剣士エミーロ・カスパート

 もうお空には星が瞬く時刻だというのに、城の裏手から重い音が続けざまに響いてきます。

 理由はわかっています。夕刻からエミーロ君が骸骨騎士スクレットのマエッセンに剣術の稽古をつけてもらっていて、それが未だに続いているのです。小さな子はもう寝る時間なので、そろそろ止めようと思ってこうして外に出てきたのですが……




 いました。アイナさんがいつも剣術の稽古に使っている一角、そこだけ下草がげて土が踏み固められているのです。


「あの、エミーロく……」


「くっそぉ!うあああああ!」


「ぴっ!?」


 声を掛けようとした途端に大声を上げられて、思わず木の陰に隠れてしまいました。そのまま呼吸を整えているとひときわ重い音が響き、エミーロ君が手にしていた剣が撥ね上げられました。それは宙で何度か回転し、十数歩も離れたかぼちゃ畑に突き立ちました。


 これまでエミーロ君は何度も何度も剣を拾い直しては果敢に挑んでいたものですが、この時彼は両膝と両手を地面について泣きだしてしまったのです。


「なんでだ!?どうして俺はこんなに弱いんだよ!何の役にも立たねえんだよ!」




 そのまま何度も何度も地面を殴りつけるエミーロ君を黙って見降ろしていたマエッセンでしたが、やがてゆっくりと口を開きました。


『悔しいですか、少年。今はそれで良いのです、誰もが通った道ですから』


「嘘だ、そんなわけねえ。あんたみたいに強ぇ奴、最初から強いに決まってる!」


『そのような者はおりません。どのような種族の誰でも苦しみの中でもがき、辛さに歯を食いしばり、悔しさに涙をこぼすものです。今日のあなたのように』


「骸骨のおっさんにもあったのかよ、負けて悔しいなんて事」


『ありますとも。先代様……ロナリーテ様の父上を失った日のこと、思い出さぬ日はございません』




 マエッセンが語ったのは、お父さんが亡くなった時のことでした。


 三十年ほど前。魔族と人族ヒューメルの間で大きな戦争があり、マエッセンもお父さんと共に人族ヒューメルと戦ったそうです。

 愚かで命短く脆弱ぜいじゃくな種族と思われていた人族ヒューメルは意外にも数を揃え、装備を整え、策を練り、整然と行動することで良く戦い、反対に敵をあなどっていた魔族は苦戦をいられたそうです。マエッセンも濃霧と深い森の中でお父さんの軍と分断され、敵味方の場所も自分の位置もわからず孤立してしまいました。


『ロサーリオ様!ご主君!何処いずこわす!』


 それでも数多くの人族ヒューメルと戦いながらお父さんを探し回ったそうですが、やがて乱戦の中で『闇の衣』、闇の力ドルナを蓄えておくことができる外套マントを切り裂かれてしまいました。

『闇の衣』を失ったマエッセンは闇の城ドルアロワの敷地の外で光を浴びると徐々に体が崩れてしまうため、撤退せざるを得ませんでした。そして戻った闇の城ドルアロワにて、主君戦死の報を聞くことになったのです。




「……あんたみたいに立派でも、悲しい話でもないけどさ」


 マエッセンの話を聞いたエミーロ君は立ち上がり、今度は自分の話を始めました。


「俺、嬉しかったんだ。初めて本物の剣を持たされて、これでみんなを守るんだって思った。骸骨のおっさんに稽古けいこつけてもらって、自信もあった。一人や二人くらいなら斬れるんじゃないかって思った。だけどさ……」


 エミーロ君は服の袖で涙をぬぐい、骸骨騎士スクレットの目の場所にある空洞を見上げたようです。


「いざとなったら震えるだけで何もできなかった。ロナも、魔術師のクソガキも、立派に戦って凄えって思っちまった。俺、今はこんなんだけどさ、あいつらを守れるようになれるのかな。あんたみたいになれるのかな」




 マエッセンはすぐには答えず、背を向けてゆっくり歩きだしました。かぼちゃ畑に突き刺さった剣を引き抜き、軽く布で拭って手渡したのです。


『よく磨いておきなさい、エミーロ。剣だけではありません、心も、体も。もうこれで良い、と思ってはいけません。いつまでもどこまでも磨き抜くのです』




 エミーロ君は剣を鞘に納め、骸骨騎士スクレットの背に向けて一礼した後、ようやくお城に戻っていきました。


 こうして闇の城ドルアロワの長い一日が終わったのです。

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