ルイエル鉱山の腐魔(三)

 ルイエル村の宿屋の二階で、私は悪戦苦闘していました。


 熊さんがらのパジャマを脱いで枯葉色の外套ローブに着替えようとしているのですが、なかなかはかどりません。パジャマを脱ごうとしてはよろめいて倒れ込み、外套ローブから頭を出そうとして袖に頭を突っ込み、靴下を履こうとしてころんと転がり、いつもの何倍も時間がかかってしまいました。


 それをアイナさんが心配そうに見ています。この人はもしかして、夜中じゅうずっと看病をしてくれていたのでしょうか。

 お礼を言って立ち上がろうとしたのですが、力が抜けてまた寝台ベッドの柱にしがみついてしまいました。体力もそうですが、まだ闇の力ドルナがほとんど回復していません。


「ロナちゃん、もう起きて大丈夫なの?」


「はい。ご心配おかけしました」


 私は強がりを言って立ち上がり、部屋中を見回しました。寝台ベッドの下を覗き込み、衣裳棚クローゼットを開けて隅から隅まで見渡し、カーテンの裏側もテーブルの下も見てみたのですが、ありません。どこにも。


「ポンタ!ポンタは!?私の荷物はどこですか!?」


「ポンタ?ああ、あの熊のぬいぐるみ?」


 アイナさんが言うには、あの後村人達を追い払い、私を背負ったときにはもうどこにも無かったそうです。ポンタが、私の大切なお友達がいなくなってしまいました。


「ポンタ!」


「待ってロナちゃん!外には……」




 身支度もそこそこに飛び出すと、宿の外には人だかりができていました。


「出てきたぞ!昨日の魔女だ!」


「早く病気を治してくれ!次は俺の番だったんだぞ!」


 瞬く間に大勢の村人に囲まれて、頭の上からたくさんの言葉が降ってきました。背が低い私はこうして上から見下ろされたり、大きな声を浴びせられるのがとても怖いのです。アイナさんが私を助けようとしてくれているようですが、それもたくさんの声に掻き消されてしまいそうです。


「んうっ……」


 私は闇を操る吸血鬼ゆえか、闇にはとても敏感です。暗闇だけでなく心の闇、つまり人の悪意にさらされると、血を吸ってもいないのに心が闇に支配されそうになるのです。


「下郎どもが……わらわを何と……」

 

 駄目です、来ないでください。今こんなところで闇に飲まれてしまっては村人さん達が危険です。私は必死に心の闇を押さえつけました。


「うっ……あ、あの、ポンタはどこですか!?熊のぬいぐるみです、大切なお友達なんです!」


 頭を抱えたまま、それでも一生懸命にお伝えしたのですが、誰も聞いてくれません。口々に自分が欲しいもの、して欲しいことを叫ぶばかりです。

 皆さんの病気を治してあげたいのは山々ですが、闇の力ドルナはまだ全然回復していません。それどころか心の闇に飲まれてしまいそうです。とても怖くなってしまった私は地面にうずくまりながら、でも必死にお友達を呼びました。


「あ、【起動アプリーレ人形兵ペルチェ】!おいで、ポンタ!」


 急に静かになった村人達の後ろで、木の板が裂けるような激しい音が上がりました。皆が振り返る中、近くの家の扉を爆砕して現れた巨大な茶色熊が突進してきます。


「うわあああ!熊だ!」


「使い魔だ!魔女の使い魔だ!」


 やっと再会できたポンタは私の顔をたくさんめました。やっぱり寂しかったのだと思います。

 私もまた会えて嬉しいです。でも……あれほど集まっていた村人さん達は一人残らずいなくなってしまいました。




「ごめんねロナちゃん、大丈夫?」


 これはアイナさんです。声も体も大きいですが、しゃがんで目線を合わせてくれるので怖くありません。


「お前は何も悪くねえ。友達、帰って来て良かったな」


 これはシャルナートさんです。がさつで口も悪くて苦手だと思っていたのですが、優しく頭を撫でられると泣きそうになってしまいました。

 そうでした、元はと言えばこの人の言う事を聞かなかったから悪い事が起きてしまったのです。ごめんなさい、と素直に謝ると、髪の毛をくしゃくしゃにされてしまいました。本当は優しい人なのかもしれません。




「ふう……よかったぁ。えへへ」


 ポンタがまた顔をめました。大丈夫です、こんなに優しい人達とポンタがいれば、心が闇に飲まれることはありません。私はたくさん、たくさんポンタの頭を撫でてあげました。

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