第40話

 空の青い秋晴れに、紅葉が彩る山々が小気味のいい電車の音と共に車窓を流れていく。

 

 

向かい合ったボックス席の向かいに座った春奈は、暖かい陽気の似合う白いワンピースに身を包んでいてた。

 

 

初めて見る彼女の私服姿に、久志は早速心が浮き足立ていた。どこか楽しそうに柔らかい笑みを浮かべて、流れる車窓を眺めるその横顔は、どんな綺麗な車窓の風景より視線を惹きつけた。

 

 

 少し汗をかいた手でカメラを握りながら、我慢できずに彼女の横顔をファインダーで覗き、画角に収める。麦わら帽子の長いツバの下、春奈の長いまつ毛が揺れる綺麗な瞳を捉える。頬に添えられた小さな白い手と、細い指先。

 

 

彼女が自分の恋人だなんて、未だに信じられなかった。

 

 

 シャッター音と共に、彼女がこちらを振り向いた。彼女は頬を膨らませると、カメラを取り上げてしまった。

 

 

仕返しにと、美しい春奈と対照的にボロ雑巾のような久志を、春奈はシャッターボタンを押して貴重なフィルムに焼き付けてしまった。フィルムが勿体無いと訴えると、彼女は「盗撮するからよ」と、もっともな意見で、愛らしく怒った。

 

 

さらに、古いローカルバスを乗り継いで、観光名称にもなっている角上市場に着く。角上市場は長岡市の寺泊にある角上魚類の本店を中心に、周辺の鮮魚店が軒先に浜焼きの露店を構え、さながら祭りの出店形式に様々な魚類の浜焼き屋がひしめいている。

 

 

週末には一定の賑わいを見せるこの市場も、好天の恵も相まって人混みもいつにも増していた。人混みを掻き分ける久志の顔を、春奈は眉を不安そうな八の字にして覗き込んでくる。人の多さを気に掛けていると思われただろうか。初デートで彼女の曇る顔は見たくない。

 

 

寂しそうに宙に浮く春奈の手を握ると、人混みを掻き分けながら戸惑う彼女の手を引いた。思えば手を繋ぐのは初めてだった。

 

 

 

繋いでから、気づいた。その手の、驚くほど小さくか細い指先と温かさに。久志は春奈を見ると、春奈もまた顔を赤くして久志を見上げていた。

 

 

 キスは昨日したのに、手を握ることが、今が初めてなんてなんだか順番が間違っていると思うと、可笑しくて笑いそうになる。春奈も同じことを思ったのか、彼女の方が先に笑い、釣られて久志も笑った。

 

 

 名物の浜焼きを堪能して小腹を満たすと、角上市場のすぐ目の前にある浜辺にでた。そして、穏やかな波が打ちつける浜辺で子供のように二人ではしゃぎながら久志は春奈の写真を沢山撮った。

 

 

 いつしか暖かかった太陽もオレンジ色に燃えながら海に落ちていくところだった。不意に足を止めた春奈が海をじっと見つめた。夕日の眩い光が春奈を包み、その周囲を波に反射するキラキラする眩いオレンジが、彼女をどこか遠くに連れていってしまいそうで、久志はその手を取った。

 

 

「楽しい時って、何もかもすごく綺麗に見える。久志くんのおかげだね…」

春奈の純粋な瞳が久志を捉えた。そのあまりの眩しさを久志は直視できなかった。

 

 

「に、日本海はさ、水平線に沈む夕日がよく見れるけどさ。いつか太平洋の方にも行って、海から登る朝日も見たいよな…」

 明らさまに照れ隠しの、行き当たりばったりの台詞に春奈はクスクスと笑った。

 

 

「わ、笑うなよ!」

 

 

「ふひひ、可愛い…」

夕日の輝きが彼女を儚げに包む。くすぐったいほど甘い幸せの瞬間に、久志は照れ隠しも兼ねて、唇をわざと尖らせシャッターを切った。それから心のシャッターも。

 

 

「じゃあいつか連れてってよ」

 

 

「お、おう」

 今度は春奈の手が久志の手を握った。どこか真剣な春奈の瞳に久志は吸い寄せられて、唇を寄せる。

 

 

零距離で目を合わせると、頬を赤らめた春奈が心から愛おしかった。唇が触れ合うと、優しい波の音が近くで響いた。このまま時が止まってしまえばいいと本気で思った。唇を離すと、一抹の寂しさが全身を覆う。切なくて、またすぐにキスをしたくなった。

 

 

必要もないのに、それを我慢し、春奈の手を強く握る。春奈も同じように感じたらしく、名残惜しそうに見つめる彼女の頬に触れ、また唇を寄せると春奈は微笑んだ。

 

 

そして、またキスをした。

 

 

 きっと、この思い出は一生忘れられない。そんなふうに人生に刻み込まれるような音が、心の中で響いた。

 

 

それから防波堤に出て、座りながら肩を寄せ合って日が沈むのを、ただぼんやりと、言葉少なに眺めていた。何も話さなくても春奈が寄りかかる微かな重みを感じていれば、それだけで幸せだった。

 

 

取り留めのない会話をしてからまた沈黙する。手持ちぶたさに繋いだ春奈の手の指の形を探っていた。こんな風に一緒にいながら、何もしない時間すら幸せに感じることが、恋なのかもしれないと、なんとなく思ったりした。

 

 

日が海に沈む頃、喉が渇いて飲み物を買いに行ったコンビニのワゴンの中で叩き売られていた子供の頃、憧れたような大袋に入った花火を買った。

 

 

そして大量の花火を二人だけで贅沢に使い切って楽しんだ。いつしか、久志が予備に持ってきたフィルムも全て使い切っていた。

 

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