新木久志の日常2
第25話
明日がイブということもあってクリスマスモードに突入しつつある街に、まるで誰かが描いた綺麗な物語のシナリオのように、雪が降り注いでいだ。
東京といっても、市内の方のこの街だが、クリスマスに雪が降るというのは奇跡にも近い気がする。
そして、幻のようなそれは、早希と待ち合わせた時間を一時間過ぎた頃に久志の手のひらに舞い降りた。
人肌に溶け、水滴になった雪を眺める。
高い空から遥々降ってきた粉雪の空を舞う美しさと、あっけなく溶けてしまう儚さを、久志は自分と早希の関係に重ねていた。
JR町田駅の横浜線ホームの目の前にある銀細工のモニュメントで久志は、早希の事をかれこれ3時間は待っている。
待ち合わせ場所として数多くの人が利用するこの場所で、同じように待ち合わせをしていた誰もが、次々と恋人や友達と合い、笑いながら何処かへと消えていく。
早希を撮影するべく積み込んできた機材が詰まったバックパックは重く、いつの間にか刺した傘の上には、現在の積雪を観測できそうなほど雪が積もっていた。
相変わらず早希からの返事はない。未読のままになったラインのメッセージはも6通にも及んだ。電話も何度したかわからない。車の中で言っていた、クリスマスに入ったバイトが今夜も急に入ったのだろうか。
「ばかみたいだな…」
久志は人知れず呟いた。
不意に一回り以上も歳の離れた女子高生に与えられた淡い夢に必死に縋っている自分が惨めに思えてしまう。
降っていることすら気づかないほど微細な粉雪だったものは、いつの間にか絵に描いたような本降りの雪に変化していった。
久志以外の誰もが、雪化粧された街に目を輝かせていた。どこからか感嘆の声がする。肩を寄せ合い、空を見上げるカップル。
会社帰りと思しき早歩きのサラリーマンさへ、その足を止め、街を眺めて微笑んでいる。
雪が地面に触れて消えてゆくたび、久志の中で早希の笑顔が浮かんでは消えていった。
騙されていたわけではないのだろう。
少なくともカバンの中にあるカメラで閉じ込めた彼女の記録は、どれも心から笑っているように思う。無邪気に、悪戯っぽく笑う彼女を思い出す。
昨夜の夜遊びへの誘いは、彼女の気まぐれだったのだろうか。ならば今夜のドタキャンも、彼女の気まぐれであっていいはずだ。
おじさんの恋心など、彼女にとってみれば気まぐれ程度で弄ぶくらいがちょうどいいのだ。
だから、見えすいた嘘の理由であってもせめて既読にして欲しい。せめて断りの連絡をして欲しい、などとは思わない。久志はバッグをあさり、会社の研修時代に使っていたボールペンとメモ帳を取り出した。
「いい夜だ。そりゃこんなおっさんと過ごすより友達や彼氏ともっといいことしたいに決まってるだろうな。淡い夢見せてくれてありがとうな」
独り呟きながら、久志は早希に当てたメモを認めた。
そしてバッグを開いてカメラを取り出した。
雪の降り始めから現在まで地蔵のように動かなかったせいで、久志の周りには傘の広さだけ、ポッカリと穴が開いたように雪が無い。
メモを降り積もった雪の上に置く。イルミネーションの光が文字を照らし、よく見える角度を決めてから構図を作った。
音もなく降り積もる雪に紛れて、虚しくシャッターが鳴る。
立ち上がると、カップルが楽しそうに食事をしているレストランのウインドウに、幽霊のように透けた自分の姿が写っていた。
そこには、気合を入れ過ぎて機材を馬鹿みたいにつめた大きなバックパックと、雪の積もった傘を持つ惨めな男が立っていた。
その雪男はまるで、聖夜を喜ぶ人々の幸せを妬む亡霊のようだった。
「こんなところにいたら、みんなの邪魔じゃねーか…」
そのあまりに不気味な自分の姿がショックで、久志は堪らず待ち合わせ場所を後にした。
ふと目についた喫茶店に入ると、外で降っている雪や街ゆく人の浮かれた姿にめもくれずにPCを操作している去年の自分のような男を見つけ、心なしか安心した。
席に着きホットコーヒーを注文し、湯気の登るマグカップを触るとその暖かさに泣きそうになった。
一息つくと、久志はスマホを操作する。
早希に会う前は毎日ログインしていたインスタグラムのアイコンをタップし、数日ぶりにマイページに飛んだ。
インスタグラムの次の更新は、今夜撮影する早希の写真で埋めようと思っていた。けれど、もうそれも叶いそうにない。
電話もラインも連絡がつかないのならと考えついた手段だった。
必要はないのかも知れない。けれど、万が一彼女があの場所に来ることがある可能性を考えて、どんな手段を使っても伝えたいと思ったのだ。
この投稿を見た誰かは、直前の投稿から一変した意味不明な内容に戸惑い奇妙に思うだろうが仕方ない。この投稿を見つけた誰でもいいので、拡散をしてくれれば彼女に伝わるかもしれない。
直前の投稿の早希の写真が目に入る。喫茶店の外では雪が降っている。東京ではおおよそ60年ぶりだとラジオで言ってたっけ、と久志はふと思い出した。
クリスマスの前夜。このまま行けば明日はきっとホワイトクリスマスだ。
今思えば早希はこの奇跡のように儚い存在だった。
投稿内容を確かめている内に目の前が滲んだ。
久志の手に握るスマホには投稿完了の表示がぼんやりと浮かんでいる。
恋人達が行き交う街の寂れた喫茶店。その隅の席で、久志はうずくまり、背中を震わせ泣いた。
「さきへ。雪が降り積もる前に帰ることにするよ。それと、もう会えないかもだから言っておく。短かったけどこんな俺と過ごしてくれてありがとう。さようなら」
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