新木久志の日常3

第27話

久志は喫茶店を後にし、繁華街から外れた道を歩いていた。降り積もる雪のせいか、あたりはシンと静まりかえり、白い新雪の絨毯に、もの寂しい足跡が描かれてゆく。

 

 

そんな久志の浮かばない顔を、青白く浮かび上がらせているのは、通知設定をオンに直した、インスタグラムに先程投稿をした写真へのコメントが溢れているスマホ画面だ。

 

 

久志はそれらに返信を返すでもなく、好き勝手にコメント投稿される内容をただぼんやりと、川の流れを眺めるみたいに見ていた。

 

 

「なんだ?デートをドタキャンされた?」「さきって誰だ?まさか写真の女子高生?」「こんなロマンチックな夜にドタキャンされるとか草」「撮影会を運営している者です。事務所に所属している10代の女の子多数。明日のイベントにぜひ参加しませんか?」「文章に感じる雪のように降り積る彼女への想いが切ない写真ですね」「ラインブロックでもされて路頭に迷った挙句の凶行ウケるww」

 

 

前回の早希の写真でフォロワーが一気に増えたことで一躍注目されていたせいだろうか。

 

 

投稿写真を深読みして、早希の写真と書き置きの写真の因果関係を勝手に推測する内容が多数見受けられる。

 

 

まあ、当たってはいるのだが、少々表現が露骨すぎたのかもしれない。

 

 

覚悟していた事でもあり、あながち正鵠を射ている分、我ながら恥ずかしかった。

 

 

雪が積もった街頭を見上げ、その白い光の向こう側に、早希の笑顔が浮かんでは消えてゆく。

 

 

一時は注目されたい一心で、早希の写真を投稿してみたものの、こんな複雑な状況になるのならば最初から、彼女の写真は自分だけのものとしてしまっておけば良かった。

 

 

だが、この投稿をきっかけに彼女と仲良くなれたのは間違いない。

 

 

早希の写真を写したスマホの液晶画面に一筋の雪が落ちた。早希の頬に落ちたそれは直ぐに溶けて、涙のように画面を伝う。

 

 

まるで早希が泣いているみたいに。

 

 

いつの間にか辿り着いた住宅街にも雪が積もっていた。ストーカーに遭っていると言う嘘で誘われたコンビニも現れる。

 

 

久志は、懲りずに。というか、このまま独り寂しく帰宅するにはあまりに辛く、思い出の地を女々しくも追憶するかのように、昨夜、早希と歩いた軌跡を久志は辿っていた。

 

 

「これじゃあどっちがストーカーかわからないな…」

独り言は白い息となって、虚しいほどに高く登る。

 

 

 バイトだろうが気まぐれだろうが、早希が今夜の予定を反故にした理由は最早どうでもいい。

 

 

ただ頭の隅に引っかかるものがあった。

 

 

早希は昨夜、ストーカーは嘘だと言いのけていた。しかし昨日の電話を受けた時の早希の怯え方と助けを求める声は、演技にしては、本当に危機迫った心からの懇願だったように思えた。

 

 

諦めきれなくて理由を無理やりこじつけているのではない。

 

 

念には念を、だ。

 

 

そう、久志は自分に言い聞かせ、昨夜最後に訪れた彼女の家の近所までやってきた。

 

 

暖かそうな明かりが漏れる家の中から、楽しそうな人の気配や夕食の匂いが漂ってくる。

 

 

レースカーテンの内側には小さい子供を囲った家族の笑顔が咲いていた。

 

 

あんな風に早希も何処かで笑っていてくれたらいい。もし早希の隣にいる誰かが他の男でも、彼女があんな風に笑ってくれるなら、もうそれでいいと思った。

 

 

家の中の女性がふとこちらに気づいた。久志を怪しんだのか、立ち上がるとカーテンをシャッと勢いよく締めてしまった。

 

 

少し傷ついた後、昨夜早希と最後に辿り着いた辺りで周囲を見回す。

 

 

するとすぐ側の家の塀門から、若い男が出てきた。積もった雪を煩わしそうに睨みながらコートの襟を寄せて傘を指している。駅の方に向かって歩き出す前に、久志は声をかけた。

 

 

「あの」

若い男は、煩わしそうに久志の方を振り向く。

 

 

「すみません。あの、訪問先の家がわからなくて。梶原って名字に心当たりはありませんか?はは…雪のせいでこの辺りGoogleマップと全然見分けがつかなくて困りました」

 

 

 男の視線が、久志の足元から頭部までを伝う。訝しんでいるのだろうか。

 

 

「ああ、あの家ならすぐそこだよ。いかにも金持ちって感じのデカい家だからわかりやすいはずだ」

 

 

 男の指差す方向には明らかに他の家より広い敷地を高い外壁で囲った、要塞のような外観の家がそびえているのが見える。

 

 

「どうも、ありがとうございます」

 久志は甲斐甲斐しく礼をする。用は済んだのだがしかし、男は立ち止まったまま久志の顔を執拗に覗き込んでいた。

 

 

「あんた、あの家に何の様なんだ?」

 

 

 突然聞かれて、久志はどう答えていいのか分からなかった。すると男は片手をポケットに入れて喋り出した。

 

 

「あの家は昔から、女の叫び声が聞こえたり、血だらけの女が飛び出てきたりって、けっこうヤバい噂で近所じゃ有名なんだ」

 

 

思わぬ言葉に耳を疑う。

 

 

「待って。叫び声って何です?血だらけの女?」

 

 

「ああ、もう何十年も前の話。あの家の主人が家政婦だか奥さんだかを殴って殺しかけたらしくて、女は命からがら逃げ出したんだよ。それからしばらく音沙汰無かったから捕まったのかなって思ったんだけど、今度は女子高生があの家に出入りしてるんだ。噂じゃ遠い親戚の娘を引き取ったって言われてるけど、だとしたら不幸だよな。俺は単純に刑務所を出た主人が家に戻ってデリバリーヘルスを呼んでるんじゃないかって思ってるけどな。そんな噂のせいで、近頃はまた女絡みのヤバい事件が近々起きるんじゃないかって近隣住人は冷や冷やしてるよ」

 

 

久志は言葉を失っていた。

 

 

「ん、待てよ、まさか、男も買ってるのかあの主人。っふ、悪い事は言わない。金より命が大事ならあの家だけは辞めた方がいい」

 

 

「あ、ああ、そうだな、じゃあ辞めておくよ、ありがとう」

 男は気安く久志の肩を叩くと、ニヤケながら駅の方へ歩き出した。久志は男が指差した家に向かって駆け出した。

 

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