お姉様、わたくしの代わりに謝っておいて下さる?と言われました

来住野つかさ

前編 わたくし、妹の代わりに謝ることになりました

 うららかな日差しが心地良いある日の休日。


 わたくしが部屋で刺繍をしておりますと、妹のマリオンがノックと共に入室してきて、いきなりこう言いました。


「お姉様、悪いのだけど次の夜会でちょっと皆様に謝って下さる?」


 突然謝れと言われても、何のことやら分かりません。

 呆然としていると、マリオンは苛立たしそうに爪先を鳴らします。


 あっ、返事がないから怒っているのかしら?


「どういうこと? わたくし何かしたかしら?」

「そういうのはいいから、ちょっと謝って下さればそれでいいのよ」


 いよいよ分かりません。


「あの、何について謝るの?」

「それはね! チャールズ様の婚約がお姉様からわたくしに代わったじゃない? それをね、お姉様のせいなのにわたくしが横取りしたみたいに言う方がいるのよ。だからお姉様が謝れば解決すると思うの」

「え? わたくしのせいって、それは」


 驚きながらも話についていこうと声を上げたところ、マリオンはますます声を大きくして捲し立てます。


「だってお姉様がお綺麗で魅力溢れる方でしたら、チャールズ様だって婚約者交代なんてならさないのだし、お姉様がしっかりしてたら、わたくしとチャールズ様が恋に落ちるなんて事にならなかったと思うの。あ、それよりもお姉様が先にチャールズ様と婚約したのがいけなかったってことかしら?」

「ええと」


 魅力に乏しいのはそうかもしれませんが、婚約を決めたのはお父様です。それを世間様に謝るって意味不明です。

 おかしいと思い、首を傾げて反論しようとしましたが、マリオンがパンと手を合わせて話を進めていきます。


「そう! だからお姉様が不甲斐なくて悪かったと頭を下げれば、皆様だってわたくし達のことをお認めになるわ! わたくしが悪いと誤解されているのはお姉様だって嫌でしょう? ······もしかしてわたくしが悪者のままでいた方がいいなんて意地の悪いことを思ってらっしゃるっていうの?」


 急に話の流れがおかしな方に曲がりました。もともとおかしいはおかしいですけど。


「いいえ、そんな事はないけれど、でも」

「とにかく! わたくしに魅力があってチャールズ様を惑わせたのは悪かったのかもしれないわ。でも仕方のないことでしょう?」

「はあ」

「本当にお姉様ったらおっとりさんなのだから! いい? ですから、次の夜会にわたくしの代わりに出席してわたくしの代わりに謝っておい下さる? 頼みましたからね!」


 そうして一通の封筒を押し付けてきます。

 グイグイと目の前に突き出されるので思わず受け取ってしまいましたが、これに出席しろということでしょうか?

 マリオン宛の招待状なのですが。


 言いたいことを言い終えると、マリオンは慌ただしく部屋を出て行ってしまいました。


「マーゴットお嬢様······」


 侍女のアニーが何とも言えない顔をしています。


「いいのよ、いつものことだわ」


 マリオンが突拍子もないことを言い出すのはよくあることなのです。

 

 でも何かしら? 代わりに謝っておくって?

 

 もう刺繍には集中出来そうもないので、わたくしは裁縫箱を片付けてバルコニーに出ることにしました。

 

 風が気持ちいいです。

 少し口を開いて、新鮮な空気を取り込みます。

 昔からこうすると頭の中にぐるぐると渦巻くものが出て行ってくれる気がするのです。





 わたくしはマーゴット・アドラム。男爵家の長女です。

 二つ下の妹はマリオン。先日までわたくしの婚約者だったチャールズ・サックウィル子爵令息と婚約をしたばかりです。

 赤みがかった美しいブラウンの髪のマリオンに、収穫前の小麦のような薄い色の髪を持つわたくし。

 地味な姉のわたくしと華やかな妹。あまり似ていませんから、世間様の受ける印象で義理の関係なのではと邪推されることもしばしば。これでも本当に血が繋がっているのです。

 お母様もお父様はわたくし達を平等に育ててくださったと思います。ただわたくしは長女ですので、婿を取って跡を継ぐことになりますから多少厳しく育てられたかもしれません。

 

 それでもやはり可愛らしくハキハキとした妹の方がいいのでしょう、我が家ではいつも声の大きい妹の意見が通るのです。でもわたくし達は今まで特に問題なくやって来れていました。


 そんな中での今回の婚約者交代です。チャールズ様との婚約も、あれよあよれという間にマリオンへと変更することになりました。

 チャールズ様はサックウィル家の三男でいらっしゃるので、わたくしと結婚し我が家に入っていただく予定でしたが、マリオンが彼を愛し、彼もマリオンの方が好ましいと思われているのならやむを得ないことです。

 以前から二人は秘めた恋を育んでいたようで、我が家での逢瀬をわたくしが目撃して倒れてしまったことで、両家の話し合いの後速やかに婚約者変更がなされたのです。




     ◇     ◇     ◇




 あの日の話し合いは、至って簡単なものでした。


「マリオンはもう彼にしか嫁げないと言うのだ。元々政略的なものだったのだから、何も言わずに受け入れなさい」

「そうね、チャールズ様にはマリオンの方が合っていたのだと思うわ。あなたはまた良い方を探せばいいのよ」

「······はい、承知しました」


 わたくしは粛々と頭を下げました。


「そうよ、相性って大事なんだから! わたくしもお姉様の次の相手を探してあげるわ!!」

「まあ優しいのね。でもマーゴットのことはお父様にお任せしておきなさい。ね?」

「······はあい」


 すでに両家では何事もなかったように、わたくしからマリオンへの婚約者変更手続きは行われていました。

『家庭の事情により、姉から妹へ変更するものとする』というあっさりした報告で、わたくしの名前に斜線が引かれ、マリオンの名前を新たに書き加えたら終了です。


 マリオンは、わたくしの婚約者を決めたかったのでしょうか? お父様に一任すると聞いてあまり納得が行かなそうな顔をしていました。

 ですが、のんびり屋のわたくしには、彼女のスピードに日頃からついて行かれないところがあります。彼女が良いと思った方では、またマリオンの方がいいと言われてしまいそうですから、お父様にお任せ出来る方がありがたいです。


 しかし、あっけないものだなと思いました。

 チャールズ様は、活動的でいつも胸を張って前を向いているような方でした。

 正反対の性格の方がお互いの不足を補えるのではということで調った婚約でしたが、やはりわたくしでは物足りなかったのでしょう。

 彼に恋をしていたわけではありませんでしたが、この先わたくしは人に望まれることなどあるのかしらと、少し感傷的な気持ちになりました。




     ◇     ◇     ◇




 気が付けばあの招待状を手に、わたくしは夜会行きの馬車に乗っていました。

 断れなかったのです。


 マリオンの婚約者となったチャールズ様は、もしものこと・・・・・・を想定して結婚を急がれるようです。

 その打ち合わせで当家に来られた際に、短く『申し訳ない』とだけ言われました。

 それでいいのです。形はどうあれチャールズ様が家族になることには代わりありませんから。

 マリオンを眺めて目を細めているチャールズ様を見ていると、本当に妹を愛しているのだなと思いましたし。


 

 そんなことを思い返していると、馬車が到着しました。

 わたくしは受付で妹の代わりに出席することを告げ、会場の中に入りました。


 さて、わたくしはここでマリオンのご友人方に謝らなければならないのです。

 ですがいざ来てみますと、どなたへ向けて謝ればいいのか分からず困ってしまいました。マリオンと同じ学年の方に聞いてみましょうかしら?


 すると、ありがたいことに主催のオルグレン伯爵家パトリス様が声をかけて下さいました。彼女はマリオンと同学年の方のはずです。


「本日は当家の催しにご参加ありがとうございます。パトリスですわ。ですが、マリオン嬢がお越しになるはずでは?」

「オルグレン伯爵家パトリス様、ご挨拶が遅れて申し訳ございません。アドラム男爵家のマーゴットでございます。妹マリオン宛にお誘いいただいておりました本日の会でございますが、当人は急な不調に見舞われまして、不躾ながら代理で参加させていただきましたの」


 良かった。主催家のお嬢様にしっかりご挨拶出来たわ。

 そう思ってほっとしていましたら、パトリス様が何故かものすごく笑っていらっしゃいます。

 顔に出ていたのでしょうか?


「マーゴット様と呼んでもよろしい? わたくしのこともパトリスでけっこうです」

「ありがとうございます、パトリス様」

「マーゴット様のことはマリオンからお話をよく伺っていますの。少しばかりおっとりさんなのだけれど手先がとても器用でいらっしゃると。マリオンは逆に空気を読みすぎる子で刺繍なんかは苦手ですわね」

「そうでしょうか······?」


 何でしょう、わたくしのことは当たっていますが、マリオンが空気を読みすぎる子? 

 空気を読むのが何を指すのか良く分かりませんが、ああ見えてマリオンは頭がとてもいいのです。学院一年生でありながら、卒業資格試験に合格すれば飛び級制度でわたくしと一緒に卒業出来るほどの理解力がすでにあるとのことで。

 もしものこと・・・・・・が起きていてもいいように、とりあえず試験は受けるようなのですが、ご友人と学院に通えるのも今のうちなのだからそのまま通いたかったでしょうに。


「マーゴット様、あなたマリオンに何か言われて来たのでしょう?」


 あら、お見通しでしたか? さすがですね、パトリス様。


「は、はい! 謝らないといけませんの」

「謝る? どなたに?」

「ええと、マリオンの友人方にです」


 でも、どなたがご友人か分らないので、と続けようとしたところ衝撃のお言葉がありました。


「今日、マリオンの友人は来ていないわ。私くらいね」

「えっ、そうなのですか?」


 あら······、ではわたくし何のために今日伺ったのでしょう。

 普段夜会にはほとんど出席しませんので、準備も相当大変だったのですが。······帰ろうかしら。


「その代わり、わたくしの兄に会っていただける? マリオンが謝らなければいけないとしたら兄ですから」


 パトリス様のお兄様、ジェレミー様ですか······。

 王立学院の同学年ではあるのですが、わたくしは淑女科、彼は経営科ですのでほとんど交流はありません。

 

「その、申し訳ございません、マリオンはオルグレン伯爵令息様に何をしたのでしょう?」

「それも直接確認なさるとよろしいわ、ほらあそこに。お兄様!」


 そう言うと、パトリス様はジェレミー様にお声がけをして引き合わせて下さいました。


「お兄様、マリオンのお姉様のマーゴット様ですわ。マリオンの代わりということですので、どうぞ!」


 そのままパトリス様は他の方のところへ行ってしまわれました。

 どうしましょう、結局何を謝ればよいのかしら?




     ◇     ◇     ◇




「あの、オルグレン伯爵令息様」

「はい。どうしました?」


 ジェレミー・オルグレン伯爵令息様は騎士の方のように大柄で力強く、寡黙なイメージの方です。

 その見目の良さと男らしい性格とが令嬢方からもとても人気がおありです。

 

 わたくしとはほぼ初対面みたいなものですので、一応初めましてのご挨拶をした方がよいのかしら。


 それと目的遂行のためにも謝罪をしなければなりませんが、マリオンとこの方の間に一体何があったのでしょう?


「学院では同学年におりますアドラム男爵家のマーゴットでございます。この度は妹マリオンがあなた様に申し訳ないことをしたようで」

「······え?」


 ジェレミー様のお顔が途端に訝しげになってしまいました。

 わたくし、やらかしたようです······。


「し、失礼いたしました。妹は謝っても許していただけないことをしましたでしょうか?」

「ああ、いやそうではなくて」


 困ったように顎を掻いているジェレミー様。

 

「前に話したことがあるよね、マーゴット・アドラム嬢。だから初めましてのような挨拶をされて驚いたというか」

「······それは失礼いたしました」


 ずいぶん前のことでしたが覚えていて下さったのですね。

 学院でわたくしが教師に頼まれて資料を運んでいる時に、たまたますれ違ったジェレミー様に手伝っていただいたことがあるのです。

 印象の薄いわたくしですのに、記憶力が良い方なのですね。


 少し気落ちしてしまったのに気づかれたのか、ジェレミー様が優しく話を続けて下さいました。


「マーゴット嬢は絵は好き? この大広間の先の第二応接室にも、絵画がまとめて飾ってあるんだ。良かったら見に来ないかい?」

 



     ◇     ◇     ◇



 

 オルグレン家の第二応接室に飾られた所蔵品はとても素晴らしいものでした。

 代々の当主様、ご家族様の絵や、歴代の当主様が集められたのか自然を基調とした作品を多く揃えられていて。

 いくつかのサインはわたくしでも分かるような名のある作家のものもあり、どの作品も魅力に溢れていて、つい謝るのを忘れて見惚れてしまいました。


 わたくしはあんまりにも熱心に見過ぎていたでしょうか。  

 ジェレミー様が少し笑いながら、こっちと手招きして下さった。


「これは······」

「そう、僕達の家族を描いたものだね。僕もパティも今より少し小さい時のね」


 そこにはまだ細身の少年といった風のジェレミー様と可愛らしいパトリス様がご両親に挟まれて並ぶ家族の肖像画があった。


 この線の細い少年がたった数年であんなに大柄な男の人になるなんて、人体の不思議だわ。

 

 そんな事を考えていたら、ジェレミー様が思い出話をして下さいました。


「ちょうどこの歳の頃、僕はある少女に刺繍入りのハンカチを貸してもらったことがあるんだ。僕は家族の買い物を待つ間に時計塔前の公園で暇つぶしをしていて、彼女は家族で遊びに来ていた」


 そう言って、ジェレミー様は肖像画の彼の肘を指差して話を続けます。


「ここ。枝を引っ掛けて血が出てしまって。大したことはなかったんだけど、彼女が縫い上げたばかりのハンカチで傷を」

「······あら?」


 そういえば、わたくしも似たようなことを覚えているわ。

 昔、怪我をした少年に刺繍したハンカチをあげたのだけど、その時お貸ししたのがマリオンに頼まれた提出用の課題作だったのよね。

 マリオンからいつものように『わたくし刺繍苦手だから代わりにお願い』って頼まれて。


「その時僕は、名前の縫い取りを見て『マリオンって言うの?』って聞いたんだ」

「そ、それは」


 近くに両親もいて、マリオンの課題を代わりにやったことがばれたくなくて、······とっさに頷いてしまったような気がします。


 おかけでマリオンの課題作をもう一度刺すことになったので、大変になってしまったことはよく覚えているわ。

 あの時の華奢な少年が、こんな大きな体のジェレミー様なの?


「え、ええと、オルグレン様?」

「謝ること思い出した?」


 にっこりされているけど、何だが少し怖い笑顔のジェレミー様。

 ······もしかして謝らなきゃいけないのってマリオンではなくてわたくしだったの?!




     ◇     ◇     ◇




「······あのお二人、これってうまく行ったと言えるのかしら?」

「まあ、マリオン! あなたが仕掛けたことで失敗などないでしょう?」


 あの夜会の後のある昼下がり。

 オルグレン家の庭園の四阿で、マリオンとパトリス様はお茶を楽しんでいるご様子。


 わたくしはその横で、ジェレミー様と向かい合わせに直立し、「足を開け!」の号令で右足を横に出し、と騎士の隊列訓練のようなものを受けています。

 きちんと謝りたいと言いましたら、何故かこうなりました。


「では発声練習!」

「あ、あ、あ、あ、あー!」

「よろしい! では次は謝罪!」

「申し訳ございませんでした」

「そんな誠意のない謝罪では到底受け入れられませんよ?」

「申し訳ございません」

「やり直し!」

「この度は誠に申し訳ございませんでした」

「声が小さい!」

「申し訳、ございませんでっしたー!!」

「······でっした?」

「すみません、噛みましたの······」


 わたくしは大声を出すことに慣れておりません。

 ジェレミー様は令嬢としてのスタンダードな謝罪は受けたけれど、少年時代の友としての謝罪がまだとおっしゃるので、こうして頑張っておりますが、うまく出来ずに舌を噛んでしまいました。

 恥ずかしい······。


 真っ赤になる私を見て、ジェレミー様はあははと声を上げて笑ってらっしゃいます。


「マーゴット嬢、なかなか良かったよ」

「まあ! それでは······」


 ついに謝罪成功でしょうか? やりましたわ!


「噛んじゃった舌が痛いでしょう? なにか冷たいものでも用意しましょうか?」

「はい、ありがとうございます」




 マリオン達と一緒にお茶を楽しんだ後、ジェレミー様に誘われて温室を見に連れて行っていただきました。


 庭園もとても美しくて見飽きないものでしたが、オルグレン家の温室は変わった植物もいくつか見受けられて、別世界に来たような楽しさです。


 ひと通り案内をしていただくと、室内に据えられたベンチからゆっくり眺めます。

 天井からは光が差し込み、ここは時間がゆっくり流れているような気がします。

 ぽかぽかとして少し眠くなりますね。


「それでは次は一緒に夜会に参加してもらえませんか?」

「えっ、どうしてですの?」


 突然の話にびっくりして、眠たかった頭が覚醒しました。

 どういう流れでそんなお話になったのでしょう?

 まさか本当に眠っていたとか?


「謝ってはもらったけどね、あの時騙された僕は子供心に傷ついたんだよ」

「その節のことは申し開きもございません·····」

 

 実はマリオンとパトリス様は初等科から同じクラスだったそう。

 あの時、刺繍の課題をマリオンは遅れて出したのですが、わたくし頑張ってしまいまして、良い出来だとクラスで褒められたみたいです。

 それを見ていたパトリス様は、ジェレミー様が手当で貰ったハンカチの図案と全く同じものだと気付いたというのです。


 だけれど、手当した少女は薄い金茶の髪色。赤茶のマリオンとは違います。

 パトリス様はそれとなく公園の件をマリオンに聞いたそうですが、マリオンは当然そんなことは全く知らないと答えますよね。

 

 それで、もしかしたら夜会に全然出てこない姉のマーゴットがマリオンを語ったのじゃないか、と考えたと聞きました。名推理、びっくりです。


「あの時騙されていなければ、もっと遊んだりしていたのかもしれないんだよ? だから行こう?」

「そ、そうでしょうか······」


 異性同士でもお友達ってなれるものなのでしょうか?

 わたくしはチャールズ様くらいしか身近な方がいませんでしたので、活発な方の感覚があまり良く分かりません。

 ですが、このところジェレミー様とはマリオンとパトリス様を介してではありますが、よくお目にかかるようになりましたので、だいぶ臆せずお話出来るようになりました。


 このままジェレミー様に謝り続けられるなら、ずっとお目にかかることが出来るけれど、怒っていらっしゃる風もありません。そろそろこの関係も終わりになってしまうでしょう。


 そう、太陽のように明るく、大きな心をお持ちのジェレミー様に、わたくしはいつの間にか惹かれていたのです。


 ですが、わたくしは今、王立学院に通う三年生です。卒業年ですので、普通は進路をそろそろ学院に提出しなければなりません。

 ジェレミー様が一緒に考えて下さるとおっしゃってくれましたが、彼も婚約を考える時期でしょうし、このまま側にいてはさらにご迷惑をかけてしまうでしょう。


「手当してくれたあなたに、あの時のお礼に贈り物をしたいと前々から思っていたんだ。それに僕には一緒に行く相手がいないから、付き合ってくれたら嬉しいな」

「ありがたいことですが、わたくしなんかがジェレミー様とご一緒して、皆様にあらぬ誤解を受けたらジェレミー様が困ることになりますし」


 わたくしが辛い思いを押し隠してそう申しますと、ジェレミー様は困ったように頭を掻かれました。


「誤解なんてそんな事にはならないけどね。ねえ、マーゴット嬢はほとんど夜会に参加されないけど、嫌いってわけではないんでしょう?」

「そうですわね。華やかな場に気おくれするのはありますが、少し事情があって······前の婚約者とご一緒出来なかったので······」


 チャールズ様のサックウィル子爵領は海に面していらっしゃるのですが、昨年大きな嵐が起きた影響で作物が海水がかかって甚大な塩害となり、とても大変だったのです。

 ちょうど婚約したばかりの頃でしたが、ご実家を盛り返すために領地で頑張っておられるチャールズ様を夜会に誘うというのも申し訳なかったので、控えている内に出席しそびれてしまいました。

 婚約者がいる女性は、基本的にはお相手と一緒に出席するのが望ましいこととされていますので、それでわたくしもほとんど参加していませんでしたね。

 

「ああ、サックウィル領のお家事情は存じているよ。作物に大きな被害があって大変だったのだとね。我が領からも石灰を融通したのだよ」

「そうでしたの。それはありがとうございます」

「ん? でももうチャールズ殿は婚約者ではないだろう? あなたがお礼を言うのは」

「そうかもしれませんが、チャールズ様はマリオンと夫婦となるお方です。ですので義弟の家のために良くして下さってありがとうございます、で合っていますわ」


 わたくしがニコリと微笑んで頭を下げますと、ジェレミー様は一瞬きょとんとした瞳をなさいましたが、それから大きな声で笑い出しました。


「ああ、あなたはそういう人だね。大きな度量の人だ」

「ええ?」


「僕は、僕こそ器が小さい。だから今度は僕が謝るからあなたから許しが欲しい」


「マーゴット嬢。少しずつ仲を深めてからと思ったけれど、僕はあなたと夫婦になりたい。だからまずは婚約を受け入れてくれないだろうか」


 え······ええ?! どういうことでしょう?

 頭が完全に停止してしまい、顔がやけに熱くなって来ます。


「あ、あの、本当に······?」


 ジェレミー様は真剣なお顔でこちらを向いています。


「もちろん本当だよ、マーゴット嬢。あなたに謝ってもらうために会うのではなくて、これからは婚約者として会っていただけないでしょうか?」


 揺らがない瞳。本当にそう思って下さっているのですね。

 わたくしみたいなぼんやりを乞うてくれる人など現れないと諦めていたはずなのに、でも。


「ジェレミー様。わたくし、謝る名目であなた様にお目にかかっている内に恋をしてしまったような不埒者ですが、それでも許して下さいますか?」

「不埒者なんて! それは謝罪をだしにしてあなたと会いたかった僕の方だ! ······でも可愛い不埒者さんだね」


 そうおっしゃると、ものすごい笑顔でわたくしの手を取り、指先に口付けを贈って下さいました、そうです。

 そうです、と言うのはそこで頭に血がのぼってしまい、わたくしったら倒れてしまったようなのです。




     ◇     ◇     ◇



「あの時のジェレミー様は傑作だったわよ。求婚が成功したと思ったら、蒼白なお顔でお姉様を抱きかかえて走ってきたのだもの。大柄な方だから物凄い迫力だったわ! お姉様にも見せたかったわよ」


 アドラム家の朝食時。

 楽しそうにマリオンが先日のわたくしの失態を家族に話しております。

 そのことを思い返すと恥ずかしくてパンが喉を通りません。スープだけにしましょう。


「マリオン、あまりマーゴットで遊ぶんじゃない」

「そうよ。せっかくのおめでたいお話なのに面白くするのではなくてよ」

「はあい」

「でもジェレミー様はどんな方なのかしら? お会いするのが楽しみだわ」


 そう、今日はこの後ジェレミー様が婚約のご挨拶に来て下さるのです。

 すでに内々では両家で合意済みの婚約ですが、今日は改めてジェレミー様とお父様のオルグレン伯爵様がいらっしゃいます。

 顔合わせを済ませて、書類にサインをしたらわたくしはジェレミー様の婚約者になるのです。


「さあ、早く食事を済ませて準備しましょう! マーゴットはいただいたものを身に付けなさいね。マリオンはほどほどでいいわ」

「お母様、分かりましたわ」

「はあい」


 ダイニングを出ると、マリオンがにこにこと話してきます。


「良かったわね、お姉様」

「ええ、そうね。こんなことになるなんてまだ信じられないくらいよ」

「わたくしの代わりに謝ったら万事うまく行ったでしょう?」

「えっ?」

「さあ、張り切って支度しましょう! お姉様、あのネックレスとてもお似合いになるもの!」


 早口に捲し立てたマリオンはわたくしの肩を叩くと、さっさと自室に戻って行きました。


 ん、あら? これってマリオンのおかげなのかしら?


「マーゴットお嬢様、早くいらして下さい。準備を始めますよ!」


 待ちくたびれたアニーが廊下まで呼びに来てくれました。


「今行くわ!」


 午後になったらジェレミー様にお会い出来る。そしてその後はわたくしたちの関係が変わる。そう思うと自然と笑みが零れてきます。


 さあ、整えなくては!


 


 

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