魔貴族の夜(二)

 やがて深い深い森が途切れ、茶色と灰色が織りなす岩場を越え、見えてきたのは雲をく断崖絶壁。それに近づくにつれてあらわになる無数の洞穴、至るところから上がる噴煙。


「イブ、ここは……」


「覚えてる?あーしの家」


 魔龍イブリリスに案内されて到着したのは、微かに記憶に残る場所でした。通称『龍の巣』、魔龍公アウラケスの居城です。居城と言っても建物があるわけではなく、明確にその範囲が決まっているわけでもなく、広くはこの活火山全体を意味します。


 空を舞う龍人族からいくつもの興味の視線が突き刺さります。彼らは魔龍公アウラケスの眷属けんぞくで、見た目は魔貴族の子であるイブよりも龍に近い姿をしています。首が長く頭部も龍そのもので背中には蝙蝠こうもりのような羽、小さく不器用な手は何かを持つのに適していないのでしょう、武器のたぐいは握っていません。




 硫黄の匂いがする熱風が顔に吹きつけてきます、生命力の弱い人族ヒューメルさんであればこれだけで病気になってしまうかもしれません。

 岩場の中に穿うがたれた巨大な空洞、その片隅に敷かれた赤い絨毯じゅうたん、さらにその上には古ぼけた円卓。手先が不器用な龍族は自分達で物を作ることができませんし、調度品の価値を知ることもありません。立派ではあるものの古くて不揃いの椅子も含めて、全て人族ヒューメルさんの町から奪ってきたものでしょう。




 向かって左側に座るのは均整の取れた長身に全身を覆う黒い鱗、背中には蝙蝠こうもりのような翼、頭には立派な二本の角、魔龍公アウラケス。


 向かって右側に座るのは巨大な身体に分厚い筋肉の鎧、赤い表皮に黒い剛毛、頭頂部には一本の角、鬼人候グラウケス。


 そして中央、堂々たる体躯に隆々たる四肢、人族ヒューメルなどでは到底扱えそうにない大剣、巨大な翼を窮屈そうに折りたたみ、三人掛けの応接椅子に巨体を乗せているのは魔大公アスラーム。


 みんな大きいです、怖いです。この人達に比べると私なんてひよこみたいなものです。尻尾を掴まれてあーんと美味しく食べられてしまいそうです、私に尻尾は無いのですが。ともかく挨拶を済ませ、いくら何でも大きすぎる椅子にちょこんと腰を下ろしました。


「みゃ、みゃ血伯ロナリーテ、大公殿下のおみゃねきにより参上しました」




 やがて魔龍公アウラケスさんの開会宣言で『魔貴族の夜オルエデン』が始まりました。議題は『夢魔インキュバスを害した魔血伯ロナリーテの処遇』だそうです。


「……以上のことから、魔血伯ロナリーテに対する処罰を求めるものであります」


 魔龍公アウラケスさんは自分の配下であった夢魔インキュバスさんを私に殺害されたと訴え、魔大公さんは肘掛けに頬杖を突いてそれを聞いていました。


「魔血伯ロナリーテ、この事実に間違いはないか?」


「ひゃい……」


 魔大公さんとは初めてお会いしましたが、この人怖いです。大きくて筋肉もりもりで声も低くて、いかにも魔族の長という迫力です。私の目の前に置かれたお茶がかたかたと震えるのは地面が凸凹でこぼこで円卓も不安定だからですが、私もそれに合わせて小刻みに震えています。


「魔血伯ロナリーテに要求する、共に夢魔インキュバスを害した人族ヒューメルを我に差し出せ」


「えっ……?」


「末端とはいえ魔貴族を害した下郎、八つ裂きにして喰ろうてくれよう」


「そ、そんな……」


 優しいアイナさん、たくさん食べるアイナさん、みんなが大好きなアイナさん。アイナさんは私を妹だと言ってくれました。魔大公さんと魔龍公さんがどんなに怖くても、私がひよこみたいに弱くても、絶対に渡すことはできません。


「あ、あの……」


「娘イブリリスによれば、魔血伯は人族ヒューメルと共に暮らしているとの事。先代の魔血伯ロサーリオを人族ヒューメルに殺された恨みを忘れたか?魔貴族を裏切り人族ヒューメルくみするつもりか!?」


 頑張って口を開こうとしたのですが、さらに追い詰められて頭の中がぐちゃぐちゃになってしまいました。目の中に涙がたまってきましたが、泣いたところで誰も助けてはくれません、黙っていてはいけません。今まで甘えてきたぶん、私がアイナさんを助けるのです。




 よし、と覚悟を決め、目の前のお茶をこくりと飲み干しました。そしてびっくりしました。

 喉が痛いです!胸が熱いです!これは本当にお茶だったのでしょうか!?木杯に僅かに残った琥珀こはく色の液体、鼻をくすぐる香ばしい匂い、胸の奥から吐き出される熱い吐息、その私を見てにやりと笑う魔龍公。


「ひっく……わらしましぇん……」


「む?」


「アイナさんはわらしましぇん!だいたい何らんですか、さっきから偉そうに!ひっく!魔龍公がなんぼのもんですか!」


 ふんすとお酒臭い鼻息を吐き出すと、魔龍公がずるりと椅子から滑り落ちそうになったのが見えました。

 面白そうに眺める鬼人侯も、澄ました顔の魔大公も、どいつもこいつもめてんじゃねえぞと思います。

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