第36話
翌朝学校に登校すると、乙女のように高鳴る胸を抑え、久志は手紙を下駄箱に忍ばせた。
手紙は、必ず放課後には彼女の手紙とすり替えられている。誰が手紙を忍ばせるのかを確認しようと待ち伏せしたことは、もちろん無い。
アキの最初の忠告「PS せっかちは嫌いだよ」。
あれは、自分の正体をすぐに知ろうと焦らないでほしい、という彼女の願いだったのだろう。言われるでもなく、久志は彼女が誰なのかわからないまま、このやり取りを続けることに趣と面白さを感じていた。
そうでもするなら、早々のうちに彼女とメールアドレスでも交換していただろう。
けれど、今は一刻も早く彼女に逢いたい。はやる気持ちを抑えて、靴を履き替え、教室に向かう。
あの忠告はもう半年も前のことだ。もちろん、彼女が間接的に手紙のやり取りを申し込んできた気持ちを、正体をあえて隠したい訳を尊重したいので、アキの承諾を得てからでなければならない。断られた後の事を想像したくないが、その時は冗談だ、とでも精一杯戯けておこうと決めた。
放課後のチャイムが鳴る。同時に、今朝手紙を忍ばせた時の緊張が再び襲ってきた。いや、それ以上の大きな緊張の波が襲ってきた。
動悸を抑え、広瀬先輩にはメールで今日の部活は休む旨を連絡する。
「久志ぃ、今日俺らとカラオケいこうぜ」
間伸びする声で、呑気にそう声をかけてきたのは、友達の内藤と藤巻だった。
「ごめん、俺文化祭の準備で忙しくってさ、今日もネタ集め」
「ふーん、それなら俺らがモデルになってやろうか?」
と内藤の肩に肘を置くこの眼鏡が藤巻。「
「お、それいいね。ストリートスナップを撮られたこともある俺の前衛的ファッションセンスを世に知らしめるチャンス」
と、もみあげが極端なアシンメトリーでピアスを光らせるこいつが内藤だ。
「いや、雑誌に載ったってお前、今週の残念さんってページでファッションリーダー的な雑誌編集者からアドバイスコメント貰ってただけだろうが」
黒歴史を引き出された事を皮切りに、口論を始めた二人の脇を通り過ぎて久志は玄関に辿り着いた。
張り裂けそうな鼓動。置いてあった手紙の、相変わらず白い、紙を震える手で開く。
返事は短く。
「じゃあ、いよいよご対面とあいなろうではないか」
と、相変わらず彼女の綺麗な文字が白い白い紙に並んでいた。
浮かれながら、靴を履き替えて校庭に出たところで、女子の怒鳴る声が響いた。
昨日告白劇が繰り広げられていた体育倉庫側だった。
昨日の今日で、あそこで何が起きているのかと興味を惹かれたのもあるが、久志は昨日の名前も忘れていたあの気の毒なクラスメイトの女子が、またよからぬことに巻き込まれているのではと心配になった。
と、もし本当にそうならと思いながらも、心配してあげるだけで何もできないのだけれど。それに、約束の時間まで余裕もある。
完全に野次馬根性で声の方へ向かい、体育館と体育倉庫の間にいる人影を発見し、慎重に覗き見る。
「マジでこんな奴が王子に告られたとか信じられないんだけど。ねえ!なんで喋んないの?あんた口が聞けないわけ?」
「宮地ぃ、だからこんな女に王子が本気になるわけないから。ふざけてるだけだって。もう行こうよ」
宮地、とは昨日、響とかいう赤毛が言っていた人物だろうか。明らかに校則違反の明るい髪色のロングヘアを上品に巻き上げて、耳にはピアスが光っている。
小顔で色白。遠目でもわかる美人だったが、確か他のクラスだったような気がする。
彼女を面倒臭そうに説得する女子も、宮地と呼ばれた女子同様に派手で綺麗だ。二人は間違いなく王子や響のような種族なのだろう。
そんな二人にいびられて、肩を小さくしている人物は案の定というか、不安的中だった。
昨日の彼女だ。
「だって昨日の王子ずっと機嫌悪かったもん。イチャイチャしててもなんか全然乗り気じゃないしさ。それって、いくら罰ゲームだったからってこいつが振ったからでしょ!?こんなやつのせいでなんで私と一緒にいる王子の機嫌が左右されなきゃいけないわけ!」
「はあ…、あんたさ。せめてなんか喋ることくらいはできるでしょ?なんであんな超絶イケメンを振ったのか、せめて理由を教えてくれない?」
あれは罰ゲームだったのかとさらに彼女を気の毒に思う。まさに上流階級の傍若無人さに、大人しく質素にただ息をして生きている久志のような下民が一方的に迷惑被る、危険なお遊びだ。
本人の前で堂々と暴露するあたり、彼女の気持ちなど無視されていることは明らかで、そのくせ王子が傷つくのは何がなんでも許せないと憤慨する不条理な状況に、久志は胸が痛んだ。
「わ、わたしはただ他に、好きな人がいたから、断っただけ、です」
「はあ!?王子に告白されてよくその辺の馬の骨と天秤にかけれるわね!あんたなんか、とりあえずイエスって言っておいて適当に弄ばれればよかったんだわ」
「はいはい、よく言うよ、罰ゲームでも王子に告白されて実はめちゃくちゃ妬いてるくせに」
宮地のブレーキ役の彼女は、退屈そうに髪の毛を指に巻いて言った。
「はあ?こんな女に嫉妬なんてしないし。私は、冗談でも王子に告られて、それをマジで捉えて調子乗ってコイツのこの態度が気に食わないの」
「そりゃあ冗談でも、王子に告られたこと無い宮地ちゃんにはキツいね、キャハハ」
宮地の友達は頭に血が上っている宮地を飄々とからかっている。もっと言ってやれと久志は心の中で彼女にエールを送りたかった。
「で、でも…」
「あ?」
消え入りそうな声で声をつむぐ彼女に、宮地達の刃物のような視線が向けられる。
彼女は怯えた子猫のように肩を震わせた。
「でも、そのあと王子さんは、私にごめんなって、謝ってくれました。だから、その、宮地さんが言うような悪い事は…弄ぶとか、そういう悪いことは、あの人はしないと思います」
久志は思わず目を覆った。宮地の連れも同じ反応をしている。
それは火に油を注ぐというものだ。パーン、と少量の火薬が爆ぜたような高い音が澄み切った青空を突き抜けた。
顔を上げた先に、平手を振り下ろしたばかりの宮地と、打たれたばかりで呆然とする彼女がいた。
「調子乗んなよ、陰キャの癖に。二度と王子の眼中に入らないで。忠告を破ったら、容赦しないから」
毒牙のように禍々しくドスの効いた低い声は、久志の肩をも震わせた。
女は怖い。理不尽な物言いと暴力でねじ伏せようとする宮地のやり方は明らかに間違っているが、彼女のような度し難い人間には関わらない事以外に彼女の様な生きる災厄を免れる術はない。
それをわかっているのか、宮地の友達である先ほどまで冷静さを保っていた彼女も、何も言わず宮地の怒りが収まるのをただ見守っている。
震える手で頬を抑えた彼女は音もなく涙をこぼした。
宮地達はそんな姿に満足したのか、鼻で笑い、唾でも吐き捨てるようにしながら踵を返し、その場を立ち去った。
さらに、久志のいる方に向かってきたので慌ててその場を後にした。
しかし、なんとも後味の悪い場面を見てしまったと、己の好奇心を恨んだ。
啜り泣く女子を置き去りにして、自分はこれから想い人に逢いに行くというのもまた、宮地達と同じくらいタチの悪い行いなのかもしれない。
引かれる後ろ髪を無理矢理引っ張って、まだ約束の時間は先だったけれど、胸の痛みに堪えながら稲木神社に急いだ。
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