん坊をあやしたり、子供と遊んだり、なぜか秘書ロボットは大人気だ。

「世界中の手遊びや広場遊び、民話や童話など数万以上の使えるデータがありますよ」

そして、そこには泥だらけの1台のアンドロイドが転がっていた。すぐそばに、かわいい豚のロボットも倒れている。彼がマットが開発し、この村に送り込んだ多目的アンドロイドジムとピグだ。彼には道具箱アニマルロボットのピグを使って、手首の部品を交換することにより、ハンマーからのこぎり、ドリル、カッター、ねじ締めなど何でもできるし、肩から上がドローンになって飛び上がり、高い枝のフルーツを収穫することも得意、リヤカーと合体して、山道での農産物の運搬もお手の物だ。それが泥だらけになって動かなくなっていた。なんでも数日前にジャガーの谷と呼ばれているところで、謎の怪物事件があったのだという。マグナスが呼ばれたのはどうやらこのためらしかった。

「そんなばかな、怪物事件だなんて…」

アレックスリゲルが言った。

「確かジグには見たものを毎日1日分記憶する映像記録装置が付いていたね。それを動くようにしてもらって、事件の真相を調べたいんだ。もちろん人気者のジグも元通りにしてもらってね」

ここ数週間の間に山奥の谷で数人が行方不明になっていた。伝説の怪物が出るという恐ろしい場所だ。その怪物の谷の近くでアンドロイドのジグとピグが原因不明の土砂崩れに遭遇し、やっと掘り出してここまで運んできたのだという。ジムはどこがどう壊れたのか、もう電源も入らず、全く動かない状態だ。豚ロボットのピグは1mちょっとのジムの使う道具屋工具の動く収納箱で、こっちは元気にブーブー言っている。

「ジグはひどいな、明日にはメカニックのバーグマンも到着する、スペア用の部品を1セット持ってきてもらおう」

「ねえ、ジグは治るの?」

たくさんの子どもたちが集まって聞いた。ジグは人気者らしかった。

「ああ、明日部品が届けばきっと治るよ」

そのうちたくさんの村人が集まってくる。アレックスが進み出て、マグナスに1人1人を紹介してくれる。

「こちらが村長のドナスさん、こちらが長老のパオスさん、そしてこっちが…」

「マットマグナスと申します、よろしくお願いします。そしてこちらが私の優秀な秘書ロボットのアヤコチェリーブロッサムです」

中に1人中学生くらいの飛び切りの美少女がいた。アレックスが紹介してくれる。

「彼女はマリアンヌ。去年、海辺のパラソスという村で事故があって、お父さんやお姉さんが行方不明になってしまって、今はおばあちゃんと2人暮らしなんだ」

「アレックスさんがこの村に来てから、だんだん高く売れる作物もできて村も潤ってきたんです。一時荒れ果てていた森もだんだん元に戻って来たし、うちのおばあちゃんのトウガラシ畑も豊作なんですよ」

アヤコはというと、村人全員の顔データと肩書をまとめて村人リストを知らぬ間に作り上げていた。しかも感想を聞くと…。

「みなさん、本当にいい人ばかりですばらしい村だわ。それとあのマリアンヌっていう女の子、アレックスを見る目が違うわね。きっとアレックスに恋をしているわ。私のAIはそう分析したわ」

え、アンドロイドアヤコはそんな分析までするんだ?マグナスはちょっとおどろいた。

その日の夕方、村に現地のバイヤーのローガンと言う男が乗り込んでくる。なんだろうこの男は、ライフルを持って村に近づくと、村の入り口で一発ぶっ放した。とたんに村人たちはローガンが来たと震え上がった。ローガンはずんずんと村の中に踏み込んでくると、アレックスを指さして叫び出した。

「この許可証を見ろ、俺が正規の仲買人のローガンだ。3年前まではこの村の作物はすべて俺が買い取っていた。一体お前はどこから来たよそ者だ、はやく帰れ、そうでなければ命はないぞ」

この男が22年間、この村の作物を二束三文の値で無理やり安く買い叩いていた本島からやってきた武装商人だ。

ローガンが偉そうに前のメイランド知事の発行した仲買人許可証を振りかざしているのを見ると、アレックスはゴールドマン知事からの許可証を見せ、果敢に挑んでいった。

「新しい許可証だと?!バカ野郎、つまりは俺の方が昔から許可を得ているってことだ」

さらに2発銃をぶっ放した。村人の悲鳴が上がる。そしてアレックスと隣にいるマグナスに銃口を向けながら近づいてくる。

「さっさと失せやがれ、このよそ者が!」

瞬間マグナスも血の気が引いた。だがその時、銃口の前に進み出る者がいた。

「撃てるものなら撃ってみなさい」

なんとアヤコが腕を広げて近づいていったのだ。

「撃ってみろだと、おもしろい、じゃあ、撃ってやらあ!」

まさかローガンは、本当にトリガーを引いた。

ズガーン!

「な、なんだと!」

銃弾はアヤコの肩に当たって跳ね返った。アヤコのボディはそんなにやわではなかった。

「私はアンドロイドだから、痛くもなんともないわ。さあ、そのライフルをよこしなさい」

そしてアヤコは素早くライフルを奪い取ると、ぎりぎりと怪力で2つに折り曲げ、ぽいと投げ捨てたのだった。それにしてもなんて怪力だ。通常のアンドロイドの力とも思えなかった。

「くそ、覚えていやが れ、明日手下を連れてまた来る!」

ローガンはそう言い残して車のドアをばたんとしめると、急いで村から出ていった。歓声を上げる村人たち、そしてマグナスは、アレックスの案内で今日の宿泊場所へ向かった。

「リリエンタールホテルの系列って聞いてたけどな…」

村の横の坂道を少し登るとそこにたくさんのコテージに囲まれた木造の建造物があった。コテージのあちこちで風見鶏やプロペラの風車が回り、例の古風なハンググライダーのイラストも見える。

「へえ、リリエンタールロッジか」

実はこのパゾロ村の近くには、極めて美しいここだけにしかいない固有種のゴクラクチョウの仲間が生息していたが、ジャングルの荒廃に従って、1時は絶滅寸前にまで数を減らした。しかし長年の環境保護活動が実り、かなり数を増やしてきたのだ。今ではプロのナチュラルガイドに案内されてその貴重な鳥を観察に行くナチュラルツァーが大人気で、このパゾロの村が、リリエンタールロッジが、その観察基地になっているのだ。観光客が村にお金を落としていくようになり、雇用も生まれて村は確実に潤っている。これもアレックスの環境保護活動の成果であると言える。アレックスは、その貴重な鳥のアクセサリーや人形をお土産にしようと、村人たちといくつか商品を開発しているという。ふと見れば、ロッジの横には小さな野菜の畑があり、鳥よけにネットが張ってある。

「毎日おいしいサラダが食べられるように、テクポカって奴が無農薬でレタスやサラダ菜、プチトマトなんかを育てているんだよ。ほかの場所にも合って4か所ぐらいで栽培してるんだ」

するとそのテクポカと言う男が姿を現した。

「いらっしゃい、今晩は焚火を囲んでのアウトドア料理はいかがかな」

なんとロッジの管理棟から出てきたのは、マグナスが取り扱うアンドロイドたちより1世代前の旧型のアンドロイドだ。性能は基本プログラムが共通で、どのアンドロイドも一定以上の仕事ができる現在の量産型タイプとは違い、1台1台の性能が大きく異なる。とても専門性が高いタイプや、汎用性が高いタイプなどピンキリだ。

「シェフのテクポカです。リリエンタールホテルの総料理長からデータを受け取り、本格料理を野外料理風にアレンジしてありますからご安心ください」

全身ブラウンの地味なボディだが、どうやら能力は高そうだ。早速村人たちを集め、夕食の用意を始める。ロッジで働く村人たちが薪を割り、ロッジの前で焚火の用意を始める。日が暮れてきたところを見計らって、今度はアレックスが紫色のロッジの玄関のライトをつける。このライトの効果は絶大で、ジャングルの色々な蟲はライトの方に行き、焚火の料理には来ないのだという。炭火の熱ですテーキとソーセージがみるみる焼き上がり、さらに大きな鍋で極上のシチューが出来上がっていく。

「さあ、熱いうちにどうぞ!」

「いっただきます」

この旧型アンドロイドのテクポカの料理の腕は、見事なものだった。ただマグナスはこんなことをつぶやいた。

「なんだろう…昔、どこかで食べたことのある懐かしい味だな…」

静かに燃える焚火の日…。ロッジの夜は更けていった…。

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