1 明日への手紙、新しい秘書
物語は数年前にさかのぼる…。
マットマグナス(通称マット)は自立型アンドロイドの開発者、サクラアヤコはアンドロイド用の人工知能AIの研究者であった。大学の研究室時代からアンドロイド開発に苦労を共にしてきた2人は、マットが論文に描いたアンドロイドのイラストが面白いと打ち解けるようになり、やがて付き合うようになる。
2人とも研究都市の中を走る通学用ライナーという電車に乗って大学に通っていたのだが、通学途中にある自然観察パークで降りたり、その手前のグルメストリートでデートを重ねるようになる。だが社交的だったアヤコは同じ研究チームのケントから告白され、戸惑いながらも友人として一緒に騒いだりしていた。
やがて就職が近づいてきたころ、1つの事件が起こる。マグナスのいる研究室は引く手あまたで、大手の開発会社から強力なスカウトがあり、いつの間にか仲間は大手の就職組と自由な研究者組に別れてしまったのだ。大手の就職組だったケントは自由な研究を望むマグナスについていたアヤコをグイグイ自分の方へと引っ張り込み始めたのだった。
だが就職は本人が決めるものと自由な立場を守っていたマグナスは距離を置いていたためアヤコとの間はだんだん離れてしまっていた。
ところがある日、帰りの満員電車の中でマットが座っていると、目の前の吊革にアヤコがつかまっていた。あまりの偶然に2人とも驚いて挨拶だけしてその場は別れた。でもよく考えるほどにすごい偶然だった、マットは空いている席に座っているだけなので毎回場所が違うし、帰りの電車は混んでいるのでアヤコだってなかなか思い通りの場所に行けない。しかも1週間後、別の車両でマットが座っていると、また偶然アヤコが目の前の吊革につかまって立っていたのである。
また?2度目?ありえない…。驚いた。2人はさすがに運命を感じてまた付き合うようになった。彼女はそれを奇跡だと言って2人の将来のことまで考えるようになる。
マットは結局大手の開発会社にはいかず、学内ベンチャーに応募し、アンドロイドシステムの個人企業を作り、自立する。
そして1年、2年がたち、マグナスの自立型アンドロイドシステムはだんだん世間から注目されるようになる。そして、マットのアンドロイドシステムのベンチャー事業が軌道に乗ったのを幸いに、この春、2人は結婚した。大学の研究者用の住宅を借りて移り住んだ。もともと謙虚で決して威張ったりしないマットと、おちゃめで感性豊かなアヤコの2人は、のんびり楽しく暮らせたらと考えていた。新居は大学の研究施設が点在する科学研究都市モリセラム。もともと郊外の自然に恵まれたベッドタウンを再開発して作られたこの街は、自然と科学の共存をテーマとした街づくりを進めていた。
自動運転のロボット配送者がのんびり走り、配達ドローンがスカイロードと呼ばれる空の道を静かに飛んでいた。街のあちこちに緑やせせらぎがあるだけでなく、生産や物流、またデータ処理などのあらゆる仕事でロボット化が進み、さらに町中のあらゆる公共施設に、市民ならだれでも使用可能なコワークステーションがあり、それらを管理するビジネス管理システムも完備されていて、予約すれば好きな時間に好きな場所で働くことができた。
マットは午前中に研究施設での仕事を終わらせると自転車で並木道を帰り、午後はゆったり自宅周辺で仕事や自由な時間を楽しむことが多かった。自宅の近くにはスポーツ公園と湧き水公園がある。スポーツ公園にはテニスやサッカー、バスケットや水泳などの施設やランニングコースなども整備されており、気軽に汗が流せるし、併設のサポートセンターで着替えやシャワーも自由にできる。
マットがアヤコとよく出かけるのは湧き水公園の方で、裏に広大な森やハイキングコースがあり、そこから湧き出した湧き水やせせらぎ、その周囲を散策する遊歩道や美術館、図書館、さらに野外音楽堂も整備されている。そこはアヤコが好きなせせらぎの小道、2人はよく連れ立って散歩に出かけた。またアヤコはイラストを描くのが趣味で、ノートに相当数書き溜めていた。美術館のショップコーナーはアヤコのお気に入りで、アヤコはピエロデッラフランチェスカやフィリッピリッピ、ウィリアムブレイクの水彩画などの高精細複製画や、3Dプリンターによる有名彫刻のミニレプリカをいくつか買って自宅のあちこちに飾った。大学のマットのアンドロイド研究室にはレオナルドダビンチの人体図画飾ってあった。湧き水公園では、自然の多様性のための試みが行われ、野鳥や植物の観察会だけでなく、魚類や水生昆虫などの絶滅危惧種の復活プログラムなどが行われていて、最近ではホタルなども見ることができるようになった。スポーツゾーンにも自然観察ゾーンにもそれぞれいくつもコワーキングスペースの施設があり、予約すればジョギングや自然観察の途中で仕事をすることも可能である。マットの趣味はパソコンでゲームを作ること。仕事が終わって夕食までの約2時間、彼は遊歩道のそばのコワーキングスペースで、木漏れ日やせせらぎの音に囲まれて、ことこととパソコンのキーボードをたたくのが日課だった。
彼は小さなころから特撮ドラマ映画が好きだったが、ヒーローではなく、怪獣の方が好きで、将来は怪獣を主役にした映画を作るのが夢だった。そしてそれがある形で実現しようとしていた。大学の時のゲームシナリオ同好会で取り組んでいたゲームが、社会人になって実現しようとしていた。
好きな怪獣をデザインし、戦い方や必殺技を自分で決めて、矛盾した人間社会へと送り込むパソコンゲーム「怪獣ハート」が、製品化されて世に出たのだ。何が目的で乗り込むのか、街でどんな暴れ方をするのかとか、ラストがどうなるのかも自分で決められ、最後は、その怪獣の出現から最後までが映画のように編集される。勝ちも負けもない。そこに織り込まれるドラマ性やメッセージで見せる映画ゲームだ。怪獣のデザインや設定はそれこそ数えきれないほどあり、融合や自作も可能だ。怪獣を倒す敵も戦車や戦闘機だけでなく、特殊兵器や巨大ロボ、怪獣同士の戦いまで選べる。世界のどの街をどのように襲うか、主人公やヒロインの配役も選べた。
最近はネットで怪獣ハートのコーナーがあり、怪獣同士の対戦や人気投票、怪獣ムービーのコンテストなども行われている。ちなみに前回の優勝は、アメリカ在住の、マーチンシュレイダーを代表とするチームバベルだった。腕自慢が5人で競い合って作った五匹の怪獣が東京に上陸、お台場や秋葉原、新宿やスカイツリーと言った名所を破壊しながら格闘し、一番強い怪獣を決めるというドキュメンタリー仕上げの映画だった。一番強かったのはカバの怪獣ヒポクラッシャーだった。水陸両用な上に、巨体で突進してのヒポアタックやボディプレスが強烈で、あの大口でがばっと噛みつくヒポクラッシュは無敵だった。この怪獣ゲームはネットユーザーから愛され、副職として会社にも正式に認められ、彼の実益を兼ねた大事な趣味となっていた。
そのコーナーの常連に天才アーティストとその名も高いイラストレーターのユリアンエミールや最強のゲームプレイヤーのメロリアドミニクと言った才能のあるメンバーもいて、バージョン3では、怪獣の基本デザインや部品をユリアンが担当することになった。
オープニングタイトルには、ユリアンのデザインした怪獣がずらりと並んで凄い迫力であった。中央には大きな口と突き出た目の巨頭の古代魚怪獣ゾーマカンス、重厚な鱗がごっつい、立ち上がるワニ怪獣カイザーダイルー、そして狛犬そっくりの金歯の怪獣シンバワーム、そして格闘ランキング1位のカバの怪獣ヒポクラッシャーがそのユーモラスでごっつい顔を並べている。さらにその後ろには奇怪な1つ目の人で怪獣パメラキリオ、狂暴な3つ首怪獣ケルベヒドラ、不気味なハナカマキリ怪獣ドリアードマンティスがこちらをにらんでいる。そして人気のアーマーゴリラのテリブルクローと長い牙がかっこいいタイガニクス、そしてこれも人気の電撃怪獣サンダーアームとマグナス考案のメタルマグナスが4天王のていで顔をそろえている。
さらには体の鎧の中からウツボのような首を伸ばすアーマーイールのずらりと並んだ鋭い歯や、山を揺るがす巨大イノシシ怪獣キングストームの鎧のような顔のコブと鋭い牙、狂暴で暴れ出すと手の付けられない七面鳥怪獣ティラノタキスの派手な飾り羽、ナメクジ怪獣メルトタキオンの目と目の間隔が開いたとぼけた顔、そして肉食昆虫怪獣メガシデム、ギガシデムの凶悪なあご、長い耳とさけた口が魔王のようなコウモリ怪獣サタンバットも目に付く。そしてすべての怪獣の後ろには体中から数十本の奇妙な管が突き出た、不思議でどこか不吉な異次元怪人ダクトモーフィスが、不気味に笑い、友好的な直立二足歩行のイカ、イカミリア人がほほ笑みかける。知能の高い怪力のナポレオンウータンがおどけた顔を見せ、そして、島のように大きなクラゲ、ブラッククラーケンが不敵な笑顔を浮かべ、右の拳を振り上げた光の巨神ナックルカイザーが底知れぬ光を放っている。
それぞれの怪獣をクリックすれば、全身の動くCGアニメーションが見られる。全身像、歩いたり泳いだり、上陸して暴れまわったりイメージがよくわかる。
マグナスはユリアンの怪獣のデザインをほめた。特に評価が高かったのはマグナスが自分の名前をつけた怪獣、オオクワガタに似た地底怪獣メタルマグナスのデザインだった。
マグナスが考えた最初のデザインは、メタルの鱗の4本足のモグラのような地底怪獣だったが、ユリアンの手によって、体はメタルの鱗を持ったモグラ、そして頭部と首から背中はオオクワガタのように改造されたのだ。ユリアンは言った。
「だって、メタルマグナスは、基本性能が高いだけじゃなくて、実際に戦闘シミュレーションをしたら、重心が低くて、敵の攻撃が当たりにくいし、こちらの攻撃も低いタックルから、スープレックスみたいな派手でダメージの大きな投げ技がいくつもできるからね、そこをさらに強調したわけ。ただの殴る蹴るだけの怪獣じゃないから、それにふさわしいデザインにしたのよ」
そしてユリアンは、この新メタルマグナスでヨーロッパ地区で優勝してしまったのだ。
「ありがとう。あと光の巨神ナックルカイザーのデザインも気に入ったよ」
「なら、よかった。怪獣を倒せる唯一の存在だっていうから、難しかったわ」
「怪獣ってのはね、人間や人間の通常の兵器で簡単にやられちゃダメなんだよ。それを超越した力でなければ倒せないんだ。だから光の巨神は現実離れしたデザインでとてもいいと思ったよ」
そして今年は正体不明の謎のトップゲーマー、メロリアドミニクがゲーム画面やシステムをさらに練り上げ、巨大化回路を組み込み、巨大感やリアル感がぐっと増したゲームに生まれ変わった。同じようなデザインでも巨大化回路で処理すると、身長5mや40mの動きに代わり、ゆっくり動いているように見えて、動きにためやメリハリがつき、スピード感や破壊力が数段アップして見えるのだ。マグナスはたいそう喜んだ。
「凄いよメロリア、これでこそ本当の怪獣のゲームだよ。いやあ、すごいなあ」
「うれしい、やっぱりマグナスさんは、一番大事なことがわかってるわ!」
マグナスは夢見る男の子のような純粋な面があり、アヤコはそんなところが大好きだった。また、このモリセラムの街は、中心を少し外れれば、地域の特産物の農園や市民農園なども盛んで、新鮮な農産物を売り物にする地元のレストランも軒を並べている。
「今日は金曜だから、テフカに行かないか?」
「オーケー、私も行きたかったの」
マグナスがニコニコしてアヤコの手をとり歩き出す。テフカは最近の2人のお気に入りの農業レストランだ。2人の自宅から、せせらぎの遊歩道をしばらく歩き、楢木商店街に入るとすぐ右にある。テフカと言うのは、環境に低負荷と言うことから名付けられた店名で、有機野菜や植物性タンパク質で作られた代用肉などの農業料理の店だ。
自分の畑で採れた無農薬野菜を中心に、このエリアで採れた規格外の野菜も細かく切ったり、煮込んだりして使うし、皮や根まですべて使いきるフードロスゼロを目指す店なのだ。
この店は地元の農家の若い夫婦がやっている店なのだが、シェフやパティシエ、ソムリエなどの資格を持つ若いママたちが午後だけとか、週末だけとか、水曜日だけとか自由にシフトを組んで働いている。それぞれ来た日に得意料理を作って出すのだが、金曜日は4人いるママメンバーの全員が夜にはそろうということで色々なメニューが食べ放題なのだ。
タマラは育ちなじんだ北インドのカレーが得意なのだが、それをさらに日本風にアレンジして出してくれる。ニンニク、ショウガ、玉ねぎを良く炒め、そこにクミン、コリアンダー、クローブ、ターメリック、レッドペッパー、そして少量のフェンネルとカルダモンを入れて香りをたてる。そこに本物そっくりのくせのないマトンの大豆ミートの肉を入れて焼き目をつけ、スープストックと香味野菜で煮込んでいく。最後に地元のヨーグルトとマンゴーチャツネ、たっぷりのチーズと自家製のガラムマサラをかけて完成させる、チーズマトンカレーが今日なら食べられる。ローラの得意技は大豆ミートのステーキ、牛肉や豚肉などに近い植物性油脂を使い、グルメやマニアが食べても、まず見分けがつかないビーフステーキも、赤身タイプ、霜降りタイプ、熟成肉タイプ、若牛タイプと種類が色々あり、また味付けや焼き方も思いのままだ。セットについてくる全粒粉の天然酵母のもちもちパンも大評判だ。この店では本物そっくりのエビやカニのすり身製品も色々扱っていて、ビアンカの特別性マヨネーズドレッシングで食べるお得意のエビ・カニのキングサラダも今日なら食べられる。さらに今夜ならトミコの豆乳バニラアイスを添えたシナモンたっぷりのアップルパイも食べることができるのだ。
そして週末には2人は庭で土と触れ合うのがお決まりだった。マグナスは恩師のマキシマ博士から自然農法についてけっこう仕込まれたのだという。
「マメ科の植物を一緒に植えると土が豊かになり、にんにくやハーブを植えると虫よけになるんだ。雑草は適度にはやしておくのがコツさ。もちろん野菜には日光がよく当たるように気を付けないといけないけどね。ポイントは耕さないで色々な生物と共生させるとおいしくできるのさ」
さらにアヤコが生ごみ乾燥マシンで作った乾燥生ごみと落ち葉、土、精米機から出たぬか、におい止めのコーヒーかすなどを入れたお手製のたい肥が大好評、四季折々に色々な野菜を作り、それが食卓に並んだ。
去年からは1階のサンルームを密閉し、夜間用の青と赤のLEDライトも取り入れて水耕栽培セットを買い、レタスやサラダ菜、ルッコラ、シソ、ニラなどのサラダ野菜の無農薬栽培も始めた。アヤコは、野菜の世話をしたり、料理をしたりするとき、怪しい替え歌をうたったり人形の真似をして、よくマグナスの笑いを取った。内容は他愛のないもので、森のくまさんやコマーシャルソングの言葉を別の言葉と置き換えて、意味のあるような無いようなおかしな歌に変えて続きを歌ったり、親戚の姪っ子と遊ぶときに使うガーガーいうアヒルちゃんや甘えん坊のたれ耳ワンちゃんの真似をアニメの声優張りに演じたりするのだ。
「そんなアニメみたいなかわいい声で何おかしなこと言ってるんだよ!」
マグナスが笑いながら突っ込むと、それをうれしそうに繰り返すのだった。2人とも料理上手で、調理器具や低温調理などにこだわる夫と、旬の食材や食器などにこだわる妻はお似合いだった。
また自分のアンドロイドシステムを提供する個人会社を立ち上げ、社長に収まったマットには、研究開発者には不似合いな事務仕事から営業、アンドロイド組み立て工場絵の発注、運営管理などのあらゆる仕事が押し寄せた。だが、もともとマットの身の回りの世話や毎日のスケジュール管理などを得意としていたアヤコは、自分のAI技術を生かし、まずはマットの小さな会社の事務仕事の完全AI化に成功、簡単なキーボード操作だけで、難しい事務仕事がマットの会社から消え去った。さらに報告書システムのAI化、音声入力による企画書のAI化、工場への発注や製品管理のAI化などを次々に成功させ、さらにそのシステムを売って収益を上げた。もちろんマットの毎日のスケジュール管理なども賢くこなした。
「君は仕事の上でも最高のパートナーだよ。社長の仕事が9割がた減って、研究開発の仕事に専念できる。すばらしいよ」
「ありがとう。お役に立ててうれしいわ」
マットはそんなアヤコが大好きで、どこに行くにも連れて歩いた。いや、スケジュールを決めているのはすべてアヤコだったから、アヤコがマットを一緒に歩かせていたというべきか。
「ふふふ、マット社長の専任の秘書になった気分ね」
そんなある日、マットは心に思っていたことをアヤコに言ってみた。
「仕事も落ち着いてきたので…そろそろ子どもも欲しいね」
マットの真剣な表情にアヤコもほほ笑んで答えた。
「うん、私も、最近そう思っていたところだったの」
2人は目をあわせて笑った。マットの瞳がきらきら輝いているのを見て、アヤコもとてもうれしかった。
そんな妻が、ある日病院から帰ってきてから様子がおかしくなった。しばらくの間仕事からの帰りが遅くなり、何かに取り組んでいるようだった。でも、マットはのんびり構え、決して文句は言わず、得意の料理を用意して妻の帰りをゆっくり待っていた。
ある日妻が言った。
「私の帰りが遅いのをしかったりしないの?」
「ああ、アヤコを信じているからね」
「ありがとう」
でも、そんな日々が続いた後、アヤコは打ち明けてくれた。
「実は私、乳がんらしいの」
そういえばマットの研究が忙しくて大変だったころ、何度かアヤコは検査に行っていたことがあった。でもアヤコは乳がんが発見しにくい体質とかで、何度も再検査になっていた。あの時、一緒に行ってあげていたら、じっくり調べていたらもっと軽くて済んだかもしれない。でもそれもできず、アヤコも精密検査のできる病院が遠かったこともあって延び延びになっていたのだ。でも今度は精密検査ができて、来週結果が出るのだった。
「お帰り、乳がんの検査の結果はどうだった」
「夕食の後に教えるね」
マットお手製のやわらかローストビーフを食べてから、結果をマットに知らせる。
「そんな、うそだろ…?!」
ガンはすでにあちこちに転移していた。結果は手の打ちようのない残酷なものだった。
2人はただ抱き合って泣いていた…。そしてアヤコは何かを決意し、計画を立て、未来の自分へと手紙を書くのだった。
そしてそれから1年数か月の間、アヤコは何かに取りつかれたようにAIの研究に打ち込み、やがてベッドに寝たきりになってからも何かのプログラムを打ち込んでいた。
「ねえ、アヤコ、苦しいだろうに、君はいつも僕が来ると笑顔で迎えてくれるね」
「だってあなたが、笑顔が好きだって言ってくれたから…」
「ありがとう…」
「もうすぐ私はいなくなるけど、すごいものがあなたのところに届くから驚かないでよ」
アヤコはそう言って、ベッドでくすりと笑ったのだった。
アヤコはそして、だんだんしゃべれなくなり、やがてマットの手を強く握った日に、眠るように旅立ってしまった。
「アヤコ…、早すぎるよ、僕は一体どうしたらいいんだ…」
あんなに仲の良かったパートナーを急に失い、マットの悲しみは計り知れなかった。
だが、その悲しみもいえぬうちに、ある日、マットの会社から、大きな箱が届く。
「一体なんだ…俺は聞いてないぞ。まさかアヤコが言っていたものって…?!」
届いたもの、それは新開発の秘書アンドロイドだという。箱を開けてみる。
「…うそだろ…」
それは金属製ではあったが、あきらかにアヤコに似せて作ったアンドロイドだった。マットの開発したアンドロイドの素体にアヤコの外見をコピーしたボディ、それにアヤコの作った新開発のAIをのせた秘書アンドロイドだった。背の高さから外見から瞳の色から声質までアヤコに瓜二つに作ってある。
一体アヤコは何を考えてこんなものを作ったのだろう。起動する。秘書アンドロイドが瞳を開けてアヤコにそっくりな声でしゃべりだす。
「はじめまして。私は、サクラアヤコをもとに作られた秘書アンドロイド、アヤコチェリーブロッサムです」
本物そっくりの自然なしゃべり方に、思わず涙がほほをつたう。
でも現在のアンドロイド法では、皮膚や質感まで人間にそっくりに作ると、犯罪等に使われることもあるので、特別な必要性がなければ認められていない。…。アンドロイドはあくまで機械人形と言う位置づけなのだ。そして自立型アンドロイド、アヤコチェリーブロッサムは動き出した。
「驚いた…アヤコはこんなことまで考えていたのか」
なんということ、アヤコは、秘書としてのスケジュール管理やジム仕事はもちろん、洗濯や掃除、マットの身の周りの世話から、あの得意だった料理まで、本人そっくりにこなし始めた。もちろん家庭菜園の世話から、自分では食べないものの、いつもの散歩やテフレに行ってのマットのメニュー決めにまで口をはさんだ。洋服から身の回りの小物まですべてアヤコがやっていたとおりにこなした。
お買い物までしたがるのには驚いたが、家計簿の計算まで無駄の出ない完璧さで、家計はかえって楽になったかもしれなかった。
そんなある日、マットに緊急の仕事が舞い込んだ。太平洋の海外出張の話だった。
その日の朝早く、マットの枕元にアヤコチェリーブロッサムがやってきた。
「おはようございます、秘書のアヤコチェリーブロッサムです。もう荷物やパスポートなどの手続き関係はすべて整っています。あと私の通訳システムは100か国語以上に対応していますから、今回は通訳不要となります。あと、あなたが強く望んでいたメカニックのバーグマンは1日遅れで現地に向かいます。あと45分でここを出れば、うまい具合に飛行機に間に合うはずです。ちなみに朝食のオムレツとサラダがリビングにできていますよ」
「ほう、ちょうどアヤコのオムレツが食べたかったんだ。う、うまい、完璧だ。流石だね」
そして新しい秘書との初めての旅が始まったのだった。
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