29.失態

しかし、思いの外早く、トムとメアリーには秘密を暴露する機会が訪れた。


それは月が半分以上満ちたある夕暮れだった。


アーサーの書斎に飾ろうと、庭園に咲いている薔薇を見繕っていた。

以前の会話で彼が薔薇の香りが落ち着くと言っていたことを思い出したからだ。


それに、前世で吸血鬼が薔薇のエッセンスを糧にしていた漫画を思い出し、もしかして薔薇は何かしらの効果があるのではなかろうかと考えたからだ。

まあ、安直だが僅かでも気持ちが落ち着くなら越したことはない。


摘んだ花を私の後ろに控えているメアリーの持つカゴに入れていく。お喋りをしながら楽しく花摘みをしているところに、アーサーが仕事から帰ってきた。


庭園に私がいると聞きつけ、邸には入らずに顔を見に来たようだ。トムを従えたまま私たちのところにやって来た。


「ローゼ」


「あら、アーサー様。お帰りなさいませ。今日はお早いのですね」


愛しい人の帰宅に思わず笑みがこぼれる。


「薔薇を摘んでいるのか?」


アーサーも優しい笑みを浮かべながら私に近づいてきた。しかし、すぐ傍まで来ることはなく、ある程度の距離で立ち止まった。


「ええ。アーサー様の書斎に飾ろうと思いまして」


「私の書斎?」


「そうですわ。だってアーサー様の書斎って殺風景なんですもの」


私はちょっと悪戯っぽく笑って見せると、


「それに・・・」


迂闊にもアーサーの傍に近寄ってしまった。

折角、彼が適度な距離を保っていたというのに。


それなのに私はアーサーの目の前に立つと、手に持っていた摘んだばかりの薔薇の花を彼の鼻先に近づけた。


「薔薇の香りは落ち着くっておっしゃっていたでしょう?」


アーサーは一瞬躊躇したが、軽く目を閉じて薔薇の香りを嗅いだ。


「ああ、いい香りだ」


「ふふ。でしょう? たくさん飾って差し上げますわね!」


私は薔薇をアーサーから離し、自分の胸元で持ち直した。

その時だ。


「痛っ・・・」


何という失態だろう! 薔薇の棘が指に刺さってしまったのだ!

人差し指から赤い血が小さく盛り上がる。


さらに間抜けな事に、この時になっても私は事の重大さに気付かなかったのだ。


「あ~あ、刺しちゃった・・・」


呑気にそんなことを呟いた瞬間、その手首をガシッと力強く掴まれた。

私は驚いて顔を上げた。


そこには目を爛々と光らせながらも、唇をギュッと噛み締め必死に耐えているアーサーの苦しそうな顔があった。





しまった!


やっと事の重大さに気が付いた。

苦しそうな吐息に、燃えるような瞳。私の手首を掴んでいるその手は力がどんどん強くなるのに、カタカタと震えている。


「ロ、ローゼ・・・」


指先から血が糸のように細く流れている私の手がゆっくりと彼の口元へ運ばれる。

彼の中で必死に抗っているのだろう。カタカタと震えが止まらない。

それでも徐々に彼の口元に近づいていく。


「いけません! アーサー様!!」


私もやっと我に返り、大声で叫んだ。

それと同時に、反対の手でガシッと彼の顔を掴んで押しやった。


「な、な、何を! 奥様!」

「奥様っ! 何をなさっておいでですか?!」


その様子を見ていたメアリーとトムが慌てて駆け寄ってきた。


そりゃ、ビックリするだろう。

侯爵家当主の顔を鷲掴みにしてグイグイ押しやってるんだから。


「トムとメアリーで旦那様を押さえて! 早く!」


「「え? え?」」


「早くなさいっ!! 早く!」


動揺する二人に構わず叫び続ける。

私の必死さが伝わったのか、二人はアーサーに飛び掛かるようにしがみつくと、私の手首を掴んでいたアーサーの手を必死に振り解いた。


私は自由になると、サッとアーサーから距離を取った。


小刻みに震えながらも、まだ私のもとに近寄ろうとするアーサーを二人は懸命に押さえている。


「二人ともそのまま旦那様の傍にいてちょうだい! すぐにマイクを呼んでくるわ!」


「え? 祖父を?」


主人を押さえ込みながら、トムは不安そうに私を見た。


「ええ! すぐ戻るからそれまで押さえていて! それと他の使用人たちに見られないように注意してちょうだい!」


私はそう言い残すと、邸まで全速力で走った。

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