第4話 傷の舐め合い、です!?


「あ、あのあの!? 何をしてらっしゃるんですか!?」


 私は目の前で起きた光景が信じられず、しどろもどろになりながら銀狼さんに問いかけます。


「何をしているとは? 傷はこうして治すものだろう」


 続く彼の発言を聞いて、私は合点がいきました。


 動物が自分や仲間の傷を舐めて怪我の治りを早くするのは、よく聞く話だったからです。


 ……いやいや。それはそうだとしても、まさか自分がされるとは思いませんでした。


「こ、これは破壊力抜群ですね。その、色々な意味で」


「破壊力? よくわからんが、気分を損ねたか?」


「い、いえ、血も止まりましたので、もう大丈夫です。ありがとうございます」


 動揺しながらもお礼を言うと、彼は不思議そうな顔をしながらも、私の手を開放してくれました。


「こ、こほん。それより目下の問題は、この生い茂った草をどうするかですね」


 どこか恥ずかしくて銀狼さんの顔を直視できない私は、わざとらしく咳払いをして、鬱蒼と生い茂る草藪を見渡します。


 先の通り、素手での作業は無理そうです。かといって、ここには草刈り鎌などありませんし、どうしたものでしょうか。


「つまり、この小屋の周りに生えた草を全て抜けばいいのだな?」


「え? そうですが……」


 私がそう言葉を返した時、銀狼さんの姿が消えました。


 そして次の瞬間、彼は目にも留まらぬ速さで動き、残像を残しながら周囲の草を抜いていきます。


 それこそ森の王たる銀狼の力なのか、ものすごい速度です。


 私はあっけにとられながら、その作業を見守っていたのでした。


  ◇


「あ、あの、銀狼さん、もう十分です。ありがとうございます」


「む? もういいのか」


 大した時間もかからぬうちに、小屋の周囲に生えていた草は跡形もなくなりました。


 作業を止めてもらうと、銀狼さんは疲れた顔ひとつせずに戻ってきます。


「ちょっと銀狼さん、手、傷だらけじゃないですか」


 そして彼の手を見ると、細かい切り傷がたくさんできていました。


 あれだけの草を素手で抜いたのですし、銀狼さんといえど怪我をしてしまったようです。


「気づかなかったな。コルネリア、舐めてくれるか?」


「お、おお、お断りします! 後で傷薬を渡しますので!」


 当然のように差し出された血まみれの手を、私は全力で押し返します。


 獣医ですから、血を見るのが嫌とかではなく、ただ単に恥ずかしかったのです。


 今の私、それこそ血のように顔が真っ赤だと思います。


「……というか今、しれっと名前で呼びました? 呼びましたよね?」


「確かに呼んだが、間違っていたか?」


「いえ、合っていますが……その、突然だったので、驚いてしまいました」


「それはすまなかった。次からは名前で呼ぶ前に、確認することにしよう」


「いちいちしなくていいですから! ところで、私は銀狼さんをなんとお呼びすれば?」


「我のことか? なんとでも好きに呼ぶがいい」


 そう言われましても、いきなり名前など思いつきません。


 結局そのまま『銀狼さん』と呼ぶことにしました。


  ◇


 銀狼さんのおかげで、小屋の周りは見違えるようにきれいになりました。


 あらわになった飛び石を伝いながら、私は建物へと近づいていきます。


 その扉にも大きな板が打ちつけられているので、このままではとても開きそうにありません。


「ここが入口なのか?」


「そうなのですが、見ての通り板で塞がれていて……」


 途方に暮れているところに銀狼さんがやってきて、その板の端を掴みます。


 そして力を入れる素振りすら見せずに、打ちつけてあった板ごと扉を外してしまいました。


「なんだ。開くではないか」


 あっけらかんと言う彼と、その手にある扉を交互に見ます。すごい力です。


「どうした? 入らないのか?」


「そ、そうですね。中はどんな感じなのでしょうか」


 私は取り繕うように言って、建物内へ足を踏み入れます。直後、古い本を開いたときのようなにおいが鼻をつきました。


 うっすらと埃が積もってはいるものの、内部はしっかりしています。


 森に侵食されているのは建物の外だけだとわかり、私は安堵しました。


 床板も腐っている様子はありませんし、屋根に穴が空いたのはつい最近なのかもしれません。


「天井の穴を塞げば雨は大丈夫そうですが、あのかまどは使えそうにありませんね」


 室内をぐるりと見渡すと、一番奥のかまどが目につきました。


 そのかまどは煙突と一体になっており、どちらもレンガで作られています。


 暖を取り、煮炊きをする場所であるためか、力の入れようが他の場所と違いました。


 まぁ、その焚き口からは木の根が顔を出しているのですが。


 どうしてこんなことになったのでしょう。煙突の入口から、鳥が種でも落としたのでしょうか。


「コルネリア、どうした? その木が邪魔なのか?」


 焚き口から覗く木の根を見ながら眉間にしわを寄せていると、銀狼さんが私の肩に手を置いて聞いてきます。


「邪魔と言われれば邪魔ですね。これではかまどが使えません」


「わかった。少し待っていろ」


 そう言うが早いか、銀狼さんは小屋の外へ出ていってしまいました。


 この木をなんとかしてくれるのでしょうか。斧でもないと、さすがに無理だと思うのですが。


 そう考えた矢先、めきめきという音がして、かまどに生えていた木が上へと昇っていきました。


「……はい?」


「コルネリア、この木はどこに置いておけばいい?」


 呆気にとられていると、天井に空いた穴の一つから銀狼さんが顔を覗かせました。その手には、先ほどまでかまどに生えていた木があります。


 つまり、煙突側からあの木を引っこ抜いたと。


「ま、薪に使えると思うので、庭に下ろしておいてください」


 私がそう言うとすぐに彼の顔が引っ込み、直後に重たい何かが地面に落ちる音がしました。


 この小屋を修理するのはそれなりに時間がかかると思っていましたが、彼に手伝ってもらえば割と早く終わるかもしれません。

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