第13話

「はあ…はあ…どう!?奴はいなくなった?」

 

 

 繋ぎっぱなしの電話越しに訊ねる。

 

 

「わかんない…コンビニ明るいから外が見えにくくて。怖いから外見たくないし」

 

 

「わかった。もうすぐそっち着くと思う」

 

 

 陽気なドンキホーテのテーマソングが近づき、頭が痛くなるほどサイケデリックな照明を光らせた店内入り口を通り過ぎた。

 

 

酒客の笑い声が漏れ聞こえる大和横丁をホルモン焼き屋から噴き出す暴力的な煙を浴びながら、隣を歩く男の1・5倍はありそうな肩幅の女にぶつかりそうになる。

 

 

女に訝しむ目を投げかけられるが構わなかった。

 

 

 そしてようやく、緑と青と白のトレードカラーを誘蛾灯のように光らせるコンビニにたどり着いた。

 

 

雑誌が収まったラックの前で、見覚えのある週間漫画紙を広げて頬をあげている早希の表情が見える。

 

 

少なくとも、その顔には先ほどまでストーカーに追われていたような恐怖心の跡形もない。

 

 

妙だと思いながら、久志は入店する。入店音に反応した彼女は、打たれるように雑誌をしまい、こちらを振り向いた。

 

 

久志だと気づいた彼女は安心した、というよりは苦笑いを浮かべながらこちらに駆けてきた。

 

 

それはまるで悪戯が見つかって決まりが悪そうな子供のようだった。

 

 

「だ、大丈夫なの?」

 

 

「うん…随分早くきてくれたんだね。その…ありがとう、ございます」

 

 

制服といつものダウンコートとマフラー姿の彼女が頬を紅潮させ、曖昧に笑いながらきまりが悪そうに言う。

 

 

そりゃ、こんな時間に夜道で制服姿をチラつかせて歩いたら、暗闇の中で理性をかなぐり捨てて欲望をむき出しにするヤバい人もいるだろうと思った。電話越しの緊迫感よりも随分と拍子抜けな緩い空気だ。

 

 

「緊急事態…だろ?なら、早い方がいいに決まってる」

 

 

「うん…。ありがとう。でも、頼っちゃってごめんなさい」

 

 

 早希は歯痒くなるような敬語で妙にかしこまっているが、久志は居心地が悪かった。

 

 

「おっさんは都合いいくらいじゃなきゃ女子高生と逢瀬できない悲しい身分だからな。こんな状況願ったり叶ったりじゃないか」

 

 

だから、わざと自虐的に戯けることで、調子を整えようと試みてみる。

 

 

「何それ、喜んでるの?じゃあ遠慮なくパシってい?」

案外、早希はすぐに元の調子に戻ってくれてて助かった。

 

 

「やれやれ、色々と大丈夫そうで安心したよご主人様」

 

 

久志が揶揄うと早希の顔が綻び、ようやく久志は安堵した。

 

 

「家は近いの?俺でよかったら送るよ」

 

 

「うん、ありがとう」

 

 

 久志はコンビニのレジで、小腹が空いていた事もあって中華あんまんを頼んだ。

 

 

「早希はどうする?」当然のように聞く久志に早希は「じゃあピザマンで」と嬉々として答え、二人でホッカイロ代わりとも言える中華まんを持って夜道についた。

 

 

久志は警戒を怠ること無く、周囲を伺う。

 

 

あたりに怪しい人影はない。隣を見れば、白い湯気を高く登らせながらケチャップとチーズの香りの湯気を高く昇らせながらほくほくと顔を歪めながら旨そうに食べる早希がいた。

 

 

「あぅんまぁん」

頬にピザまんを詰まらせて幸せそうに唸る早希の警戒心はゼロと言っていい。

 

 

まるで緊張感の無いその姿を見て何度目かの拍子抜けしてしまう。

 

 

こちらが緊張の糸を貼るのがバカらしくなってくるほどに。

 

 

まあ、いいけど。

 

 

と久志はほとんど呆れながら、しばらくその幸せそうな横顔を眺めた。

 

 

「あんまんも欲しいの?」

 

 

「ううん、うまいが極まっちゃっただけ」

 

口元に着いたケチャップを指で拭いながら早希は言うが、視線は久志の手付かずのあんまんを凝視していた。

 

 

久志が差し出すと、早希は「やった」と短く言ってあんまんの半分を容赦なく頬張っていく。

 

 

「ちょっ、一口でかすぎ」

 

 

「むふふふ」

頬袋を膨らませるハムスターのようになった欲張りな早希が見れたらあんまんの半分くらい安いものだった。

 

 

「はい」

おあいこでいいよ、というように早希も食べかけのピザまんを差し出してくるが、間接キスを意識しすぎた久志は慌てながら断った。

 

早希の笑い声が夜空に轟く。

 

 

澄み渡った夜空は街頭や駅周辺の高いビルの人口的な明るさに侵食され、今にも消え入りそうな星が弱々しく光っている。二人の白い吐息が並んで登っていく。

 

 

やがて閑静な住宅街に差し掛かった。

 

 

心なしか、早希の顔がこわばっているように見えた。二人の足音が物寂しく響き、街頭の明かりに紛れていく。

 

 

無理もない。まだストーカーの気配に怯えているのかも知れない。ならば助けを求められた役回りは送り届けて終わりでいいはずがない。彼女の恐怖をできるだけ取り去る。今後のためにも自分なりに実況見分をしておこうと思った。

 

 

「なあ、どのあたりでストーカーに追いかけられたんだ?」

 

 

「…」

 

 

「ど、どうした?」早希は久志の存在を忘れていたかのようにはっと顔をあげた。

 

 

そして、先ほどよりどこか強張った顔である一角を指差した。

 

 

消灯し切った古い建築会社事務所の敷地内。そこは物で溢れ、雑然としていて街灯の灯も届かない建材の隙間は先回りして潜むにはもってこいだ。

 

 

「家は近く?」

 

 

「うん、もうすぐそこだよ…」

 

 

「一軒家か?」

 

 

「うん…」

 

 

こんな所から追いかけられたら、まず家に駆け込む事を選ぶかもしれない。

 

 

しかし、早希がそこで家を突き止められてしまう危険に思い及んだのは賢いと思った。

 

 

もしかしたら奴はまだ諦めていないかも知れない。再び、身体に緊張の糸が張り巡らされていくのを感じた。

 

 

「心配してくれてありがとう…」

 

 

 無理やり作った早希の笑顔は今にも薄暗い路地に滲んで消えていきそうだった。

 

 

「だから、おっさんと女子高生の接点はピンチを救うくらいしかチャンスがないんだよ」

 

 

「なんかハードル上がってない?」

 

 

 早希は呆れたように笑う。ほんの冗談で気をほぐしてくれたのなら嬉しい。

そして何の前触れもなく彼女は急に足を止めた。

 

 

「どうしたんだ?」

 

 

「ねえ、今から夜遊びしない?」

 

 

 左耳から入った妙な言葉が脳の中でぐるぐると、理解できないまま周回を繰り返す。

 

 

早希は妙な電波を地球外生命体から受信しているかのように、いいことでも思いついたような悪戯っぽい笑みを浮かべて身体を左右に揺らしている。

 

 

久志のスペックでは早希が発したの言葉の解読には随分と時間が掛かった。

「夜遊びって、時間的にもう制服で出歩くのはまずいんじゃ…」

 

 

時刻は後一時間で明日になる所だ。

 

 

「バイト帰に友達と遊んでいれば普通にこのくらいの時間になるし、へーきへーき。それにね、なんか今夜はパーっと遊びたい気分なの。怖い思いした、腹いせ的な?」

 

 

「いや切り替え早すぎるだろ。それに、パーっと遊ぶ相手を考えろ」

 

 

「全然いいじゃん。むしろいいじゃん」

 

 

先ほどの緊張感はどこへやら。早希はすっかり何かを吹っ切ったように清々しい顔で、指名を強調するように久志を指差した。

街灯は、こんなに明るかっただろうか。

 

 

「待て待て、いいか!俺はおっさんで君は女子高生。ジェネレーションギャップの限度を超えすぎてて、色々悲しくて楽しめるものも楽しめるわけない。そもそも未成年は夜10時すぎたら大人しく家に帰りましょう。はい、リピートアフタミー」

 

 

 自分と早希を交互に指さし子供を諭すように説明する久志を、早希は白けたような目で見てから肩をすくめて言った。

 

 

「そんな久志さんだから、私は一緒に夜を駆けたいって思うんだけれど」

 

 

 早希とデートなんて願ってもない幸福なことだ。しかし夜中に未成年の女子高生を同伴させている大人は、例え恋人であってもまともじゃない。

 

 

こういう状況でどうしても保守的になってしまうのは、大人として社会人である事に責任を自覚しているからに他ならない。常識という首輪が身体にすっかり馴染んでいる証拠だと思った。

 

 

久志はやはり、社会のモラルや常識といった周囲の目が、まるで檻のように自らを囲い、監視されているような勝手な脅迫感を今も昔のまま抱いていた。

 

 

「いや、だめだ。今日はもう帰ろう。親御さんが心配する」

所詮、臆病な社会の忠犬は、社会という主人の制裁を恐れて尻尾を丸めて犬小屋に戻ることしかできない。

 

 

 

久志は子供を諌めるような少し重い声を作って言った。

 

 

振り返り、住宅街を目指す。

 

 

そうだ。そもそも論点がずれている。今は今後の早希の身の安全のための実況見分だ。いい大人が、子供の悪戯に何を浮かれているのだ。

 

 

「もう!マジで萎えるそういうの、ほら行こう。妹の私の写真いっぱい撮っていいからさ、お兄ちゃん!」

 

 

 熱を帯びた早希の手が久志の手を引いた。

 

 

少し湿っている。力強い彼女の手に引かれて、来た道を駆け足で登っていく。

 

 

「は?お、お兄ちゃん」

 

 

「そ、今夜だけ私のお兄ちゃん。補導されそうになったら兄妹設定で乗り切るの。それともパパの方がいい?」

 

 

「俺がおっさんだってことを積極的に活用しようとしてるけどさ、自ら歳の差をアピールするのは嫌だな」

 

 

「なるほど、パパ活は久志さん的にNGね、じゃあお兄ちゃん設定で」

 

 

「それ全然意味違うから。二度と言うなよ」

 

 

 力強い早希の手に引かれ、久志の足はいつの間にか走り出していた。

 

 

まだまだ眠らない繁華街に向けて。

 

 

早希の、少しだけ手汗をかいている湿った掌の感触が、何とも頼もしく愛おしかった。

 

 

「それにさ、犯人がまだどこかにいるかも。今夜は私のナイトになってよ」

 

 

「調子のいいことばかり言ってるけどさ、今まさに俺の社会的生命が危うい状況だぞ」

 

 

「ふひひ」

と、彼女は心地のいい風のように、楽しそうな声で笑った。

 

 

 久志は早希の手を握り返した。

 

 

窮屈な檻と、首輪を造って律儀に縛っていたのは自分自身だった。

 

 

けれど、それらはきっと、こんな風にいつか彼女に壊して貰うのを待っていたからなのかも知れない。

 

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