魔都ガラ・ルーファ(六)

 景気良く啖呵たんかを切ったのは良いのですが、勝算があるわけではありません。フリエちゃんをいじめる人をつい蹴飛ばしてしまっただけです。


「ガキどもが!お前の心臓も喰ってやろうか!」


「ぴええええ……」




 右手に持った家宝の短剣を闇の翼ドルアーラにして空を飛んでいる以上、私に攻撃の手段はありません。噛み付いて血を吸うことができれば良いのですが、鋭い鉤爪や強靭な尻尾に加えて龍の吐息ドラゴンブレス、さらには魔法まで使える相手にそんな隙があるとは思えません。つまり……必死に逃げ回るだけです!


「ど、どうしましょう……?」


「ロナちん、乗って!」


 その声に思わずつかまったのはイブの背中でした。両手は酷い火傷で武器を扱えそうにありませんが、背中の翼は無事のようです。


「の、乗ってどうするのです?」


「さあ?」


無計画ノープランですか!?」


「そう。とりま突っ込むから、あとはノリで」


「もう!【覚醒リベレーゼ黒の大鎌ファルチェ】!」


 ただ無計画ノープランでいきなり突っ込む私達に魔龍公も戸惑ったのか、対応が遅れたようです。三つの影が交差する瞬間に黒の大鎌ファルチェが一閃、黒い鱗に覆われた左腕が灰色の空に舞いました。


「やるじゃん、ロナちん!」


「駄目です、この程度では……」


 十分な手応えはあったのですが、相手は私と同じ魔貴族です。私と同じ程度の再生能力があるとすれば片腕を失ったくらいでは致命傷にはなりません、それどころか数日もすれば再生してしまうでしょう。


「天にあまねく光の精霊、我が意に従いの者を撃ち抜け!【光の矢ライトアロー】!」


「うえっ!?」


 そうでした、新しい魔龍公は魔法の力も使えるのです!私をかばったイブが光の矢ライトアローの魔法をまともに受けて空中で姿勢を崩しました。


「イブ、ごめんなさい!私が油断したんです」


「はあ?こんなもん余裕なんですケド!」


 駄目です。イブは強がってはいますが、翼に力が入っていません。空を飛ぶ速度が明らかに落ちてしまっています。これではもう戦えません、だとすれば私に残された手段は……




「い、いただきましゅ!」


 もうこれしかありません、私は黒い鱗に覆われた首筋に牙を突き立てました。

 私はこれまで魔族の血を吸ったことはありません、それも魔貴族の血を引くイブの血を取り入れてしまえばどうなるか……


「ううっ……」


 ほんの少し、ほんの僅かに血を頂いただけだというのに、胸の奥がうずきます。何か黒いものが体からあふれ出してきます。




「下郎どもが……愚かな人族ヒューメルどもが……父の恨み、母の無念、眷属けんぞくどもの嘆き、うぬらの血を全て吸い尽くそうとも飽き足りぬ!」


 這虫はいむしのごとく地面を埋め尽くす人族ヒューメル、ただただ愚かで矮小わいしょうな、わらわに血を吸われるだけの哀れな生物。ただそれだけの価値しか無い存在……


「ち、違います。私そんなこと思ってません。みんな大切なお友達で、わらわは、私は……」


 黒く、赤く、胸の中で何かが渦巻いています。心が闇色に塗りつぶされていくようです。わらわは魔貴族で、誰もが畏れる存在で、愚かな人族ヒューメルはお父さんを殺したばかりかその心臓を……




「違うよ!ロナちゃんはそんな子じゃない!」


 この声は……アイナさんです。大きくて強くて優しくて、人の話を聞かない私のお姉さん。


「ちょっとアンタ、アタシ達のこと一人で背負ってるつもりじゃないでしょうね!」


「ロナちん、あーしの血ぃ吸った?吸ったっしょ!だったらあんな奴に負けんなし!」


「お、俺だっていつまでも役立たずのガキじゃねえんだからな!」


 フリエちゃん、イブ、エミーロ君。人族ヒューメルとか魔族とかじゃなく、大切な私のお友達。




 ……そうです。私はずっと、大人になりたいと思っていました。


 体が大きくなって力も強くなって堂々として、誰もが私を一人前だと認めてくれるようになれば、誰かと争うこともなく誰かを傷つけることもなく一人で生きていけるのだと。


 でも違いました。大人になるというのは大きくなることでもなく強くなることでも偉くなることでもなく、自分で道を選べるようになること、その選択に責任を持てるようになるということだったのです。


 そしてそれは、私一人でできることではありません。みんなが支え合って、誰かの足りないところを誰かが助けてあげる、それで良いのです。自分の足りないところを認めるのもまた、大人になるということなのです。




 暗く湿った闇の城ドルアロワで一人だった頃、私は弱くて小さくて泣き虫で、人に傷つけられて人を傷つけて、そしてそんな自分が嫌で、心の闇に飲まれそうになっていました。


 でも、みんなのおかげで少し大人になれました。強くなれました。だからもう大丈夫です。心の闇に飲まれることは、もうありません。

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