第12話


そこへスマホの着信音が響いた。早希からかもしれないとベッドにあったスマホをダイビングキャッチする。

 

 

液晶に「母」とあり、投げ捨てたくなる衝動を我慢して応答する。

 

 

「あ、久志。あんた元気でやってる?」

 

 

「なんだよ急に」

 

 

「あら急で悪かったわね。私も歳かしらね、時々あんたの声を聞きたくなったりするのよね。うふふふ」

 

 

「なんだよそれ、気持ち悪いなぁ」

 

 

ぶっきらぼうに言う久志だったが、電話口の向こうで楽しそうに笑う母の声を聞いて悪い気はしない。

 

 

「で、どうなの?元気でやってる?」

 

 

「特に変わりなくやってるよ。仕事も順調だし」

 

 

「そう。ならよかったわ。あんた今年の正月はどうするの?」

 

 

 曖昧なその質問の意味は明白だ。新潟の実家に帰省するのかと言う問いだ。

 

 

思い返えせばもう数年は実家へ帰ってない。

 

 

と言うのも、正月やお盆のイベント時は決まって妹夫婦や兄夫婦も同時に実家に集まる。

 

 

そんな中で、一人だけ二十代も終わりに差し掛かり、既に手に職を得、安定した収入もあるいい大人が世帯も持たずにいる事を、ステレオタイプの父は良く思っていない。

 

 

「彼女と来るならお年玉あげちゃう。お前だけで来るならどっちでもいいってお父さんが」

 

 

「なあ俺って本当に親父の息子なの?実家の敷居を跨ぐ権利は他人以下なんでしょうかお母様?」

 

 

 久志は思わずスマホに縋りついた。

 

 

「いやぁね。父さんの冗談よ。本気で言ってないわあんなの。もちろん来るなら歓迎するわよ。武志と菜々子の子供達も大きくなったし、賑やかで楽しいわよ」

 

 

兄妹の中で一人だけ結婚していないとは言え兄弟の仲は良く、曲がりなりにも甥っ子や姪っ子達を素直に可愛いと思える久志は久しぶりの帰省も悪く無いと思った。

 

 

「まあ、たまには帰って可愛い息子の顔でも親父に無理やり見せつけてやるかな」

 

 

「ふふ、あんたも言うようになったわね。あ、そうそう!こんな電話であれなんだけど、久志にちょっと悪いニュースがあるのよ。一応知らせておこうと思って」

 

 

 急な話題の変更に久志は戸惑いながらも、声のトーンを暗くして言う母に久志の顔が上がった。

 

 

「ん、どうした?」

 

 

「高校生の同級生で…あ、名前ど忘れしちゃったけれど女の子がこの間病気で亡くなったんだって。ほら隣のおばさん、県立病院で看護師やってるじゃない。担当患者だったらしくて、それで色々話してたらあんたと同級生ってのが分かったらしいのよ」

 

 

「確かに気の毒な話だが、肝心な所忘れてくれるよな…」

 

 

「だってしょうがないじゃ無い。あんたの高校生の同級生でしょ。しかも、女の子だなんて関係ないと思うじゃない」

 

 

「なあ、一度だって俺に彼女が出来るとか、将来結婚して可愛い孫を見せてくれるとか期待した事あるか?絶対ないよなぁ!」

 

 

「あら、なんでわかったの」

 

 

「なあ、俺って本当に帰省したら歓迎してもらえるのか?」

 

 

「なあに言ってるのよ、当たり前じゃない」

 

 

「母親の言葉を必死に信じようとする俺って泣けるほどいじらしくないか!」

 

 

「でね、その子どうも重い病気だったらしくて、この間葬儀があったんだって。隣のおばさんにその事聞いてから、あんたには一応教えておこうと思ってたのにすっかり忘れちゃった」

 

 

「訃報の通知とかは直接来てないんだろう?」

 

 

「うん。だけど、知り合いだったら久志に悪いじゃない。ごめんねぇ、名前後でお隣のおばさんに聞いておくわ」

 

 

「別にいいよ。同級生なんて俺達の代で数百人いたんだから。少し寂しい気もするが、正直、対岸の火事って感じだ」

 

 

「あらそう。まあそう言うと思ったけど…やっぱあんた、たまにそういう所あるわよねえ。なんというか、一人ぼっちで泣いている子供がいても、目が合ったのに無視するような冷淡さと言うか」

 

 

「泣いてたって、俺には何もできない。下手に関わって勝手に期待されてもその期待を裏切ってしまうくらいなら関わらない方がいいだろ。きっと俺は、名前を聞いても知らないよ。彼女を想う人にこそ、彼女の死は悼まれるべきだ」

 

 

誰かの病死が些細な事だとは言わない。

 

 

母の言うような冷たさの裏側には、ちゃんと理由がある。

 

 

病死をした家族の遺族や、彼女にはもう何もしてやれないのだ。

 

 

なら、せめて彼女と全く関係のないところで、噂のように、口さなく彼女の話をするのでは無く、口を閉し、ただ素直に冥福を心の隅で祈りながら沈黙したいだけだった。

 

 

「…ふーん」

 

 

「ふーんってなんだよ。それより俺は、母さんがそろそろ心配になってきたよ」

 

 

「あら。だったら私のボケ防止のためにも、たまにこうして電話で付き合ってもらうわ」

 

 

「はー、後悔先に立たずか…」

 

 

「ああ、そうそう。お隣のおばさんの弟さんがそっちに婿入りして熱海だか湘南だか鎌倉だかで宿やってるんだって、知ってた?久志に教えておくって言っておいたからもしよかったら遊びに行ってあげて」

 

 

「余計な事言うなって…」

海もいいな、とふと早希の撮影ローケーションとしての案が頭をよぎった。

 

 

電話を切り、白い天井を見ながら郷里に耽っていると再びスマホが震えた。

 

 

母が何か言い忘れたのかとため息を漏らしながらスマホを見ると目を疑った。

 

 

早希からだ。

 

 

電話に出るなり彼女の深刻そうな声が耳に響く。

 

 

「久志さん、お願い今すぐ助けて。今ストーカーに追われているの」

 

 

 時計を見れば夜の10時を回ろうとしていた。

 

 

聞けば終業式の後、友達と遊び耽った夜の帰り道から背後数メートルに嫌な気配を感じながら帰路についたそうだ。

 

 

 

人通りの少ない住宅街の家の近くまで差し掛かったその時、急に怪しい影に追いかけられたそうだ。

 

 

家を突き止められるのを恐れた早希は駆け出して駅周辺のマンションが立ち並ぶ中層住宅街まで逃げたのだと言う。

 

 

そして助けてくれる誰かを想像した時、瞬時に久志が頭に浮かび、電話をかけた。

 

 

 早希は息も荒く押し殺したように状況を説明していたのだが、不意に悲鳴をあげて電話越しの向こう側にバタバタと慌ただしい音を響かせた。

 

 

その音が止んだ直後、聴き慣れたコンビニの入店音がして、早希は息を切らしながら言った。

 

 

「はあ…はあ…い、今さっきビルとビルの間に隠れてたんだけど誰かに覗き込まれたからビックリして近くのコンビニに逃げ込んだ…」

 

 

早希の声は泣きそうになりながら震えていた。

 

 

「今迎えにいくから、そのコンビニから絶対に出るなよ!」

 

 

 久志はそう叫んでから家を飛び出した。電車に乗り、目当ての駅に到着すると、地下改札を押し除けるように通過し、どこからともなく漂う酒の臭いが沈澱する人混みで溢れる地下通路を突き進んだ。

 

 

横に広がりながら酔って歩く大学生風の男女グループをゴールテープの要領で躊躇なく引き裂いて、煌々とそびえる東急ツインズに見下ろされながら、グーグルマップに表示されたコンビニへ急いだ。

 

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