魔龍公アウラケス(七)

 すべての視線が宙に注がれます。空中で静止するほうきの上に立つ黒外套ローブの痩せた男。男はその手の中で未だ脈打つ心臓に迷いなくかじりつき、喰いちぎり、喉を鳴らして飲み込み……


「うっ……ぐっ……ぐおおおお……」


 その目が一杯に見開かれ、口からは血と絶叫が溢れ出し、長い黒髪は逆立ち、全身をびっしりと黒い鱗が覆い、背中からは黒い大きな翼に長大な尻尾。つまり……ザイドフリードさんと呼ばれていた人は、人ではないものに変わってしまったのです。


「おおおおお……ふふ……ははははは!良いぞ!これだ、この力だ!」


 人でなくなったものは蝙蝠こうもりを思わせる翼を広げ、獣のような咆哮を上げました。それだけで森の木々が、割れた硝子ガラス窓が震えるようです。


「参ろう、眷属けんぞくどもよ!人の欲望と虚飾にまみれた都を相応ふさわしい姿に変えてくれよう!」




 残った龍人族を引き連れて飛び去るその姿を、私は地上から呆然と見送ったのです。しかしそれもつかの間、魔龍公の娘イブリリスが絶叫とともに迫ってきました。


「あああああ!てめえ!ゼッテー許さねえかんな!」


「そうはいかないよ!」


 私の背後から振り下ろされた青龍刀を受け止めたのはアイナさんの大剣。イブは力任せに押し込もうとしましたが、膨れ上がったアイナさんの筋肉がそれを許しません。噛み合った刃が耳障りな音を上げてきしみます。


「よく考えなさい!お父さんの仇はロナちゃん!?それともあの人!?」


「うるせえ、うるせえ、人族ヒューメルのくせに!よくも人族ヒューメルのくせにパパを!」


「……イブ、もうめませんか?イブのお父さんも、マエッセンも、このままでは可哀想です」


 私に向けられたイブの目は憎しみから理解に、最後には哀しみに変わって涙が溢れてきました。それが地面に落ちると、次いで青龍刀が力なく地面に突き刺さったのです。




「マエッセン……」


『悔いはございません、良き人生でございました』


 腰から上だけになった忠実な骸骨騎士は私の膝に抱かれ、清々すがすがしそうに空を見上げました。


 フリエちゃん、エミーロ君、アイナさん、子供達。一人、また一人と集まってきます。


『ロナリーテ様は良きご友人を得られました。このマエッセン、いささかの心残りもございません』


「マエッセンは嘘つきです。みんなとお別れするなんて寂しいに決まっています」


 照れたように微笑むマエッセンの前で膝をついてしまったのはエミーロ君。稽古をつけてもらったり紅茶を飲む所作を真似したり、彼が一番マエッセンに懐いていましたから。


「嘘だろ?骸骨のおっさん……」


『どうですエミーロ、格好良いでしょう。私の人生は最後まで格好良かったでしょう』


「……ああ、最高だ。最高の騎士だよ、あんた」


『エミーロ、皆さん、ロナリーテ様のことをよろしくお願い致します』


 誰もが声もなく、静かにうなずく気配だけが伝わってきます。


「騎士マエッセン。長きに渡る忠誠、大儀でした。今度こそ奥様と一緒に安らかに……うっ、うえええええ……」


 私は最後まで言葉を続けることができませんでした。死してなお忠誠を尽くした騎士は私の腕の中で空に旅立ち、愛する奥様と共に虹の橋を渡ったのです。




「……おい、クソガキ」


「……何よ、エロガキ」


「俺、あいつを倒す。お前の力を貸してくれ」


「あったりまえじゃない!足を引っ張るんじゃないわよ!」


 こうして一人が欠けてしまった『ロナの四騎士』はエミーロ君がその遺志を継ぎ、誓いを新たにしたのです。

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