第2話
拝島さんと別れて昇降口へと向かう途中で先ほどのことを振り返った。
いや振り返らずにはいられなかった。
冷静に考えてみよう。
上履きのまま掃除を手伝うというクラスメイトの不審な行為に対して拝島さんの対応は完璧に違いなかった。
というよりはむしろ、ぼく自身の行動の不審さに目をつぶりたい気分であった。
完全に不審者じゃん。
そう思うとため息がこぼれた。
僕は下駄箱から靴を取り出して、上履きから履き替えてしまおうとして――
「ねえ、春斗」
「あ」
突然声をかけられ、上履きは落下していった。
数回ほど転がると、彼女の足元近くで止まった。
「なに、やっているのよ」と彼女は上履きを僕の目の前に差し出す。
僕は黙って受け取り、彼女――夏目優衣を一瞥する。
まあ、何というか……夏目は今どきの高校生を具現化した身なりをしていた。
例えば、髪型。茶色に染められた髪の毛は程々にカールをしている。ティーン向け雑誌の表紙を飾っていそうないかにも馬鹿そうな――いや、お洒落な髪型をしている。
そして、完璧なまでに作り上げられた顔。
いや、もともとの顔立ちが整っているのかもしれない。
ブラウンの瞳、桜色の小さな唇。
それにしたって、まつ毛長すぎないかと僕は思うのだが口にするのは憚れる。
もちろん、そのようなことを指摘したことで後の制裁を怖がっているわけでは断じてない。
うん、違う。
もちろん一般的なマナーとしてそして良心から口にしないだけなのだ。
などと観察していたからだろうか。
夏目優衣は大きな瞳を細めて、不満そうな声を出した。
「なによ」
「拾ってくれて、ありがとう」と僕はローハーに履き替えながら言う。
「うん」と夏目優衣は少し照れた表情で小さくうなずいた。
「じゃ、また明日」と僕は挨拶をすると、夏目優衣もつられて「うん、また明日」と挨拶を返した。
僕は昇降口へと向かう。
「あ、いや、ちょっと、待ちなさいよ!」と上ずった声がすぐに返ってきた。
「なにか?」と僕は振り返ると、夏目優衣は視線を右往左往して必死に何かを思案してから答えた。
「なに、さりげなく帰ろうとしているのよ!」
腕時計に視線を落として答える。
「え、いや、終電に間に合わなくなっちゃうから急がないと」
「え、そう、それなら仕方ないわね……って、そんなわけないでしょ‼」
今、何時だと思っているのよ、と夏目優衣は勢いよくノリつっこみをしてくれた。
意外とノリが良い。
それにしても僕に声をかけた理由は何であろうか。
彼女のようなクラス内、いや学校内でもカースト上位に位置する彼女が一体全体僕に何の用があるというのだろうか。
先日のように授業ノートを見せればよいのだろうか。
いや、それだけの理由でわざわざ待ち伏せをするのか……?
面倒だ、思考を打ち切って単刀直入に聞くことにした。
「それで、何か用があったのでは?」
「え、そうよ」となぜか戸惑いながら夏目優衣は答えて、カールした髪先を触る。そして、何度か視線を明後日の方角に外した後、何かを決心したかのように僕を見据えた。
「一緒に帰らない?」
「別に構わないけど」
「そう、だったら――」
「中央図書館に寄るから駅とは逆方向になるけど?」
「――奇遇ね。私も図書館に用があるの」と夏目優衣は明らかに『今考えました』というお粗末な理由を述べた。
夏目優衣の思惑とやらは判然としないが、きっとここで断ってしまったら気になってしまうだろうし、不審な行動から目を背けることにした。
「わかった」
「うん」
夏目優衣はかわいい小動物のように頷いて僕の隣を歩き始める。
僕はさりげなく横を見る。小さな桜色の唇が潤んでいた。
グロスでも塗っているのだろうか――と考えている場合ではない。
何を企んでいる、この女は。まさか僕のような純真無垢な男心を手玉に取ろうなどと考えているのではないだろうか。高級なブランドのバックや財布などを貢がせる魂胆かもしれない。
僕は疑心暗鬼な心中を的確に表現しようと鬼の形相で威嚇射撃を試みた。
しかし夏目優衣はこちらをちらっと見て、氷のような冷めた視線と怪訝そうな顔で反撃してきた。
「あんた、なにやっているのよ?」
「いや何でもない」
「まあいいけど……単刀直入に忠告するけど、舞には気を付けたほうがいいよ」
真剣な表情で夏目優衣は言った。その表情とは対照的に夏目優衣のスクールバックに付けられたピエロのストラップが揺れる。そのピエロは舌を出しておどけた表情をしていた。そのストラップを横目にして「どうしてだよ?」と尋ねた。夏目優衣はすぐに「そのうちわかる」と返事をした。
「……」
この人は何を言っているのだろうか。
突然、クラスメイトに忠告をするのは百歩譲って聞きいれるとしても、その理由を言えないならば明らかにおかしな話だ。
そもそも、なぜ同じスクールカースト上位に属している拝島さんに「気を付けろ」などというのか。
僕に親友の拝島さんを取られたくないからなのか。
いや僕は拝島さんと仲が良いわけではないから、この推測はおかしいか……。そもそも夏目優衣が僕に固執する理由もないのだから。
それならばどうして――
「ごめん、今はまだ言えないけど……必ず説明はするから。だから――」
「だから詮索はするな、と?」
「そう」と夏目優衣はうつむいた。僕が「納得はできないけど、一応、心には止めておく」と答えると「うん」と夏目優衣はうなずいた。
「……」
「……」
どうやら夏目優衣の用件というのはこの奇妙な忠告のようだ。
僕たちは横断歩道を渡ろうとする。しかし、ちょうど青信号が点滅し始めて、赤信号へと変わった。僕たちは立ち止まった。その横を急ぐように若いサラリーマンが赤信号を無視した。
夏目優衣は今さっきのおかしな雰囲気を壊すかのように明るい声で話題を変えた。
「あともう一つお願いがあるの。ノート見せて!」
「了解。今日はどの科目?」と僕は答える。「数学」と夏目優衣は申し訳なさそうに言う。
ノートか。
かねてから思っていることを口に出す。
「よくこの高校合格できたな」
「え?」
夏目はキョトンとして目を丸くして首をわずかに傾げた。その表情には『この童貞は何をほざいているのだろうか』ということが見て取れた。
いや僕の被害妄想かもしれない。しかし夏目優衣の何か不意を突かれたように唖然とした表情が目に焼き付いて離れない。
「いや、高校一年の春学期の内容は難しくないだろ」
「そうね。確かにチョー簡単だと思う」
「じゃ、僕のノートは見る必要ないだろ」
「春斗、なんか勘違いしてない?私はあんたの予習した解答と私の予習した解答の答え合わせをしているだけ」
「じゃ、授業の板書を映しているわけではないと?」
「当たり前じゃない!わたし、まじめだから‼」と夏目優衣は貧相な胸を張る。
「そうですか」と僕は目を逸らして答える。「それこそ、ノートくらい拝島さんや水鳥にでも見せてもらえばいいのでは?」
「そうもいかないの」とやれやれといった表情で夏目は言う。「勉強の話題よりも、もっと当たり障りのない会話じゃないとダメなの」
スクールカースト上位もなんだか面倒な環境だ。なぜ友達同士で腹のうちを探り合うのか意味が分からない。普通にノート見せてと頼むだけではないか。
青信号になり僕らは、再び歩き始めた。
図書館の入っているビルは既に目と鼻の先に見えた。
「だったら、教科書ガイドでも買えば?」と僕は提案する。夏目は「何よそれ?」と聞き返す。僕は簡潔に説明する。「教科書の答えと解説が載っている」「え、そういうものが存在するの?」と夏目はキョトンとした表情だった。
僕たちは、そんな他愛もない会話をしながら図書館へと向かった。すでにあたりは暗くなっている。看板の赤や青や黄色のネオンが、行きかう人々を照らしている。
拝島さんのこと。夏目優衣の忠告。
考えることはたくさんある。
迅速に勉強を終えて早く帰宅しよう。
そう思った。
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