夢魔の館(五)

「いやああああ!来ないでください!!」


「連れないじゃないか、魔血伯。僕に罪をあがなわせるんだろう?」


「もういいですぅぅぅ!!!」


 大きすぎる黒の大鎌ファルチェを短剣に戻して全速力で逃げる私を、夢魔インキュバスさんが小走りに追ってきます。

 その顔に浮かぶ微笑も、その手に持つ剣も恐ろしいのですが、それよりも何よりも、股間にぶらぶらと揺れるものが気になって仕方ありません。せめて下着くらい着ければ良いのにと思いますが、もしかするとわざとかもしれません。広い世の中にはそういった嗜好の人もいると、物知りのリーゼロッテから聞いたことがあります。


「捕まえたらどうしてあげようかな。僕は君くらいの歳でも全然構わないんだよ」


「へ、へ、変態さんです!巡回兵おまわりさんこっちです!!」




 必死に逃げ回っていた私ですが、そう広い館でもありません。とうとう行き止まりの壁を背に、変態さんに追い詰められてしまいました。そうです、ここには巡回兵おまわりさんがいないので、自分の身は自分で守るしかないのです。


「り、【覚醒リベレーゼ夜の大剣グラディース】!」


 両手に握った短剣がにわかに闇をまとい、見る間に黒い刃の大剣に姿を変えました。もちろんただの剣ではありません、これは……


「面白い玩具おもちゃだね、ちょっと貸してくれないか……っ!?」


「お断りしますっ!」


 激しく剣を合わせて突き放すと、夢魔インキュバスさんは十歩ほども後ろに吹き飛びました。

 私の腕力ではありません、質量の差です。夜の大剣グラディースは所有者の質量を十倍から十分の一まで望みのままに変化させることができるのです。玩具おもちゃではありません。


 続いて限界まで身を軽くした私は高く跳躍して壁を、さらに天井を蹴って夢魔インキュバスさんの頭上から斬撃を浴びせました。辛うじて受け止めたようですが、身体能力でも剣術でも、武器でもこちらがまさっています。冷静になれば私にだって十分に勝ち目が……


「どうしたのかな?僕の顔に何かついているかい?」


「か、顔には何もついてません!」


「どこに何がついているのかな?言ってごらん」


「ふえええええ……」


 むしろさらけ出すように両手を広げた夢魔インキュバスさんがゆっくりと近づいてきます。

 冷静になればもっと戦えると思うのですが、どうしても目のやり場に困ってしまい……そうです、見なければ良いのです。私は両目を強く閉じ、夜の大剣グラディースを握り直して下段の構えをとりました。


「ふふ、それで良いのかい?魔血伯。ならば決着をつけるとしよう」


「……」


 これでも腕に自信はあります。感覚の鋭い魔族です。相手の殺気に反応するくらい……できると思います。


 ……来ました。滑るように右足、続いて大きく左足を踏み込んできました。予想通りこちらの小手狙いです。夢魔インキュバスさんは私にえっちな悪戯いたずらをしようとしているのですから、致命的な場所を狙うはずがありません。

 瞬間、目を見開き、相手の剣を巻き落とします。入れ替わりに大きく踏み込んで必殺の平刺突ひらづきです!




「き、貴様……」


「ぴっ……」


「貴様あ!許さんぞクソガキ!!!」


「ぴえええええ!!!」


 私はお腹を突き刺したつもりだったのですが、身長差を頭に入れていませんでした。夜の大剣グラディースの剣先に捉えたのはお股の下にぶら下がるものだったようです。

 夢魔インキュバスさんが激怒するのも無理はありません。親の仇を見つけたような形相で追いかけてきますが、その股間に揺れる物はもうありません。


 これは駄目です、どんなに謝っても許してくれそうにありません。私は息を切らして必死に逃げ回りましたが、その先の角からアイナさんが現れました。もう駄目かもしれません!


「ロナちゃん、頭下げて!」


「ひゃ、ひゃい!」


 頭を抱えて滑り込んだ私の上を、うなりを上げて大剣が通り抜けました。後ろで思い切り肉と骨を断つ音が聞こえて……


 恐る恐る後ろを向くと夢魔インキュバスさんの上半身だけが廊下に座っていたので、私はそれ以上振り返るのをやめました。




「あの……アイナさん、心臓、食べますか?」


「はあ!?何それ、食べるわけないでしょ!」


 良かったです、アイナさんは魔貴族の力が欲しいわけではありませんでした。それに夢魔インキュバスさんの心臓を取り出して食べるところなど、見たくはありませんから。

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