第9話


帰宅して早々適当に飯を食べて風呂に入る。

 

 

そして風呂上がり。

 

 

 普段はしがないサラリーマンの平均年収に似つかわしく、安い発泡酒を愛飲する久志だったが、今夜は祝杯と称して滅多に買わない生ビールの缶を開け、一人晩酌を開始した。

 

 

今日撮った写真を編集しようと立ち上げたPC上の現像ソフトに、梶原早希の写真が映し出される。

 

 

その瞬間、乾いていた喉を潤した生ビールのもたらす爽快さや程よいアルコールとはまた別の快感で上書きされる。

 

 

憧れ続けた女子高生が自分に微笑みかけている、久志はだらしなく笑った。

 

 

まるで夢のようだ。試しに頬を強くつねると激痛が走った。

 

 

生ビールを飲むと確かに旨い。なんて素晴らしいリアルなのだろう。目の奥が不意に熱くなってきて、すぐ側にストックしたあるティッシュを引き抜き、頬を伝う熱い雫を慌てて拭った。

 

 

霞んだ視界で時計が目に入ると、午後の9時半を回っていた。泣いている場合じゃない。

 

 

 約束の時間にアップロードする写真は決まっていた。

 

 

正直彼女を撮った数十枚全てを載せたかったが、それは憚られた。

 

 

何故なら、そんな事をすれば、久志のギャラリーページに初めて訪れた誰かが目の当たりにするのは、日常スナップから一変し、急に女子高生の写真が大量に現れると言う、急に変な趣味に目覚めた人として忌避され、あるいは通報されかねない。

 

 

梶原早希に諭されたように、彼女は久志にとって、あくまで偶然目の前に現れた日常の中の、思わずカメラを向けたくなる美しい瞬間だ。

 

 

ベスト、数ショットを組写真として一回のアップロードで纏める程度でちょうどいい。

 

 

インスタを始めた当初から遡ってもポートレート写真なんて一枚も無かった久志の日常写真のギャラリーに、たった一枚だけポートレート写真が加わる。

 

 

美しい風景や、華やかな街角なんかのごくありふれた写真の中で偶然、ひょんなきっかけで出会った女子高生の写真が公開されるだけだ。

 

 

今まで通り、偶然出会った奇跡の瞬間、というように。

 

 

アップロードする寸前、久志はマウスを動かす手を止めた。

 

 

柔らかく笑う彼女に、不意に寂しさを感じた。

 

 

この一仕事が終わったら、写真を特大プリントして部屋に飾ろうと思った。

 

 

自分など、彼女の気まぐれが冷めれば、彼女の目まぐるしい青春の中のほんの1ページにも満たない隅っこにすぐに追いやられ、消しゴムで消されるかもしれない。

 

 

けれど久志にとっては、彼女にとって一瞬の記憶にも満たないこの出来事は一生の宝になった。

 

 

 編集ソフトで露出や輪郭線、色味の補正を僅かに加える。

 

 

インスタグラムのアプリを開き、写真を選んでからエッセイめいた日記のような文章を認めて、最後にハッシュタグを付け加えた。

 

 

 

『これは、嘘のような本当の話。ローアンで猫を撮っていたら、職務質問をされた。と言うか何故か理不尽な言いがかりで逮捕されかけた。容疑は僕がJKのスカートを盗撮したとかいうものだったがもちろん誤解だった。冤罪に打ち震え、手首に手錠がかかるのを覚悟したその瞬間、写真のJKが飄然と表れて僕を助けてくれました。彼女こそ、警察が僕によって被害を受けたはずだと決めつけた本人だったのだが、なんと彼女から声を掛けて容疑を払ってくれたんです。その後、理不尽な警察を追い払ってくれた後に、彼女は僕に写真を撮って欲しいと申し出てくれました。そんな僕の救いの女神の可愛らしい微笑みをどうぞ。もちろん、このアップロードは彼女の承諾済みです。』

 

 

不意打ちした、はにかんだ彼女の写真を先頭に、3枚のポーズを選び、最後に猫の写真を組んで約束の時間にアップロードした。

 

 

写真をアップロードした瞬間、誰かがいいねを押してくれた通知が立て続けに届きスマホが連続で鳴った。

 

 

通知が連続で鳴るその勢いに久志は悦に入る。

 

 

自信作と言えるような写真が撮れた時、アップロードしたての数分間はこのような現象がたまに起きる。

 

 

この数分のいいねラッシュはいつも愉快なものだと、矮小な自己顕示欲がアルコールの効果もあって気持ちよく満たされていく。

 

 

久志は、一仕事終えたと言うように伸びをしながらそのままデスクチェアに寄りかかった。

 

 

不意に、白い天井が一瞬自分の部屋ではないような違和感を覚える。

 

 

今日も今日とて、いつも通りの日常を終え、またこの部屋に帰ってくるはずだった。

 

 

けれど、日常の中の非日常を乗り越えて帰宅した住み慣れた自室の蛍光灯はいつもより明るく感じた。

 

 

 

 ピコン、ピピピピコン、ピコン、ピコン、ピピピ…。

 

 

 

さっきからスマホの通知オンが止まらない。

 

 

 

「まさか、壊れた?」

 スマホを手にとると、スマホは異様なリズムで通知音を鳴らし震え続けている。

 

 

 

画面はインスタのポップアップを狂ったように繰り返していた。

 

 

 

スマホの症状をググってみると治める方法と共にバズり現象と出てき、久志は焦った。

 

 

ようやくインスタの通知設定をオフにする所までいきついた。すると案の定、友達が少ない、SNSのフォロワーも雀の涙の久志のスマホはいつもの静かな相棒に戻ってくれた。

 

 

 

「ったく、びびらすなよなぁ。お前はやっぱり静かでなくっちゃ」

 

 

 

そして、本当に友達のいない久志はそんな相棒に話かけるのだった。

 

 

しばらくして、インスタに再ログインする。

 

 

すると、目に飛びこんだいいねとフォロワーの数に驚愕した。

 

 

そして数分前に届いてたらしいダイレクトメッセージの通知数が目につき、そのままメッセージ画面を開いた。

 

 

見出しに「早希です」とあり、胸が跳ね上がる。久志は甲斐甲斐しく背筋を伸ばすと、女々しく胸に手を当て深呼吸し、メッセージを開いた。

 

 

早希「女神とか大げさなんですけど。まあでも、可愛いのは納得。いいねもコメントもたくさんきてよかったね。今回は私のわがままを聞いてくれてありがとうございました」

 

 

そのメッセージに久志は三倍くらいの文章量で感謝の気持ちを返信した。けれど、彼女からの返信はなかった。

 

 

 

梶原早希の写真についてのコメント数が数十分のうちに新記録を更新した。

 

 

当然、いいねの数も過去最高を記録しているしまだまだ伸び続けている。

 

 

スマホを持つ手が震え、脳に処理制御出来ない量のドーパミンが止めどなく溢れ出ているのを感じる。高ぶる気持ちのまま、コメントを目で追ってみた。

 

 

「素敵な出会いと素晴らしい写真ですね」「出会いも彼女の容姿も神がかってる」「彼女どこのモデルですか?え、だってこれ、演出でしょ?」」「どんな善行積めばこんな天使と出会えるの?羨ましすぎる」「自作自演乙。でも写真はいい」「こういう出会いがあるとその辺でスナップしてると怪しまられがちなおっさんカメラマンも冥利に尽きるよな」「エピソードも写真もめっちゃエモい」「これ炎上狙ってるの?撮影会写真使って痛い嘘ついて通用するほどSNSは甘くないよ。作り話で注目惹かなくても写真は十分評価出来るから自信持ちなよ」

 

 

 

エピソードについて、信じてくれる温かいコメントとが多い反面、やはりと言うべきか、中には猜疑や中傷のコメントも多く寄せられ、その差は半々といった所だった。

 

 

だが彼女の写真は須く大絶賛だったことには驚いた。

 

 

エピソードはともかくとして、彼女の美しさを評価する建設的な意見と賞賛が多く散見できたことにホッと胸を撫で下ろした。

 

 

これなら炎上ではなく、バズると言っていい感覚を実感できるような気がした。久志は少し焦りながらも、気持ちのいい夜の余韻を生ビールで流し込むことができた。

 

 

 疲れていたせいか酔いの周りが早く、甘いまどろみの中で願った。

 

 

今の気分のまま眠れたら、夢の中でまた彼女と逢えるだろうかと。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る