新木久志の回想
第33話
2005年11月。新潟の初冬は、乾いた空気が凍えるように冷たく、吐く息を白く高く登らせた。
田んぼに囲まれた白い大きな校舎。
教室から見える大きなイチョウの木から抜け落ちた黄色い葉が、北風に攫われて校庭を黄色に染めていた。
高校2年の久志はその日の放課後、部活仲間と共に、11月の末に行われる文化祭の準備をしていた。
「久志君さ、こんなどこにでもあるようなつまんない日常写真を、よくもまあA4サイズに印刷しようと思ったね」
自分を含めてたった4人しかいない写真部の部室に、ねちっこい声が響き静寂を破った。
写真部の文化祭の出し物として、各々の写真展ギャラリーを作成する事になっている。
久志も含めた部員たちは、各々持ち寄った写真を、個人に用意された限られたスペースで展示のレイアウトを凝らしている所だった。展示作業がひと段落した一人の先輩は、何か気晴らしがしたかったのか、久志の写真にケチを付けて来た。
「僕は先輩みたいにコレが撮りたい、ってのが特に無いんですよね」
「ならせめてインク代の節約に貢献してくれよ。俺の鉄道写真は全部A2印刷しなきゃインパクト出ないし、ただでさえ、ほとんどがインク代を占める俺たちの部費の事をもっと考えてくれよな」
全国には多種多様で用途も様々な電車が走っているのは知っているが、それをただの交通手段としか見る事がでない久志にとっては、鉄道写真の何がいいのか分からない。
そんな鉄道写真の展示を凝らしている田中先輩は、久志の写真を興味のない折り込み広告を見るようにあしらうと、文句を垂れながら自分の作業に戻っていく。
久志の実家の長年使われていないコンセントを撮っただけの写真が、音もなく机に落ちる。
「特にテーマの無い写真でもわざわざ作品として表現することで、見る人は勝手にカメラマンの意図を探ってしまう。つまり意味不明な写真だろうと見てくれる人は勝手に深淵な芸術性を勝手に見出そうとしてくれるものさ」
と、とても深そうで浅い事を得意げに言っているのは、コスプレイベントにバイト代の全てを注ぎ込み、全国を横断する巨乳美女のバストアップ写真ばかりを持ち寄った桐林先輩だ。
久志は巨乳コスプレ美女の胸元を凝視している桐林先輩の独り言とも、自分に対するフォローとも取れる言葉に特に答えず、自分の作業にも飽きたので、他の先輩の手伝いをする事にした。
巨大印刷機が唸り声を止めたので、久志は印刷されたばかりの特大サイズの写真を広げた。
「おお!広瀬のこの写真は長岡花火の大団円を飾ったフェニックスだな。今年から復興祈願花火として初めて打ち上げられたんだったな。僅かなチャンスで2㎞にも及ぶ黄金の華が、超広角レンズで見事に収まっている。こっちは正三尺玉の圧倒的なスケールがまるで爆発音まで聞こえて来そうな迫力で撮れてる!」
「お前、広瀬の音声ガイドでもやったらどうだ?」
誰も頼んでないのに、急に広瀬先輩の写真を実況するの田中先輩に、未だにコスプレ巨乳美女の写真を凝視している桐林先輩が突っ込んだ。
「今年の文化祭は、長岡の観光協会と自治会のお偉いさんが広瀬の写真を目当てに来賓するからな。俺も負けてられん。少しでも多くの鉄道ファンの心に、感動の三尺玉をあげるぞ」
久志は視界いっぱいに広がるB1サイズに印刷された長岡花火の写真を丁寧に額縁に入れ、端を持った広瀬先輩の合図でもう一方を持ち上げた。
額縁に入ることで、ただでさえ見事な写真に拍車がかかり、それは例えば高級なホテルや要人の屋敷のラウンジに飾ってありそうな荘厳さを帯びていた。
「やっぱり僕は写真部一丸となって広瀬先輩の個展を開催した方がいいと思うんですよね。その為のギャラリーのレイアウトを凝らした方が写真部の株が上がると思います。明らかに僕達の写真は目障りですよ」
久志は誰に言うでもなく淡々と、特に田中先輩に対して嫌味の意味で言った。
「目障りだと!俺の鉄道写真の良さは高校生如きのガキには分からない。文化祭で足を運んでくれる御父兄ならびに広瀬の写真目当てに来るような大人にこそ見てもらいたいんだ」
「そうだぞ新木。やる気ないなら俺のコスプレ写真をもっと見せつけたいからお前の分のギャラリースペースを俺に譲れ」
「いやです!」
きっと広瀬先輩のバーターにも満たない二人との不毛なやりとりに気を取られていると、重い額縁を運ぶ手が僅かに疎かになった。
「おーい新木ぃ、傾いてるよー、重いよー」
間延びするうめき声をあげたのは広瀬先輩だ。もともと文化祭前は備品保管庫程度の狭い部室で4人の写真オタクが窮屈に肩を並べていたのが、広い空き教室を丸々部室として与えられたのは広瀬先輩のおかげだった。
高校生ながら既に全国的にも有名なのフォトコンテストで何度か受賞歴のある広瀬先輩の長岡花火の写真が、御多分に洩れず有名なフォトコンで入選し、長岡花火を取り上げる様々なメディアで取り扱われた。
文化祭に合わせて広い部室が与えられたのは、広瀬先輩の写真が目当ての来賓に合わせた学校側の体裁を整える為なのだろう。
「ああ、すみません。ってあれ、この脚立低くないですか?」
「はい、体育用具室いってらっさーい」
田中先輩がすかさずパシってくる。久志が膨れっ面を向けると「まあまあ、どっちみち同じ高さが2脚必要だし、一緒に行こう」
「何言ってんだよ、そんなもん新木にやらせておけって、それよりさ、俺のレイアウトを一緒に考えてくれないか?新潟の在来線と四季の風景をコラボさせた情緒的な写真と、新潟以外の名鉄主題の写真をどう並べようか迷ってるんだ」
田中先輩に迫られ、広瀬先輩はゴメンと手を合わせて、申し訳なさそうな目で訴えてくる。
桐林先輩はコスプレ女性の写真を穴が開くほど凝視しながら何かに激しく悩んでいる。仕方がない。
部室を出る間際、ふと自分の写真が目に入った。
展示会と言うイベントがなければきっと永遠に人目に触れなかったかもしれない自分の周りのありふれすぎた日常風景写真。
古い家屋の長く使われていないコンセントだったり、近所にいる寝ている野良猫だったり、野花だったりと、他の三人に比べるととにかく地味だった。
通学用の原付バイクで行ける範囲なら何処にでも行って、何でも目についたものを気の向くままに撮った。
つまり、ファインダーに収めるのは、いつだって、特に何も起きていないありふれたつまらない日常写真だった。
恋愛をした事なければ、何か刺激的な事を一緒にする友達も居なければ趣味もない。
何も起こらない、そんなつまらない日常。カメラを始めたのも成り行きというか、気まぐれの延長みたいなものだった。
ガジェット好きだった父が一過性でハマったカメラを、例によって売却しようとしたNikon Fを、そのゴツゴツとしてレトロな見た目に惹かれて、触ってみたいと思って操作を教えてもらったのがきっかけだった。
初めてシャッターボタンを押した瞬間、指先のもっと奥の奥、心が震えたのがわかった。
ファインダーで何かを捉え、閉じ込めたいと思った瞬間にシャッターボタンを押す。けれどいつまで経っても、どこへ行っても久志に特別な瞬間なんて起きなかった。
多分久志は、何も起きない日常に飽きていて、カメラを構えて日常を捉えながら、何かが起きて欲しいと願い、待ち続けていたのかもしれない。
そんな願いを叶えてくれそうな、そんな期待に応える力が、カメラには詰まっているような気がしたのだ。
屋外の体育倉庫に近づくとそこには先客がいた。
「…ずっと前から好きだったんだ。もしよかったら俺と付き合ってくれ」
久志は慌てて姿を隠した。
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