【短編】それは優しいテンペスト
さんがつ
【短編】それは優しいテンペスト
土曜のお昼過ぎ。
それなりに人気のカフェでランチを食べた後のまったりとした時間。
私は食後のお茶を親友と二人で楽しんでいた。
「結局私は振られたのか、振ったのか」
「なに、その問答は…」
私の独り言に呆れる様な顔をして突っ込みを入れたのは、先日結婚した親友のサトミだ。実は今日のランチの目的は、サトミとの仲直りでもある。
事の始まりはサトミの結婚式の二次会で、新郎の友人がしつこく私に声をかけて来た事だった。何度も「好きな人がいます」と言っても「彼氏じゃないならまだイケる」とか言って本当に大変だった。
お陰で少しキレた私と、私を宥めるサトミと少し言い争いになってしまった…と言う事でこれは私のせいじゃないはず。
だからこうして仲直りのランチに来ているのだけれど…。
別に仲直りをしなくても良かった。
だって仲が悪くなった訳では無いのだと、お互いに出会って気が付いたから。
だから待ち合わせの駅で顔を見合わせた瞬間に、二人共何だか可笑して笑ってしまった。そして今はこんな感じで、ゆっくりとお茶を飲んでいる。
「結局、マツは、その好きな人とは別れたのね」
「そう、『新しい彼氏が出来るまで会わない』と言ってやったし」
「うへ、彼氏が出来たら会いに行くんだ…」
「あんたよりいい男が出来たって、見せびらかす為ですが?」
「う~ん…てか、あんた達、そもそも付き合っても無くない?」
そう言ってサトミは呆れていた。
私は頬杖をつきながら、アイスティーのストローで氷をカラカラと回してぼんやりとしていた。
そうだなぁ…付き合っては居なかったな。デートはしたし、部屋にも来たけど。
「マツ、紹介しよっか?」
「要らない」
「やっぱりまだ好きなんじゃないの?」
サトミの提案を即決で否定した事に興味が湧いたのか、サトミは直ぐに言い返す。
だからこっちも誤解の無いように、直ぐに答えを返した。
「好きと言うより、見返したい」
「はぁ…ソウデスカ」
そんな私に呆れたのか、サトミはため息を吐いた。
「じゃあ、いい男捕まえないと」
アイスコーヒーに手を伸ばしたサトミの、氷で少し明るくなったコーヒーを見ていたら、私は急にそれを思い出して、彼の来ていたスーツの色を口にした。
「そう言えば茶系だったなぁ」
「何?茶系、色の事?」
漏れた独り言に興味を持ったのか、サトミが面白そうだという顔をしながら聞いてきた。だから素直に答える事にした。
「あ~。結婚式の帰りっぽい感じだったけど、スーツの色が茶系だったなぁって」
「帰り?誰?そんな人いた?」
「殆ど黒だったし、珍しいよね」
そう。
名前も知らない、私の好きだった人の友人も、誰かの結婚式の帰りだったらしい。
珍しいブラウン系のスーツは、柔らかな印象の彼にとても似合っていた。
私の好きな人はバーの店員だ。
店では黒いベスト姿で、元々の顔立ちも相まってシャープな印象になる。
だから、シャープな彼の真向いの席に座った、茶色のスーツ姿の彼を見た時、なんて対照的な二人なんだと思った。
好きな人の友人である、茶色のスーツの彼。
バーから出た帰り道、少しだけ話をした茶色のスーツの彼の印象は、『友達思いの良い人』で、それ以上でもそれ以下でも無かった。
「ねぇ、サトミって何で結婚したの?」
「なに急に?惚気けて良いって事?」
何となくだ。
何となく結婚の理由が聞きたくなったのは、その帰り道の事を思い出したからだろう。
「あはは、どんと来いだ!」
そう言って少し薄くなったアイスティーを飲んだ。
少しぬるいアイスティーが喉を通る。
そう言えば、その茶色の彼の事を、「春一番」のような人だと思った事を思い出した。
茶色の彼は、自分の話を一方的に話すだけで、私の事は何も聞かなかった。
その勢いは、私の気持ちの中にあった冷たさが緩和したような気がした。
そして彼が去った後の、一人きりになった時。急に冷え込んだ空気に、「春一番」が浮かんだのだろう。
「ま、一番大きいのは嘘が無さそうって所よね」
サトミは少し上を見上げながらそう言った。
「そうなんだ」
「やっぱり信頼関係って大事だと思って」
サトミの言葉に茶色の彼が言った言葉が重なった。
『うん…俺の両親を見てると、結婚って好きとかだけじゃなくて、信頼関係も大切な気がして…』
彼を思い出しながら、「…そうかもね」と、彼に返した言葉と同じ言葉を口にした。
「でもやっぱり、私の事が好きってのが大きいな」
そう言えば、茶色の彼は何て言ってたっけ?
『俺はさ~彼女が居た事が無いから、お互いが好きになるってよく分からないし、分からない事を条件にできないじゃん』
「てか、マツ聞いてないじゃん」
「あはは、聞いてる、聞いてる」
「本当かなぁ…」
疑う声を出すサトミ。
私はストローを回しながら、カラカラと鳴る氷をぼんやりと眺め、考える。
「お互いが好きって難しいのかな」
「…あんたいい子だから、直ぐに好きになってくれる人が出て来るわ」
「あんがと」
お礼を言えば、サトミは笑って慰めてくれた。
サトミとのランチが終わって家に帰る。
玄関のドアを開けて戸締りを済ませると、そのままの勢でベッドにダイブした。
手にしたスマートフォンを片手にゴロゴロと横になりながら、いつものように、写真や動画を投稿するアプリを開いて、流れていく華やかな写真を眺めた。
(そう言えばサトミのアカウントに結婚式の写真が投稿してあったっけ…?)
そんな事を思い出しながら、サトミの画面をスクロールさせて写真を眺める。
「あ~二次会も…って、げ、あいつだ」
「ウザっ」と声に出しながら、再び画面をスクロールさせていたら、有る事に気が付いてしまった。
「け、結婚式っ!」
ベッドから飛び起きて、スマートフォンをテーブルへ置く。
そして冷蔵庫からコーヒーを出してグラスに注ぐ。
「ふぅ…」
ブラックコーヒーの苦みを味わいながら、頭を冷やし、自分の考えを整理する。
そう。
「検索キーワード」の選定だ。
そしてテーブルへ戻り、思いつくままに、いくつかのタグを並べて、目当ての結婚式の写真を探す事にした。
つまりどういう事かと言うと、色々な人の結婚式の写真を無差別に漁って、茶色の彼が載っていないかを調べる事にしたのだ。
「け、件数が…多すぎる問題!」
しかし現実は甘くない。世の中そんなに上手く行かないのだ。
そう。
幸せは共有したいもの。
結婚式の写真は、それこそ星の数ほど投稿されていた。
「やっぱ、無理か~」
半ば諦めつつ、ベッドでゴロゴロと転がる。
けれどスマートフォンは手放せない。
彼を探すのを私は止める事が出来なかった。
休日の度にゴロゴロと自堕落な姿をで過ごしながら、検索を続ける。
そして仕事の隙間や通勤時間、ちょっとした隙間の時間を見つけては、彼を探し続けること数週間。
やっぱ無理…。
いや、もう少し。
何故か彼を探す事をやめれない私。
そんな私に、神様はこれで最後とばかりに情けをかけてくれた。
「あっ…。居た」
それは披露宴の写真だった。
新郎と新婦の両脇に、新郎の友人らしき男性が数名並んでいる写真があり、その一番端に茶色の彼が載っていた。
「ちゃ、茶色のスーツ!目立つぅ!!」
思わずそう叫べば、写真を見てニンマリと笑みが零れた。
そしてそこで気が付いた。
「あれ?私ストーカーっぽくない?」
そう。
その時の私は、私が茶色の彼に惹かれていた事に、全く気が付いていなかった。
それは執念に近いストーカーのような探し方や、見つけた嬉しさに気を取られていたからだ。
何故彼を探しているのか?
そんな根本的な理由に全く触れる事無く、私は行動に移った。
*****
神様の情けを貰った私は、再びサトミをランチに誘い、目的の店に出かけた。
場所はもちろん彼の勤める洋食屋だ。
何故なら私は茶色の彼の言葉を覚えているからだ。
『あはは、まぁしがない洋食屋の倅の所になんて誰も来てくれないかぁ~』
そんな彼の言葉をヒントに、結婚式の写真を辿り、彼の友人らしきアカウントを探しては、洋食屋ぽい写真を探した。
写真に写る店名やメニューからネット検索を駆使し、お店を特定したのはもはや執念以外の何物でもないはずだ。
「もはや執念と言う名の努力だわ」
「怖っ!」
お店へ向かう途中、店を見つけたを経緯をサトミに告げると、とただ一言、そう言ってドン引きしていた。
そうか。やはりそうなのか。
「やっぱストーカーっぽいよねぇ…」
「1枚の写真と『洋食屋の倅』で店を特定するなんて、ストーカー以外の何者よ!」
落ち込む私をよそに、ブルブルと震えながらサトミは客観的なご意見を告げて来た。
それでも、何だかんだと言いながら、一緒に店に来てくれた。
やっぱりサトミは私の親友だ。
そんな友情に浸っていたら、「美味しかったら旦那とまた来たい」と言ったので、彼女にすれば、ただのデートプランの参考に過ぎなかったみたい。
そんなこんなで、ようやく店に着いた。
案内されてたテーブル席に座り、店内を見渡すも、キッチンの様子は外から見えない作りになっていた。
見つけるのは難しいか…。
「てか、あんたのストーキング相手はどこよ?」
少し凹んでいたらサトミが小声で尋ねて来た。
「いや…実は、この店で合ってるかの、確証は無くて…」
急に自信が無くなり、情けない返事になってしまった。
「そっか。まぁそれはそれで、あんたがストーカーじゃ無かった証明になるから別に良いけど」
そんな感じで二人でコソコソと話をしていたら、年配の女性の店員さんがお水を出しながら声をかけて来た。
「ご注文はお決まりですか~?」
「あ、私は、このビーフシチューオムライスセットで…マツはどうする?」
「…」
「って、マツ…?」
水を差し出しながら微笑む年配の女性店員さん。
私はその微笑みに茶色の彼の面影を見つけてしまった。
「ええっと?ご注文は…?」
サトミの声も聞こえず、注文の返事も出来ず、固まった私に、女性店員さんは戸惑いながらも再び注文を促した。
「同じの2つでっ!」
「かしこまりました」
ポンコツになった私を遮るように、サトミが注文してくれたらしい。
それを知ったのは、同じメニューが二つ来た時だった。
「あ、合ってた…」
席を離れる店員さんの後ろ姿を追いかけていたら、サトミが肩をゆらして私を正気に戻してくれた。
「ちょ、水でも飲みな!」
急に冷たいものが唇について我に返る。
素直に出された冷たいお水を飲めば、素直な言葉も出て来る。
「あはは、ごめん、ごめん」
「マツ、さっきの人、例の彼のお母さんでしょ?そんなに似てるの?」
少しニマニマとした笑みを浮かべながらサトミは嬉しそうに聞いてきた。
「あはは、そうね…似てる…。というか、何となく面影があるなぁって…」
思い出せば何だか恥ずかしい。
…ん?
あれ?
なんで私は恥ずかしいのだろうか…?
そんな事を考えていたら、サトミの冷たい突っ込みが来た。
「それより、ストーカー決定じゃん…」
「…」
冷ややかな突っ込みに無視を決め込んで、お店の雰囲気を眺めていたり、メニューを見ていたりしたら、注文のオムライスが運ばれて来た。
「お待たせしました~」
「わ、美味しそ~」
見栄えの良さに、サトミが写真を撮ってしまったのは仕方の無い事だ。
普段は写真なんて撮らない人なんだけれど…。
そっか、旦那さんへ見せるのか。
「「頂きます」」
手を合わせて、二人同時に、オムライスを口へ運ぶ。
「美味し…」
「めちゃウマ」
オムライスは本当に美味しかった。
人間は美味しいものを食べると語彙力が無くなるらしい。
「凄い、マジで本格的。もしかしてこの店って、隠れた名店なん?」
サトミが嬉しそうに私に小声で話しかけて来た。
その言葉に何故だろう…私は嬉しくて少し涙ぐんでしまった。
「めちゃウマで人は泣くのか…」
サトミは呆れながらも、いつもよりも速いペースでオムライスを頬張っていた。
結局その日は、目的の茶色の彼に会う事は出来なかった。
どうやら洋食屋の倅である彼は、キッチンで頑張っているらしく、店内はお母さんらしき女性が一人で回している。
そう言えば私の好きな人も、元料理人だったっけ。
そこ繋がりの友達って事か…。
「仕方が無い…」
そうなのだ。
今日は彼の店を特定出来ただけでも良しとしよう。
私は気分をそう切り替えて、店を出た。
******
その日から私はオムライスの味が妙に気になっていた。
それで…と言う訳では無いのだけれど、思いつくままに「仕事辞めます」とサトミへメッセージを入れた。
すると夕食の支度中だろうはずのサトミからすぐに返事が来た。
『どした?あの店の売り上げの大半は、マツじゃなかった?』
仕事を辞める経緯が気になるらしい。
『そう言ってくれるのサトミだけだわ。ありがとう~』
サトミの気づかいに返事をすると、直ぐに既読が付いて、既読が付いたかと思えば通話画面に切り替わった。
そうだ。サトミはこんな優しさが心地よい。
友情の温かさを感じながら画面を通話に切り替えた。
「あ~もしもし、何かごめんね~」
「マツ、マジで病んでないよね?」
「あはは~それは大丈夫かな~」
どうやらサトミは私のメンタルを心配したようだ。
「あの店に買いに来る子って、マツのファッションとかコーデを参考にする子が多かったんじゃないの?」
「あはは~ほんと、そう言ってくれるのサトミ位だよ~」
サトミの言葉にちょっぴり涙ぐんだのは内緒だ。
「はぁ、あんた変に拗らせてるもんね…」
「そんな事無いけど、なんかノルマばっかりで疲れたし、他の子に勝手に目の敵にされるのも疲れた。セール品とか売れ残りとか知らんわって感じ」
「あ~、まぁ、それは、あんたのせいじゃないわね」
そう。
全くもってその通りでしょ?
「売るために作られたものを、売るのがしんどくなった」
勝手に漏れた言葉は、私が常々思っていた事だった。
販売ノルマ。
一体何の、誰の為の目標なんだろう。
私があの店で食べたオムライスの味が、気になったのはそれが理由だった。
どうしても忘れる事が出来なかったのは、あのオムライスが特別に美味しかったからだ。
だってあのオムライスは、私の注文があって、そこから作られたもののはず。
あの日感じた事は、既製品じゃないオムライス。
そんな当たり前のような、私の為に作られたオムライスが運ばれて来た瞬間、作った人、もしかしたら茶色の彼かも知れない。
そんなリアルを肌で感じたのだ。
そして五感で感じるままに、その瞬間に携わる人が羨ましくなった。
「お客さんの良い顔を見るのは好きだって、言ってたのにね」
「そうね、それは救いだったし、楽しかったなぁ。でもまぁ、とりあえず次の仕事は探すし、何とでも生きていけるわ」
「あはは。そうね。マツなら、何とてでも生きていけるタイプだわ」
息を吐きながらも、少しホッした様子のサトミ。
確かに、お客さんに喜んでもらえた瞬間は、心が通じた充実感があった。
だから尚更、作り手の思いが、ノルマと言う形に塗り替えられた事に悲しくなったのだ。
「そうだよ。なんかごめんね、心配かけて」
「ううん、マツが元気だったら良いわ。また連絡してよ」
「うん、またね、ありがとね~」
いつものように明るい声で別れの挨拶を交わす。
切れた通話画面の向こう側のサトミを思う。
家族だから夕飯の注文…なんて言うのは無いだろうけれど。
サトミの思いは旦那さんが共有するんだろうな…。
そんな事を考えていたら、今の自分が何だか惨めな存在のような気がして、涙が溢れて来た。
(あれ?もしかして、これって病んでる?)
ポロリと零れる涙が画面の上に零れる。
真っ暗な画面に薄く映る自分の顔。
もしかしたらヤバイかも。
そんな事を考えていたら、急にお酒が飲みたくなった。
そして、気が付けば、見返すつもりだったはずの好きだった人の店に足を運んでいた。
それでも店の前で我に返る。
彼氏が出来るまで会わないと言った手前、それを誤魔化すように強気で店に入り、言うつもりだった人の真向いの席に陣取った。
「いらっしゃいます」
「強いのちょうだい!」
営業スマイルを浮かべる店員を前に、半ばヤケクソ気味に注文を入れた。
すると、彼は少し考えた風な顔をして、慣れた手つきで注文とは真逆の可愛らしい飲み物を淡々と差し出した。
「グレープフルーツジュースでございます」
「な、なにおぅ!池田の癖に」
注文の扱いの雑さに、眉間にしわを寄せて睨みつけてやる。
「…血圧が下がるかと思いまして」
そんな池田のつれない態度にカチンと頭に来た私。
「それは薬の禁忌作用ですが?」
「あはは、良かった。まだ冷静でしたね」
私の冷たい突っ込みに、池田は良い顔で返してくる。
「う…」
流石は私の元、好きだった人である。
好みの顔。そのストライク真ん中の微笑みに、何も言い返せなくなった。
「くそぅ…」
私は小声で文句を言いながら、大人しくグレープフルーツジュースをチビチビと飲む事に決めた。
「そう言えば、彼氏が出来たんでしたっけ?」
「は?」
今日の池田は私の事が気になるのか、弄りたいのか妙な事を尋ねて来た。
「まだですが?」
悪態を心で呟きながら、ジトっと睨んで言い返す。
すると池田は「う~ん?」と何かを考え出した。
全く。
これだから顔の良い男は…。
少し気を許した私は、自分のモヤモヤを吐き出した。
「…ちょっと色々と上手く行かなくて、凹んでるだけよ…」
そう言ってジュースを飲んで、話を誤魔化す。
「そうですか。色々…ですか…」
「仕事辞めたの」
「え?そっち?ですか?…あれ?他にもありません?」
「…言いたくない」
そんな私の冷たい返事に、池田は妙に納得してしまった。
「なるほど…」
そう言って微笑みで答える池田。
勝手に納得するな、と心で再び悪態をつけばため息も零れる。
「だから何か酔えそうなのを下さい」
「う~ん…じゃぁ…少し…ううん。結構待っててください」
「はぇ?なにそれ」
「ちゃんと用意しますから、それまではジュースで我慢して下さい」
ニコッと微笑んでそう言われれば、やっぱり何も言い返せない。
仕方が無い。
言われるままに素直にジュースをチビチビと飲み続けた。
けれど体は正直だ。
静かなバーのカウンターに「くぅ」とお腹が鳴る音が響く。
そうか。そう言えば夕飯がまだったな。
「お腹空いてきたし帰ろうかな?」
池田の顔も見ずにそう告げる。
「先に小腹を満たせるモノを作りますよ」
「へ~、そんなの簡単に出来るもんなの?」
「はい。元料理人なんで」
そう言えばそうだった。
そして茶色の彼も料理人だった。
「少しお待ちください」
そう言って池田はカウンターの奥の方へ行ってしまった。
独り残されたカウンター。
すこし手持ち無沙汰だけれど、あの時のオムライスのような、私の為の何かがやって来るかと思うと、まるでおやつを待つ子供みたいに気分があがってしまった。
だから静かに大人しく待っていた。
そう。ただ短にワクワクと楽しみだったのだ。
(やっぱり良いな。私もこんな仕事の方が良かったなぁ)
ぼんやりとそんな事を考えていたら、ほんの数分でそれは出来上がった。
「ポテトサラダサンドです。本当は乗っけて食べるのがお勧めなんですけど、半分に切って挟みました。こっちの方が女性は食べやすいですよね?」
差し出されたお皿の上に、ホカホカのサンドイッチがあった。
トーストサンドだ。
私は素直に「頂きます」と言って食べ始めた。
「…美味しい…。トーストしてあるから、さっくりして食べやすい」
「ですよね」
「あはは、くそぅ。グレープフルーツジュースがまた合うなぁ」
「ありがとうございます。それは良かったです」
微笑む池田の顔をよそに、私は少しだけ悪態をつきながら、ゆっくりとサンドイッチを味わった。
このサンドイッチは、店に並ぶそれじゃない。
知らな人が作って、知らない人が食べるサンドイッチとは違う。
私の為に作られた私のサンドイッチなのだ。
だからそれは私の口に入る毎、まるで私を慰めるように、身体の中へ沈んでいった。
まるでおやつを食べた子供が急に大人しくなるような感じだ。
私はバーに居ながらグレープフルーツジュースをチビチビと飲み続けた。
けれども、お酒の飲まないバーは、時間の流れ方がゆっくり過ぎて退屈だった。
それにさっき池田に言われた「結構」な時間はもう過ぎたと思う。
お腹も良い感じに膨れたし、池田の言う通り結構待ったけれど、何も起きない。
私は店を出ようと思い池田に声をかけようとした。
「カラン」
私が池田に声をかけるその時、店のドアが開いて、ベルの音が聞こえた。
「いらっしゃいませ」
池田の目線の先が店の入り口へ向いている。
声をかけ損ねた私に池田は「お待たせしました」と微笑みながら顔を向けた。
「え?」
「あ~イケ、遅くなってごめ~ん」
聞き覚えのある声に、時間がゆっくりと流れるのを感じまま、声のする方へと顔を向けた。
そこに居たのは、あの日の、茶色のスーツの彼だった。
顔は彼なのに、印象が大きく違うのは、デニムのシャツとベージュのパンツ姿だったからだ。
「お待たせ~」
彼はゆっくりと私の隣に座り、最後に別れた人同じ、あの日見せてくれた良い顔で私に挨拶をした。
突然訪れた彼との再会劇。
その衝撃に声が出ない。
ただ呆然と彼の顔を見ていると、彼は少し照れた顔をした。
「あ~、もししかしてだけど、うちの店に来てくれた?」
「え?」
「あれ、違う?思い過ごし…」
「い、行きました!」
彼の言葉を遮るように、返事をしたから、少し大きな声が出たかも知れない。
「良かった、合ってた!」
大きな声に驚きつつも、直ぐに良い顔で笑ってくれた。
そして私の隣の席に座りながら、「う~ん?」と声を出して、カウンターの上のジュースをジッと見つめる。
「それ…イケの事口説いてたの?」
彼は少し困った顔をして、グレープフルーツジュースを指さした。
「え?…」
そう、それは以前に私達が会った日の話題だ。
その時は私はバーの店員である池田の事が好きだった。
だから注文をする時に、池田の好きなものを頼むと可愛いくて良いのでは?という話をした。
すると池田はその意趣返しだろう、「だったら、グレープフルーツジュースですかね」と私に言い返したのだ。
そして目の前にあるのはグレープフルーツジュース。
だから私が池田を口説いているのかと、聞いてきたのだ。
まさか…!
こんな少女漫画のような展開が本当に起きるなんて…!
あまりの偶然と、いたずらと、タイミングの悪さにいたたまれない気持ちが沸き起こり、私は否定の言葉が出なくなってしまった。
すると乙女と言う生き物は、こんな時は逃げ出したくなるらしい。
私はいたたまれ無さから、目の前のジュースを一気に飲み干した。
そんな私の妙な行動に、彼と池田は「え?」と驚いた声を重ねたけれど、正直、今はそんな事はどうでも良い。
「もう帰りますので!」
頑張って作った笑顔で池田に声をかけると、さっさと支払いを済ませるべく、カバンをの中の財布を探した。
「折角来たのに、もう帰っちゃうんだ…」
「へ?」
その声にデニムシャツの彼の顔を見ると、寂しそうな表情を浮かべている。
「っ…」
何だろ。
なんで私はこんなにいたたまれない気持ちになっているんだろう。
そして、どうして顔が熱いのだろう。
あれ?
そう言えばストーカー呼ばわりされる位の執念で、彼の店を特定したのは誰だっけ?
その上、彼の仕事に勝手に憧れて、自分の仕事が嫌になって辞めたの誰だっけ?
あれ?
ま、まさか!
たった一度会ったきりの…。
名前も連絡先も知らない、人だったハズ。
今、隣に座って私を見ている彼の事…。
もしかして?
もしかして好きになっていた…?
そんな事実に気が付けば、それがふっと体に落ちて、それを確認するようにゆっくりと彼の目を見た。
あ。
好きだわ、これ。
正直、タイプの顔では無い。
けれど、何でだろう。
何で、私はこんなに彼に惹かれているんだろう?
一体何がこんなに気になっているんだろう。
もしや、私は少女漫画のヒロイン…いや、それ以下のチョロインなのか?
驚愕の事実で固まる私に声で話かけて来たのは池田だった。
「松山って、強引な所あるもんな」
「え?」
「藤田の店に行ったって聞いたからな」
そう言って笑う池田の顔は、学生の時に一度だけ見た、無邪気な笑顔だった。
「え?」
そんな池田の顔にとあっけに取られていたら、意中の彼は頬杖をつきながら、少しだけゴロンと横になって、私の方を向いた。
なんだそれ、あざと可愛いぞ。
「あ~実はさ、俺の母さんがね、『あんたと同じ年位の、明るいミルクティーみたいな色のロングヘアの美人のお客さんが店に来てて、私の顔を見てびっくりしたんだけど、あんたの知り合いなの?』って言ったんだ。
だから、俺、仕事中にちょっとだけ、客席を覗いたんだよね」
「え?」
「そしたらさ、居たから。でも、俺が声をかける前に帰っちゃてたから、イケに連絡したんよ。そしたら店の場所は伝えてないって」
「あ…あ~、なるほど…?」
「それで、強引な所が有るから、勝手に調べたんだろうみたいな事を言われて」
「…」
「松山さん…で良いんだよね、この前はありがとうね。それに試すような聞き方でごめんね」
「い、いいえ。それに、すごく…美味しかったです。ごちそう様でした…」
私はそう答えるのが精一杯だった。
すると池田は私達の目の前に二つのグラスを差し出した。
「キールでございます。ご注文いただいたのに、遅くなり申し訳ございません」
そう言って笑いながら、少しカウンターの中を移動をした。
どうやら暫く二人にしてくれるらしい…って、あれ?
なんで二人にした?
「あの~?」
私が声をかけると、あざと可愛い彼は起き上がり、良い笑顔で教えてくれた。
「藤田です。藤田アラタです」
初めて聞いた彼の名前。
それを頭で繰り返しながら、自分の名前を告げた。
「…ま、松山アズミです…」
「アズミちゃんか」
微笑み返す藤田さん。
二人の間にある、その妙な恥ずかしさを感じた私は、誤魔化すように会話を続けた。
「あ、アラタってどんな漢字ですか?」
「名前負けしてるって言われるけど、嵐が大きいって書くよ」
少しだけ、苦い笑いを浮かべながらも、心地の良い声で会話が返って来る。
嵐…。
そう言えば彼は春一番のような人だった。
「ふふ、嵐ですか、ピッタリです?」
「え?そうかな?じゃ、あずみちゃんはどんな漢字?」
「明るいに、水が澄むですね」
「明るく澄んで行くかぁ…それもピッタリな気がする」
そう言って「嵐大」と名乗った彼は私の顔を見て笑ってくれた。
そんな顔を見ていたら、その笑みの向こう側から、私に向かって春一番よりも強い、大きな何かが駆け抜けたような気がした。
心臓が風に合わせて駆け抜ける。
「「乾杯~」」
私達は二人一緒に「キール」を味わった。
そう。
喉を通る、それは春の訪れ。
それは新しい恋の始まりを告げる風。
私はキールをゆっくり飲みながら、彼に顔を向けた。
すると一口だけ飲んだ彼もこちらを見たので、お互いに目が合ってしまった。
見つめ合う形になったそれが妙におかしくて、カウンターにちょっぴり少なくなったグラスを置くと、二人して声を出して笑ってしまった。
「あはは、俺にはちょっと甘いかなぁ」
「ふふふ、私は甘くておいしかったけどな~」
「そっか、アズミちゃんが美味しいのなら良かった」
そう言って良い顔で笑っている彼は、優しい嵐のような、温かさと強さを纏う人だった。
【短編】それは優しいテンペスト さんがつ @sangathucubicle
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