30.秘密の共有
「奥様、お加減はいかがでしょうか?」
遠慮がちなノックの後、執事のマイクが、妻でメイド長のアリスと孫のトム、そしてメアリーを伴って私の部屋に入ってきた。
トムとメアリーは心なしか青い顔をしている。
「私は大丈夫よ。薔薇の棘が刺さっただけなのだから」
私は立ち上がると四人を部屋に招き入れた。
「それよりも旦那様は?」
私の問いにやや沈黙が流れる。
「今はお薬も飲まれて落ち着いております。ただ・・・」
マイクが言い難そうに私を見た。
「ご自分の行動に相当ショックをお受けになったご様子で・・・。今は一人になりたいと書斎に籠っておられます」
でしょうね・・・。
ズーンっと沈んでいるアーサーの姿が目に浮かぶ。
「これもすべて私の失態だわ・・・。私のせいなの。私が全部悪いのよ・・・」
私も罪悪感で気持ちが凹みまくる。
「そんな、奥様・・・!」
「だって・・・、旦那様はちゃんと考えて適度な距離を守っていらしたのに、私が軽率にも傍に近寄ってしまったんだもの。その上、怪我するなんて・・・。ああ! なんて間抜けなんだろう! 私のドアホ!!」
私は両手で自分の両頬をベシベシ叩いた。
その行動に四人は目を丸めた。メアリーが慌てて私の傍に駆け寄ってきた。
「お止めください、奥様!」
メアリーは私の手を取ると、優しくソファーに座らせた。
「メアリー、今回のことは驚いたでしょう? 事情は聞いた?」
まだ私の手を握っているメアリーの顔を覗くように見上げた。
彼女は無言で小さく頷いた。
「ごめんなさいね、黙っていて。トムも」
私はマイク夫婦の少し後ろに控えめに立っているトムの方にも振り向いた。
トムもメアリーも慌てて首を横に振った。
「でもね、こればかりは・・・。あまりにも重大なことだから安易には教えられなかったの」
「分かっております・・・」
私の手を握るメアリーの手に力が籠った。私は彼女の手を握り返した。
「トムは旦那様の専属従者だし、代々レイモンド家に仕える家柄だから、この秘密はいつか然るべき時に伝えられたでしょう。でも、貴女は違うわ。もっと好条件の職場があれば移る自由があるのよ。そんな貴女にこの家の秘密を共有するのは重たい枷を負わせることになってしまうもの。貴女は優しいから・・・」
「・・・奥様・・・」
「メアリー、レイモンド家が怖くなった?」
「・・・」
「怖くなったら無理しないで辞めていいのよ。紹介状はちゃんと書くわ」
「・・・」
「でもね、これだけは信じてちょうだい。旦那様は本当に紳士で素晴らしい方よ! 心から私を愛してくださっているの。これから先、もしも私の身がどうなろうとも彼には非はないのよ!」
力強く言い切る私の前に、メアリーは私の手を取ったまま跪いた。そして真っ直ぐ私を見つめた。
「奥様。今回のことで私がレイモンド家を去る理由は一つもございません。ずっとお仕えいたします」
「ありがとう、メアリー」
メアリーはさらに手に力を込めると、にっこりと微笑んだ。
「もしもの事なんて絶対起きないように、私が全力で旦那様から奥様をお守りしますからね!」
「ふふ、頼もしいわ。よろしくね、メアリー」
「はい!」
私は信頼の証を込めてメアリーをそっと抱きしめた。メアリーは少し驚いたようだが、私の背中に手を回し、抱きしめ返してくれた。
側近の二人には秘密を打ち明けることが出来て、少しばかり心の荷が降りた。
★
「あとは、旦那様に会わなくちゃだわ。指先の血も止まったし」
「今からですか? もう夜でございますよ!」
マイクが驚いたように目を丸めた。
「やっぱりダメかしら? ちゃんと距離は置くつもりだけど」
「「いけません!」」
マイクだけでなくアリスにもピシャリと言われて、私はシュンとうな垂れた。
「奥様のお気持ちは重々理解しております。ですが、ここは旦那様のお立場とお気持ちを考慮下さいませ」
「でも・・・」
「月が半分以上満ちた夜は危険でございます。血は止まったと言っても傷は残っております。完全に止まったとは言い切れません。ただでさえ旦那様の奥様に対するお気持ちはとても強いのですから」
「そうですわ。ここは旦那様の為にも耐えてくださいませ。明日の朝になさってください」
マイクとアリスがなだめる様に私を説得する。その様子をトムとメアリーが心配そうに見守っている。
私は俯いたまま唇を噛み締めた。
明日の朝、安全な時間帯に安全な距離を保って話す方がいい事は分かっている。私の為にでも彼の為にでも。
でも・・・。
今のアーサーはとてつもない大きな罪悪感に苛まれているはずだ。それをたった一人で抱えているのだ。
彼のことだ。きっと、どんどんどんどんネガティブな方向に思考が行ってしまうに決まっている。それをそのままにしてはいけない気がする。
「でも、今じゃないとダメなのよ!」
そうだ! 今じゃないとダメなのだ! 明日の朝じゃ遅い!
ああいったタイプは時間が経てば経つほど拗れた考えが固まり、朝には出来上がってしまうのだ。きっと良くない結果を出すに決まっている!
「行ってくる!」
私はマイクたちが止めるのを無視して部屋を飛び出した。
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