後編 お姉様に無理やり謝ってきてと言いつけました

 わたくしはマリオン・アドラム。男爵の両親と二歳上の姉がいる。十五歳で、今は王立学院の一年生というのがわたくしを表すすべて。


 学院では周りに合わせて淑女科に通っているが、授業内容には正直物足りずに退屈していた。そんな時、趣味で書いた論文がたまたまある方の目に留まったことで、大学院の研究室や授業への出席を許されて、こちらにもこっそり通っている日々。


 大学院には自身の専攻科目を極めるために通う人間が多いので、女性はとても数が少ない。また自身の研究以外に興味が薄いからか、基本的に入構許可証さえ持っていれば何も言われない。

 そんな環境なので、ここでは普段学院淑女科でのわたくしとは全然違う素の部分を出しても、女の子は元気だなと思われる程度なので少し気楽だ。


 だが、多かれ少なかれ、女は装う生きもの。

 学院の同級生達もわたくし同様に素ではないだろうし、女性はこうあるべきという無言の圧力を勝手に感じてしまって、自ら抑圧されているのだろうな思ったりもする子もいる。


 この時代の多くの女性はそういうもの。

 だというのに、わたくしのお姉様は違う。

 お姉様は、何というか人前で装いなんて考えず、鎧なしで戦場を戦場と思わずにのほほんと向かってしまうような方なのだ。

 身の内にドロドロしたものが一切ないのではないかと思わせるほど清廉で、人の嫌がることは絶対にしない。だがその代わりに人の機微に少し鈍感というか、おっとりさんにも程があるような毒気ゼロの女性なのだ。


 こんな人だから、女性にはまず嫌われないし、時に利用しようとする人が現れても、利用されていると思わずにどんどん協力して周りを巻き込んで行くので、最終的には相手が毒気を抜かれてお姉様を好きになる(もしくは近寄らなくなる)。


 これで十七歳なのだ。純粋培養というか生まれたままの人なのかもしれない。


 しかし、ここのところ気になることがある。

 学院に通う内に少しずつお姉様にも誰かの悪意が染みてしまったのか、キラキラとしたホワイトブロンドの髪を色味が薄いと気にしたり、自身を地味だと思い込んだりしている節がある。


 綺麗な御髪なのに!! 美人なのに! 誰だ、お姉様にそんな事を吹き込んだのは!

 

 そう、わたくしは結構な『お姉様至上主義』なのだ。




     ◇     ◇     ◇




 仮面生活を行っている学院淑女科でのある日、同じクラスのパトリス・オルグレン伯爵令嬢に声をかけられた。


「アドラムさん、お時間ありましたら少しよろしい?」

「ええ、かまいませんけれど、何でしょうか」

「実は先程出されたレポートのことで、相談に乗ってもらいたいの」

「······では図書室にまいりましょうか」


 直観としてこれは何かあるなと思った。

 家格が上のご令嬢に『お願い』されて断れるわけもない。

 ただ、パトリス様とは今までほとんど交流がないので、その思惑が何か、想定出来ない。何だろう? 

 面倒事に巻き込まれないといいが、と内心思いつつ、わたくしは笑顔を浮かべてパトリス様に続いて速やかに図書室に移動した。



 そこでしばらくは本当にレポートの質問を受けるが、彼女は優秀な方なので、この程度の問題にわたくしの意見など必要ないはず。だが本題に行き着くまでの儀式として質問され、答える。


 しばらくすると、一区切りついたご様子のパトリス様が本を閉じて微笑んだ。


「ありがとうございます。後は自宅でどうにか出来そうですわ」

「お役に立てたなら僥倖です」

「そうそう、話は変わりますけどね」


 ほら来た!


「わたくしの兄をご存知かしら?」

「ええもちろん」


 有名な男だ。

 ジェレミー・オルグレン伯爵令息。

 お姉様と同じ二歳上の方で、美麗。経営科での成績も然ることながら、芸術に造詣が深く、また剣技や武術、弓の技術も素晴らしいと聞く。

 お姉様から名前を聞いたことはないが、大柄で目立つ風貌をしておられるので、お姉様も存在は知っているだろう。


「兄がね、後生大事に持っているものがあるの。何だと思われる?」

「いいえ、見当も付きませんわ」


 この話、どこに進んでいる?

 何か物凄く嫌な予感がする。


「兄が初恋の方から貰った刺繍入りのハンカチなんです。でもね」


 パトリス様は言葉を一度切って、笑みを深めながら言葉を繋げる。


「わたくし、それと全く同じ図案のものを別の場所で見たことがあるのです。大変素晴らしい出来でね、クラスで褒められていたわ」


 わたくしが以前お姉様に刺してもらった刺繍課題のことか。あの時お姉様は出来上がったものを失くしたとかで作り直していたが、それを彼が持っているということ? いつの間に?

 ――そうか、お姉様が標的か!


「ねえアドラムさん。わたくしたち、別の場所でもう少し話し合う必要があるのではなくて?」




     ◇     ◇     ◇




「あー、面倒事に巻き込まれたわ······」


 わたくしはストレス解消のため、大学院の方の図書室へ立ち寄っていた。

 ここでは学院より高度な専門書や最新の研究論文などが豊富に揃っていて、あれこれ読み比べるのも楽しい。それから知識欲の高い司書さんが本当にすごくて、あらゆる見地から参考文献情報がもらえるので、痒いところに手が届く存在というかとてもありがたいのだ。自分では手を出さない分野の本からとても良いデータが引き出せたり、ということが出来ているのも、ここの司書さん方のおかげだ。


「マリオンさん、何か厄介ごと?」


 そう話しかけてきてくれたのは、司書のニールさん。いつも眼鏡にぼさぼさ頭だが本の知識は半端ではなく、話しやすいこともあって、よくあれこれ聞いてもらっている。


「ええ、まだ分からないのですが、その臭いはぷんぷんしてるので憂鬱なのですよね」

「ふうん、まあ君は人と関わるより本を読んでいたいタイプですからね」

「そんなこともないですわ! わたくし、あちらではきっちり擬態してますもの! 可愛くお淑やかにしてますわ」

「うーん。でもそれ多分バレてると思うんだけどね。そうだ、またマリオンさんが興味ありそうな資料を見付けたんだけどさ」


 そう言ってニールさんが差し出してきたのは年度末に各領主が国に提出する領営報告書だ。


「その中でもさ、昨年度のソックウェル家のは読み応えあったよ」


 お姉様の婚約者、チャールズ・ソックウェル子爵令息の父が治める領地か。


 昨年のソックウェル領では、近接する海上付近で発生した竜巻が猛威を奮ったせいで、今回海岸沿いの領地に甚大な塩害が起きてしまったらしい。


 お姉様と婚約を結んだすぐ後にこの被害が出たというタイミングも悪かったのだろうが、彼は現在領地に引き籠もって何とか復興させようとしている。


 その姿勢は立派だが、全くお姉様に会いに来ないのだ。

 お姉様はそれですっかり自分に魅力がないせいと思い込んでしまっているし、チャールズ様がもう少し融通の利かせられる男であったならいいものを、自領復興の目処が立たないことには、結婚なんてする金銭的余裕もないと、どうも思い込んでいる節があるのだ。


 元は快活ながら真面目で良い方と評価されていたのだが、今は心にゆとりが無いのかお姉様との手紙のやり取りもほとんど見受けられないし、これでは進むものも進まないだろうと頭が痛い。


「ニールさん、これちょっと読んでもいいですか?」

「外に持ち出さなければかまわないよ」


 礼を言って読み進める。

 なるほど、表面の海水を被った土を撤去して、とにかく水で洗い流した、と。

 広大な範囲であるなら、さぞ大変な作業だ。チャールズ様方も男手として手伝ったのかもしれない。


 ついでに他領の報告書など併せてざっくりと読み終えて帰宅する頃には、頭の中がだいぶ整理出来ている事に気づいた。




     ◇     ◇     ◇




 それからは早かった。

 まず、わたくしはパトリス様経由でジェレミー様とお会いした。


「やあ、初めまして。あなたが本物の『マリオン』嬢なんだね?」

「そうですわ、ジェレミー・オルグレン様。推理が当たってようございました」

「おや、意外と手厳しいね」


 自分と会っても擦り寄ってこない女性が珍しいのか、少し眉を上げてこちらを見ているジェレミー様に、パトリス様が笑い声を立てた。


「お兄様、マリオン様に協力していただかないと何も始まりませんことよ。マリオン様、気を悪くなさらないでね。兄はずっと『マリオン』を探していたものですから」


 オルグレン家の四阿でパトリス様とお茶をしているところに、ジェレミー様が挨拶に入ったという形で彼は自然と席につき、彼はお茶とお菓子の追加を頼む体で侍女を引き離した。


「まずはお気持ちからお聞かせいただけますか? そもそも姉とは学院で交流があるのですか?」


 今までお姉様から噂話にも上がったことのない男だ。絶対ないことは確信しているが、牽制も込めて聞いてみる。


「僕は、あのハンカチを貸してもらった時から彼女との再会を望んでいた。マーゴット嬢が彼女だと知れて、一度廊下ですれ違う彼女の重たい荷物を運ぶ手伝いをしたことはある。ので、そこで認識はされたと思う」


 ふむ。お姉様を忘れられないと。趣味は良いようですわね。だけれど婚約者のいる女性に積極的になれないというところか。

 婚約が調う前に動いてくれれば良かったものを。


「再会は叶った。それ以上に何かお望みでも?」

「僕はマーゴット嬢と結婚したいと思っている」

「顔見知り程度にしか知らない相手とですか?」

「間接的には色々知っている。······先頃の美術館で開かれた刺繍コンテストの授賞式と、展示も観に行かせてもらったし」

「そうね、お兄様ったらわたくしの付き添いという体で来たわりには、食い入るようにマーゴット様の作品を見てらして周りには怪しまれていたかもね」


 刺繍コンテストというのは毎年テーマを決めて開催されるもので、テーマに沿っていればあとは大小自由に作品を作って誰でも応募出来るというものだ。

 平民のプロの方が上位を占めることの多い中、お姉様は今年、五人しか選ばれない優秀賞を受賞したのだ。もちろんわたくしが『参加して下さらない?』と可愛らしくお姉様にお願いしたのだが。


「それは相当に執着が強うございますこと」

「ああ、だから聞かせて欲しい。サックウィル殿と一緒に居るところをお見かけしたことがないが、マーゴット嬢は彼とうまく行っているのだろうか?」


 お姉様が大事にされていないと思っているのか、ジェレミー様は少し辛そうな顔で質問をされた。


 ――これは『本物』だ。

 お姉様への思いはだいぶ厄介で重苦しそうだが、伯爵家嫡男なのも評価が高い。

 それならば。


「······サックウィル領近郊の海上で昨年発生した竜巻のことをご存知でいらっしゃいますか?」

「ああ、土壌に海水の悪影響が出て作物が枯れてしまったと聞いている。お気の毒なことだ」


 パトリス様が不思議そうに言葉を挟んだ。


「マリオン様、その災害のことがどうかなさいまして?」

「ええ。時にオルグレン家では鉱山開発が盛んですわね? そこで採掘されるあるものを融通していただくことは可能でしょうか?」

「そのものにも依るが······。マリオン嬢、何を求めている?」


 訝しそうなお顔になるジェレミー様に、わたくしは悪辣な笑みを浮かべた。


「それを破格でお譲りいただけるのでしたら、わたくし、世に言う『悪役令嬢』となってオルグレン様の望む画を描こうと思いますの」




     ◇     ◇     ◇



 


 それから数日経ち、オルグレン家から例の件の内諾の連絡をもらい受けたので、わたくしはチャールズ様に連絡を取った。もちろんお姉様には内緒でだ。


「わざわざこのような場に呼び出して、どういうことですか? マリオン嬢」


 大学院の図書室。予約制の勉強室のひとつにチャールズ様は現れた。

 久々にお会いしたチャールズ様は以前より日に焼け、精悍なお顔になっているように思えた。

 だが、お姉様ではなくわたくしに呼び出されたこと、また場所が我が家ではなくチャールズ様自身が休学状態になっている大学院を指定されたことに不信感を抱いているようだ。


「お話がある、とお伝えしたはずですわ」


 落ち着いて向かいの席を指し示すと、チャールズ様は黙って着席された。


「マーゴット嬢には大変申し訳なく思っています。領地の件が落ち着き次第改めてご挨拶に伺わせてもらうつもりです。ちょうど今王都に来たので、近日ご都合を伺ってから······」

「そのことですが」


 さあ、ここからが正念場だ。


「チャールズ様、わたくしと共に悪役になっていただけませんか?」

「······どういう······? 私が気に入らないと言いたいのでしょうか?」

「いいえ。ですがある意味では、はい。ですわね」


 チャールズ様がぐっと息を呑み込んだが、かまわず続ける。


「いくらお家のことでお忙しい事情がお有りとはいえ、お姉様に対してあまりにも疎かにするその態度がよろしくありませんわね」

「それは······、こちらの不明を恥じるばかりで申し開きのしようもないが」

「ただご事情がご事情だというのも分かります。そこでご提案なのですが」


 すう、と息を吸うと、机に先日の報告書を出しだ。


「わたくしは、こちらのサックウィル領の昨年度版領営報告書を拝読いたしました。文責はチャールズ様ですわね? また、わたくしは他領の報告書も併せて読みましたの」


 ピクリと片眉が上がったようにも見えたが、チャールズ様は警戒心を緩めない、


「そこで、鉱山運営を営んでいる各領地での採掘物品とその用途、流通先を調べましたの」

「······続けて下さい」

「とある領地で石灰岩、いわゆる石灰石の採掘が増加しており、またそれは自領の建材として多く利用されているとのことですが。石の切り出し場近くには数年前に塩害で排除した土が盛られた場があるということでした。この塩害を受けた盛土はいくつかの場所にあったようなのですが、石切り場近くの盛土にだけ、ある有益な変化が見られたということです」


 チャールズ様は何も口を挟まない。関心を示しているだろうか?


「そこでわたくしは、採掘された石――特に石灰石を切り出した際の粉が塩害で汚染された土地の改善、除塩に役立つのではないかと思いました。聞くところによると、隣国の沿岸地では地質浄化のために石灰石の粉を海水を浴びた土に混ぜているそうなのですわ。ここから、隣国の地質浄化についても調べました」

「ああ、私も先頃その論文は読んだ。石灰石を加工したものを利用すると」

「そうです。石灰石を高温で焼いて粉末にしたものを利用したり、ある貝殻を砕いて粉末状にしたものもあるようですの。それを先程の、とある領地の方にお話をしまして、塩害を含む農耕地の土壌改良に石灰石を利用する研究をしようというお話になっております。わたくしは、その実験の場としてサックウィル領を候補にしてみてはと勝手ながらお話しています」

「······それは。少しでも除塩、土地の浄化が進むのならば大変ありがたいが」

「ええ。この問題は今後他の領地でも起こりうる懸念課題です。ですので、国を巻き込んで国家として取り組むべきとして、かの領地の方から国の研究者に話を通していただきました。そして今は隣国でそのノウハウを学べないか国家間で話し合いを始めるところです。もちろんそのお話の前に、かの領地での石灰石切り出し時の粉砕石及び粉末の融通は、チャールズ様がある条件を呑んでいただけるのならば、確実に取りまとめられます」


 チャールズ様は眉間の皺を深くして首を振る。


「申し訳ないが、一介の学院生の、しかも男爵家のあなたが他領の採掘物のことでそこまで権限を与えられているとは、にわかに信じられないのだが」

「ええ。信じられなくとも、すでに先方様から確約していただいていますの」

「······魅力的な話だが、不確かなものに対して、ここで即決は出来ないが」

「では、ひとつの保証を見せましょう」


 そう言ってわたくしは奥の手を出す。

 この図書室の影の主である王弟殿下の推薦状だ。


「わたくしは、かの方にお認めいただき、大学院への入構許可証を発行されましたの。そんなお方の名を汚すことを、男爵家の身の内でなど出来ることではありません」

「······そう、でしょうね」

「ですので、信じていただけませんか? そうでないと先方様のお名前を出すことがかないませんの。そして悪役になっていだきたいというお話も」


 チャールズ様はしばらく黙りこくっていたが、やがて諦めたように笑みを見せて答えた。


「分かりました。このお約束がどうなるのか皆目見当が付きませんが、王弟殿下を謀ることはあり得ないでしょう。お受けします」

「······よろしいのですね? 本当に」

「ええ。我が領は現在本当に力が落ちていて、活性化させる何かがないと領民を鼓舞出来ない程なのです。いずれ跡を継ぐ兄に悪名がつかないのであれば、私は······。こんな言い方をするとアドラム家の皆様に不義理かと思うのですが、偽ざる本心です」


 その疲れたような、吹っ切れたような微笑みの表情は、何故だかわたくしの琴線に触れた。


「では申し上げます。まずチャールズ様、あなた様にはわたくしと秘めた恋に落ちていただきます」

「え、何と言いました?」

「そのままですわ。そして、わたくしに心変わりをしたとして婚約者を変更し、わたくしと『真実の愛』を貫いていただきます」

「それが条件、なのですね?」

「ええ。もう計画をお話してしまいましたので、申し訳ありませんが、このまま進むしかありません。そしてわたくしとアドラム家を継いでいただきますわ」

「えっ? ではマーゴット嬢は······」

「その辺りはお気遣いなく。あなた様にお願いしたいのは、わたくしと恋に落ちた演技をしていただいて、実際にわたくしの婿としてアドラム家に入っていただく、この二点なのです」


 チャールズ様はじっとしたまま目を閉じている。


「姉は当主という役が絶望的に向いていませんわ。あなた様が守って下さるにしても、本来ならもっと穏やかに妻として暮らせる場所の方が合っているのです。そしてその場所は必ずわたくしの手で姉の元に届けます」


 少し皮肉げに、物語の悪役令嬢風に口角をあげて話してみると、チャールズ様のその閉じた瞼が僅かに瞬く。


 ――あともう少し。


「チャールズ様、わたくしと一緒に泥を被っていただけますか?」




     ◇     ◇     ◇




 チャールズ様をなんとか口説き落として、わたくしは仕掛けた。


 オルグレン家から融通された石灰をサックウィル領の塩害地に撒いて領地回復の兆しを見たところで、チャールズ様をこちらに呼び寄せた。


 そしてお姉様にわざとわたくし達が親しくしているところを見せる。ちなみにお姉様が卒倒したのは想定外だ。たしかにチャールズ様の肩に頭を乗せるくらいの距離だったが初心なお姉様には刺激が強すぎたらしい。


 互いの両親にはチャールズ様との子どもが出来ているかもしれないことを匂わせて、婚約者変更を了承させる。


 事前にジェレミー様には素知らぬ振りで当家にお姉様への婚約の打診をさせておいて、両親にはお姉様の未来に安心してもらってからアドラム家の後継ぎをわたくしに決めてもらう。


 その後、わたくしの『我儘』を発動させてお姉様をオルグレン家の夜会に首尾よく出席させ、あとはジェレミー様の出番だ。


 恐ろしいくらい人を疑わないお姉様だからこそ成功した計画だったかもしれないが、以上のことは想定以上にすんなり事が運んだために、ジェレミー様が逆に少々怯んでいた。


 チャールズ様は初めこそ複雑そうだったが、父とわたくし達との今後の話し合いの時にジェレミー様の件を聞いて、ようやく黒幕が誰だか分かり、目に見えてほっとしていた。


 本来コツコツと学ぶのが好きなタイプだったチャールズ様は、自領の問題が解決に向かったことで肩の力が抜けたように見える。

 そのストレスたるや相当だったようだ。

 お姉様や将来の義両親を騙すことに心苦しい気持ちもあったが、領民の喜ぶ姿を見るとこれで良かったのだと思えるのだという。


 良かった。少し罪悪感を消すことが出来るなら。

 悪いのは皆、わたくしだと思ってもいいのに。




 この頃は、チャールズ様とカフェに行ったり、共に大学院の図書室にも通っている。

 わたくしは学院の卒業資格認定試験の勉強のためという名目で、初めてチャールズ様を呼び出したあの個室の勉強室で彼に勉強を教わり、時に石灰の土壌利用の研究の進捗について話し合ったりしている。

 とは言え、実際にはお姉様とジェレミー様の婚約が調ったら、子どもは出来ていなかったことにして、学院に卒業まで通い続けるつもりなのだが。

 その方がチャールズ様も再び大学院に復学出来るし。まあ、卒業資格認定はもらっておいて損はないし、取れるなら取ってしまうけれど。


 そう思っていたら、小テストの採点を終えたチャールズ様が呆れたようにわたくしを見た。


「どうかなさいまして?」

「マリオン、これ私に教わることないんじゃないのかな?」


 満点だったようです。


「ですが、本当の意味での理解力は、わたくし足りていないように思いますの。最後の小論文で取りこぼしが起こるのを避けたいのですわ」

「ああ、まあそういう······。だが少し休憩しようか?」

「はい」


 休憩ということなので、司書のニールさんにまたチャールズ様に役立つような資料がないか聞いてこようかと思っていたら、チャールズ様に『話をしよう』と言われた。


「······先日、追加の石灰を届けていただいたので、オルグレン家に経過報告を兼ねてご挨拶に行ったのだ」

「そう、でしたか」


 チャールズ様は石灰のことでオルグレン家に礼を言いに行き、そこでどうやらジェレミー様から何かしら聞いたらしい。


「マリオン、あなたばかりが世間の耳目を集めて悪役になることはない。マーゴット嬢を騙すことにはなったが、それは領地の利益を選んだ私も同じだ。あなたが悪役令嬢だとうそぶくのなら、私も悪役令息にならせてくれ」

「いいえ、あなたはわたくしに脅されたのです。わたくしはやはり悪役令嬢なのですわ」

「私とマーゴット嬢ではうまく行かない星回りだったのだ。あなたがその星を動かしてくれた」

「いいえ、いいえ、そうではないのです······」


 本当に悪役令嬢になってしまったのだ。

 わたくしがお姉様を一緒に裏切ろうとお願いした時のチャールズ様の疲れた果てにある笑顔。

 決して悲観的でもなく、領民を守るために生きるのだというそのチャールズのお顔を見て、わたくしはいつしかチャールズ様を本当に欲しくなってしまった。

 自分で決めたことなのに、この先に待ち受けている偽りの契約結婚では、今はもう辛いのだ。


 じっと顔を伏せていると、頭上から優しい声が降ってくる。


「マリオン。私は分かっているつもりだ。あなたがマーゴット嬢を思って私に烙印を押したこと。そして自ら同じものを自身に押したこと。

 マーゴット嬢が男爵家を継ぐことにプレッシャーを感じていたこと。それを押し隠してやりたいことを我慢してしまうのを、あなたの我儘ということにして彼女の望みを叶えていることも」


 思わず顔を上げてしまうと、チャールズ様はわたくしの好きな微笑みを湛えている。

 あの、わたくしが恋に落ちた笑顔。


「それならば私はあなたの望みを叶えてあげたい。こんなに気が回り、度胸もあり、姉を深く愛しているあなたを私は愛し始めているのだから」

「ほんと、う、ですか?」


 我儘で、姉の婚約者を奪って、後継ぎの地位まで掠め盗って、策を凝らして姉を不幸にさせた妹。


 世間でのわたくしの評価などこんなものだろう。


 ――チャールズ様、あなたはそんなわたくしでも受け入れて下さるのですか?


 ぽろぽろと人前ではついぞ流したことのない涙が零れ落ちていく。


「ジェレミー様とパトリス様がおっしゃっていた。『マリオンは誰が何と言おうと最高の令嬢だ』と。姉妹共に正反対であってよく似ている。そして共に周りを最高に幸せにしてくれると、何度も言われたよ。もちろん私も同意見だ。

 マーゴット嬢も常々言っていた。『マリオンは我儘に見えますけれど、幸運の子です。彼女の可愛らしい我儘を聞くと何故かうまく行きますのよ』とね。

 マーゴット嬢の幸せはジェレミー様にお任せして、私はマリオン、あなたを幸せにしたい。たとえその先が茨の道であろうとも。

 ――こんな私ですが結婚していただけますか?」




     ◇     ◇     ◇

 



 後から思うと、図書室での求婚はいかにもチャールズ様らしくて最高だった。

 何故ならこの後、休憩はおしまいとばかりに勉強を再開したのだから。



 石灰石の粉末利用における土壌改良研究については、いよいよ隣国との共同研究が始まったところだ。

 両国の得意分野を擦り合わせ、また水質改善や高純度の鉄鋼製造など、庶民の生活の知恵だとか昔ながらの職人が口伝で行っていた使用事例を調べて、効果が実証されれば多方面での利用幅を広げていくことも考えていくという。


 知識欲の塊の王弟殿下もさぞお喜びに違いない。



 お姉様達は驚くスピードで結婚が決まった。

 日頃は本当におっとりさんで、マリオンのスピードにはついて行かれないわと話すお姉様はどこに行ってしまったのかと呆れる程だ。

 まあこれは偏にジェレミー様の猛攻の成果なのだが、彼らは自分達の結婚にまつわるストーリーを大々的に広めて、代わりにわたくし達の汚名を雪ぐ形に持っていきたかったようだ。


 要するに、わたくしがお姉様のためにそこまでするとは思わなかった、と。

 潔い。が、自己犠牲に躊躇いがなさ過ぎて、ジェレミー様達はこの件で小さくない罪悪感を持ってしまわれたようだ。


 ――そこまで気にすることはないのですが。単にお姉様のためだと思って、わたくしが分かりやすい悪役令嬢になるよう過剰にやり過ぎただけなのです。


 もしこのことを打ち明けるならお姉様と結婚してからにすべし、とは助言したが、ジェレミー様も意外に腹芸が得意な方ではないようで、早くお姉様にわたくしとチャールズ様とのことを打ち明けたいようだ。


 ――ジェレミー様も変わった方でしたわ。お姉様に謝罪させる体で何度も会って、その流れで求婚までするなんて。完全にお姉様狙いの行動でしたけど、······お姉様、本当に気づいてなかったのかしら?


 しかし今から隠し事ひとつ出来ないようでは、先行きが多少不安になりますわね。せっかくジェレミー様を見込んで大切なお姉様を任せたというのに。


 まあ、でも、分かりやすい方のほうがお姉様にはお似合いですわね。


 




「マリオン、待たせたね。さあ、出かけよう」


 大学院の講義が終わったチャールズ様が、わたくしの待つ図書室に迎えに来た。わたくしは閉架図書を司書ニールさんに返し、続きはまた次回読みに来たいと予約を入れておく。


 そのやり取りに少しだけ焼きもちを焼いているようなチャールズ様は、思った以上に感情表現が豊かだ。大丈夫ですよ、ニールさんは知識にしか興味ありませんから。


 今日はどこのカフェ店に行くのだろう。

 チャールズ様に甘いものとコーヒーの取り合わせを教えてもらって以降、彼と行くカフェ店では紅茶でなくコーヒーのおいしいお店を紹介してもらっている。その結果、前に行ったことがあるお店でも、コーヒーを頼むとまた違った魅力が見出だせて楽しいのだ。 


 二年後の学院卒業を待って結婚することになっているわたくし達。

 サックウィル家とオルグレン家に急に生まれた繋がりを見て、お姉様以外の両家家族はもちろん気付いたし、チャールズ様はお兄様に殴られそうになったそうだ。だが堪えつつも一言、『マリオン嬢を幸せにしてあげなさい』とおっしゃったそうだ。

 チャールズ様も良いお兄様に恵まれている。


 そうそう、わたくしが作り上げた『悪役令嬢マリオン』は、チャールズ様をはじめ周りの方々によってどんどん消えていっている。お姉様が幸せそうにジェレミー様と夜会に参加されていることやパトリス様の根回しが徐々に効いてきているのだろう。

 噂は一処に留まらず、より新しく刺激的な話題にすり替わっていく。

 いつか生まれるであろう子どもがわたくし達の出会いについて問うて来る頃には、わたくしが『悪役令嬢』として在ったあの時を覚えている人は僅かかもしれない。


 もしそのような無邪気な質問を我が子から受けたら、わたくしはこう答えるだろう。


――お父様もお母様も『真実の愛』に出会ってしまったの。ただそれだけよ、と。


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