第7話


3人揃って声の方に振り返ったせいで、彼女はわずかに驚いたようだった。

 

 

そこにはついさっきカメラのディスプレイ画面で土偶警官がまじまじと見つめていた女子高生本人が、緊張した面持ちで立っていた。

 

 

友達の方は、どこかで別れたのか彼女一人だった。

 

 

 

「女子高生が盗撮されたとかすごい声が聞こえたんで、ちょっと心当たりがあって声をかけたんですけど…」

 久志の全身から波打ち際のように、血の気がさーっと引いていく。

 

 

なんてことだ。最悪だ。よりにもよって、盗撮を疑われて職務質問を受けている場面を彼女に見られるなんて。それに心当たりとは何だ?まさか彼女は被害を訴える気なのでは?

 

 

「君は…。ああちょうどよかった」

土偶警官は勝ち誇ったように唇の端を吊り上げた。

 

 

 

「実は、非常に申し上げにくいんですが、あなたが盗撮をされた可能性があります。証拠写真があるので少し時間があればご確認をお願いできますか?」

 

 

「え?わ、私ですか?」

 

 

 彼女は自分を指差して驚いている。久志は額に流れた汗が冷えていくのを感じた。

 

 

「ちなみに、その心当たりと言うのは?」

土偶警官が促すと、彼女はこちらを一瞥してから言った。

 

 

「いえ、あの、さっきこの辺で猫を撮っていた人なら居たような気がしますけど、って…」

 

 

彼女の中で、その人物が久志だと思い至っているのだろう。気まずそうに眉を顰めている。

 

 

「はい。実はそれが問題なのです。おい、カメラ」

 

 

 童顔警官は土偶警官に促され、後ろめたそうにまだ持っていた久志のカメラを女子高生に向ける。彼女は怯えたように自らの肩を抱いて眉を八の字に下げ、今度は訝しむような視線を久志に送った。

 

 

目の前の光景がスローモーションになって音のない世界で流れていく。

 

 

彼女と警官の姿を眺めて思った。初めて彼女の意識の中にはっきりと現れた自分は、職務質問を受け、叱られる犬のように肩を落としている。

 

 

なんとも、惨めで格好が悪い。

 

 

喫茶店で視線が合ったのもきっと気のせいで、自分の都合のいいお気楽な勘違いをしていたに過ぎない。

 

 

 例の写真が映し出されたのだろう。彼女は口元に手を当て、眉間に皺を寄せながら久志に路上の吐瀉物を見るような視線を投げた。

 

 

土偶警官の頬が再び吊り上がった。

 

 

現実は、警察官に痴漢容疑をかけられるカメラオタクのおじさんに嫌悪感を抱くごく普通の女子高生が目の前にいるだけだった。

 

 

このまま地球が爆発してこの状況もろとも吹き飛んで仕舞えばいいのにと思った。

 

 

「えー、何これ!後ろのカラフルな玉のキラキラめっちゃ綺麗!うちら超エモく撮れてるじゃん!」

 

 

 彼女はカメラを赤子にたかいたかいをするように抱き上げると、身軽に回った。

 

 

その明るく屈託のない姿にその場にいた誰もが耳を疑って固まっている。

 

 

「これ、お兄さんが撮ったの?」

 

 

 ぐいっと身を寄せるように顔を覗き込まれたので、久志は思わず身を逸らした。イルミネーションより輝いて見える瞳は、真っ直ぐに久志の目を捉えている。

 

 

ふわりと鼻を掠める甘い匂い。

 

 

何が目の前に起きたのか理解できなかった。

 

 

言葉が喉に詰まってうまく吐き出せないまま、久志はコクコクとぎこちなく首肯する。

 

 

「良いなあ、もしよかったらこの写真のデータ私にくれませんか?」

 

 

 彼女を囲む3人は呆然とすることしかできなかった。

 

 

少なくとも、まるでゲリラ豪雨でも降ってしまったかのように、警官二人の平常運転を彼女は掻き乱している。

 

 

 

彼女はスマホをポケットから出して、久志に詰め寄る。

 

 

「あ、はい。全然構わないですけど…」と、久志はようやく振り絞った声で応える。

 

 

横から射られるような視線を感じ、見るとギョッとした。

 

 

土偶警官が今度は、はにわのように目と口を開き、こちらのやりとりを信じられないといった様子で見ていた。

 

 

 

「ちょ、ちょっと待ってください。あなた何を言ってるんですか?この男はあなたのスカートが短い事をいいことに勝手に下から撮ったんですよ?もしかしたら下着が写っていたかもしれないし、この写真を勝手にネットにアップしたりするかもしれない」

 

 

 もはや溢れんばかりの久志への偏見が露呈してしまっている。

 

 

いくら彼女に被害を訴えて欲しいとはいえ、本人を目の前にこれほど相手を中傷できる無神経さに怒りを通り越して悲しくなる。

 

 

「おじさん。そんな言い方ひどくないですか?」

 

 

「お、おじさん?私は警察ですよ」

 

 

 彼は、散々吐き散らした中傷と暴言のような容疑の掛け方を顧みず、自の矜持には余念がない。

 

 

その場にいた誰もが「反応するのはそっちじゃない」と内心でツッコミを入れたに違いない。

 

 

童顔警官と久志は目があった。彼は申し訳なささそうに眉を八の字に折っている。

 

 

「いや、激しく違くて…。とにかく盗撮とかもうどうでも良いのでこの人を解放してあげてくれませんか」

 

 

「え!?…」

 

 

 久志は耳を疑った。

 

 

「は?…あ、あのね、君」土偶警官は改まった顔で彼女に近づいた。

 

 

「痴漢は加害者の変質した性癖によってどんな形にもなりうるんだ。被害者が気づかない、あるいは違和感を感じる程度の接触だったり、今の様なただのスナップ写真に見せかけた盗撮でも、彼らのような人間はそれだけで歪んだ性癖を満たしているかもしれない。君がそうは思わなくても彼はそういうつもりでやっていたら、彼の悪意は野離しにされ続ける。いいかい、僕は女性が男性のそう言う悪意に傷付けられるのが一番許せないんだ」

 

 

それでもなお食い下がる土偶警官に彼女は呆れたようにため息をついた。

 

 

「はいはい、フェミニスト気取り乙。だいたい、さっきから盗撮、猥褻とか大袈裟に騒ぎすぎじゃないですか?私のスカートが短いとか写真をネットにアップするとか、ローアンだからってパンツ撮られるとか変な想像して騒いでるのっておじさんだけですよ。ぶっちゃけ、あんたこそキモいんだけど」

 

 

「は?き、キモい…子供だからって警察に向かってそんな物言いはするもんじゃありませんよ」

 

 

「はぁ…しかもさっきからなんで自分が言われて嫌な事には敏感に反応して、彼に言った酷い事は気に留めないわけ?警察官だからってマジで公害レベルで不快な人間性なんですけど。彼を痴漢扱いする前に警官が平然と庶民に暴言吐いてるヤバさに気づけよ」

 

 

 彼女は先ほど見せたはしゃぎ様とは打って変わって、目力のある瞳をすがめ、声を低くして言った。

 

 

心底嫌悪する何かに敵意をむき出しにするように徹底した冷さを解き放っている。ぐうの音もでなくなったように土偶警官はぱくぱくと口の開閉を繰り返していた。

 

 

「ま、まあ先輩。もうこのくらいにしましょうよね?ほら、この子もこう言ってますし、同意の元だったってことで。すみません、お時間とらせちゃって申し訳ありませんでした」

 

 

 童顔警官は申し訳なさそうに間に入ってきて、久志を睨む土偶警官警官の肩を押して退散を促す。まるで、怨念のこもった石像のように久志を睨みながら、土偶警官は童顔警官に背中を押されながら遠ざかっていった。

 

 

「ふー…なんなのあれ。ふふ、お兄さん、痴漢扱いされてたね。大丈夫?」


彼女は振り返ると微笑みながら言った。

 


 

 

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