31.扉越しの想い

無駄に広い家は厄介だ。

長い廊下をひた走る。普段運動不足の人間にはなかなか辛い。しかも、本日二度目の全力疾走。


ゼーゼーと肩で息をしながら、やっと着いたアーサーの書斎のドアをノックした。


「・・・マイクか? 一人にしてくれと言っただろう。暫く放っておいてくれ」


中からアーサーの声がした。


「いいえ・・・。わた・・くしです。ロ・・・ゼです・・・」


だらしなく扉に寄り掛りながら、息も切れ切れに答えた。


部屋の中からガタンと椅子から立ち上がる音が聞こえた。

そして何やら呟く声も。よく聞こえないが、


「ローゼ・・・?」


と言っているのだろう。


「は・・・い。ローゼで・・・す」


ヒーハーと息を整えながらもう一度答える。


「ローゼ・・・っ! どうしてここへ・・・!」


部屋の中から悲痛な声が返って来るが、扉が開く気配はない。


「どうしてって・・・。アーサー様のご様子を伺いに来ましたのよ」


「・・・」


私は扉に向かって話しかけるが、返事がない。

仕方がないので勝手に開けようとしたが、鍵が掛かっていた。もう! 周到な奴だな!


「アーサー様。扉を開けて頂けませんか? お顔が見たいのです。距離は取りますから」


優しく問いかけるが、やはり返事がない。


「アーサー様?」


「帰ってくれ! ローゼ! 私は貴女に合わせる顔がない!」


あーあー、言うと思ったそのセリフ。一番言うと思った。


「すまなかった! 本当に! 謝って許されることではないが」


「何故アーサー様が謝るのです? 謝るなら私の方でしょう? 今回のことは私が悪いのです。私の失態が招いた事です。全て私のせいですわ」


「何を言っている! 貴方は何も悪くないだろう!」


「いいえ。悪くないのはアーサー様です。だってそうでしょう? 忠告を破って傍に近づいたのも私。うっかり流血したのも私。そして何より・・・」


あ・・・。

私はその時の悶着シーンを思い出して、改めてタラリと冷や汗が流れてきた。


「ああ~っ! ごめんなさい~~! アーサー様! 私ったらこともあろうにアーサー様の顔面を鷲掴みにしてしまいました~!!」


うわぁ、ないない! あれはない! あの場面ではどうしようもなかったかもしれないがあれは酷い! 淑女としてどうなの? 当主の顔面鷲掴みって! 他にやりようがなかったか? しかも使用人の前で!!


「怒ってますよね~。ごめんなさいぃ~~!」


私はドンドンと扉を叩いた。


「もしかしてそれで開けてくれないのですか~?! アーサー様ぁ~!」


ドンドン!


「何を言ってる! 違う違う! ローゼ!」


「呆れてますか~~?! 私のこと~~~」


ドンドンドン!


「そんなことはない! ローゼ! 落ち着いて!」


「もうしませんから~~! 怒らないで~! お願い~、アーサー様~!」


ドンドンドンドン!


「怒っていない、怒っていない! 大丈夫だから!」


「嫌わないで~~! アーサー様~~!」


ドンドンドンドンドン!


「馬鹿な! 嫌うわけがないだろう! 落ち着いて!」


「捨てないで~~!」


「捨てるはずがない!」


「別れないで~~!」


「別れない! 別れないから! だから落ち着て! ローゼ!」


「本当・・・!?」


「ああ! 本当本当! だから・・・。ハッ・・・!」


何かに気が付いたようにアーサーが息を呑む。

わっはは。掛かったな。今更気付いてももう遅いわ。


「ならいいですわ」


私は扉を叩くのを止めた。


「約束ですわよ、アーサー様」


「・・・」


「よもや撤回するなどありませんわよね?」


「・・・」


「明日の朝になって『やっぱり別れよう』などおっしゃるのは無しですわよ!」


私は扉に向かって、ふふんっと勝ち誇ったように腕を組んだ。


「・・・ローゼ・・・、貴女って人は・・・」


扉の向こうからアーサーのかすれた声がする。同時にその場に膝を付いて座り込んだような音がした。

私もその場に座り、扉越しに向かい合った。


「ねえ、アーサー様。以前に私が言ったこと覚えていらっしゃる? 私は絶対に貴方を諦めないって。一緒に生きていく方法を模索しましょうって言ったこと」


私は扉に手をかざした。


「それなのにたった一回の失敗すら許して頂けないなんて、それは流石に厳しくありません?」


「許すなんて・・・、私にはそんな権利など無い・・・。私にできるのは貴女を解放してあげることぐらいなんだ・・・」


弱々しい声が聞こえる。


「アーサー様が私のことを思って『解放する』とおっしゃっていることは十分理解していますわ。でも、それは私にとっては『捨てられる』と同義語なのです」


私は語気を強めた。


「アーサー様。模索するには試行錯誤が必要です。その過程で失敗は付きものです。当然傷付くこともあるでしょう。でも私にはその覚悟は十分ありますわ!」


私は膝を付いて両手を扉に添えた。一枚の板を挟んだ状態で目の前にいるであろうアーサーをしっかり見据えた。


「貴方を愛しているの、アーサー様。だから・・・、貴方も私を諦めないで下さいませ!」


「・・・ローゼ・・・」


涙で掠れた声が聞こえる。

本当に私の夫は泣き虫なんだから。


扉の向こう側で私と同じような位置にトンっと手が置かれた音がした。


「貴女を抱きしめたい・・・」


扉越しに聞こえる弱々しい声に胸が締め付けられる。

私だってすぐにでも抱きしめてあげたい。


「愛してる、ローゼ・・・。愛してる・・・」


「ええ、私も。アーサー様」


私はそっと扉に口づけた。

きっと彼も同じことをしているだろう。


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