第6話


「君、さっきあそこにいた女子高生のこと、そのカメラで下から撮っていたよね?」

 

 

 声を発した警察官は色白で清潔感があるが、細められた目はどこか実真面目で神経質そうだ。

 

 

先輩と後輩なのだろうか、もう一人の警察官は彼の後ろで、久志と先輩のやりとりをやや眉を下げながら目を泳がせて見ている。円で人の良さそうな瞳と、丸みを帯びた輪郭は、おそらく二十代そこそこの彼の実年齢よりもさらに幼く見える。

 

 

「いや、ただ猫を撮っていたんです」

 

 

久志はとりあえず本当の事を言った。故意ではないものの、既成事実があるせいで挙動不審になってしまう。

 

 

周囲を見回すが、すでに猫は姿を眩ませていた。

 

 

神経質警官はただでさえ細い目をさらに鋭利にする。

 

 

「ああさっきそういえば、そこに猫が寝ていましたよね。どこに行ったんでしょう」

 

 

 神経質警官のただの腰巾着かと思っていたが、後輩君はあどけない子供のような童顔をきょろきょろと振り、周囲を見回しながら言った。しかし、神経質警官が無言の圧力を加えるような目つきで彼を睨むと、童顔警察官は萎縮した子犬のように顔を俯けてしまった。

 

 

 

「はて、猫なんていませんがね。仮にそうだとしても、あなたがそのカメラを下から向けてあそこにいた女子高生を撮っていたのは私たちが見ている。最近このあたりではチカンが多いんです。いいですか、冷静に素直に質問にお答えください。場合によっては任意同行をしてもらうか、現行犯で逮捕しなければいけません」

 

 

 潔癖警官はねっとりとした三白眼で久志を睨め付ける。こんな公然で痴漢扱いされては溜まったもんじゃない。ここは素直に、大人しくやり過ごしたほうが良さそうだ。あまりの居心地の悪さに背筋が薄寒い。

 

 

「はい…わかりましたよ」

 

 

冷静ではないかもしれないが最初から素直に答えてるっての、と毒づきたくなる。

そんな不機嫌さが語気に現れてしまった。

 

 

潔癖警官が視線で促すと、童顔警官が久志の横に張り付く。

これから、ただ街スナップをしていただけの哀れなアラサー男に対する偏見と猜疑を詰め込んだ理不尽な正義感を押し付けるような職務質問が始まる。

 

 

不本意だが、こうなってはどうにもできない。

 

 

あの証拠写真はどう言い訳をつければいいのかとため息をつきたくなりる。

 

盗撮容疑。肖像権侵害。迷惑防止条例違反。あの写真でかけられる嫌疑は久志の頭の中でいくらでも想像が及び、にわかに喉が乾き出す。

 

 

「まあ写真があれば言い逃れできないがな。いいか、挙動をよく見ておけよ」

 

 

 童顔警官は気まずそうに頷く。そんなに後輩をいびらなくても俺は大人しくしている、と言ってやりたかった。

 

 

「すみませんが、写真を見せてもらうことは?」

 

 

「構いませんよ」久志は無愛想に言う。

 

 

 久志は覚悟を決めた。全て正直に話そう。

 

 

それで犯罪の容疑をかけるかどうかは、後は潔癖の思し召し次第だ。

 

 

ちらりと喫茶店の方へ目を向けると彼女達の姿はなかった。ホッと胸を撫で下ろしながら、久志はディスプレイ画面の操作方法を童顔警官に軽く教えて、神経質警官がそれを覗き込む形になった。

 

 

「わぁ!あの子三毛猫だったんですね。可愛い。よく撮れてますね」

 

 

 まるでフォトスタジオで愛猫を撮ってもらったかのような無邪気な反応を見せる童顔警官に、神経質警官の、鋭い三白眼がじっとりと睨め付ける。

 

 

「あ、す、すみません…」

 写真を送っていると、連写した効果で猫の行動がパラパラ漫画のように送られていく。

 

 

猫が毛繕いから欠伸をしている写真が現れた。猫背をしならせて尻尾と腕をピンと伸ばして、大口を開けていた。

 

 

 

「ね?ほら。ローアングルで撮ってはいるけれど、後ろは完全にボケて猫しか浮かび上がってない。いい写真でしょ?僕は猫が好きなんです。盗撮なんてとんでもない。欠伸をしたいのはこっちですよ」

 

「っぷ!…」

 

 

 久志の言葉に童顔警官が吹き出した。しかし神経質警官の鋭利な三白眼が彼の喉元に突きつけられる。

 

 

そして、ピントが奥に外れて、猫が前ボケになり喫茶店を出てきたばかりと思しきあの子とその友達の写真が映し出された。

 

 

「あ…」同時に声を上げたのは久志と童顔警官だった。

 

 

他でもなく久志はわざと声を上げたのだが。

 

 

神経質警官は不遜するように顎を逸らして、深いため息をつきながら無言の圧力をかけて久志を睨む。

 

 

「彼女達の写真を撮ろうとした方に、たまたま猫がいたのでは?それに猫を撮るためにわざわざ下から撮る意図がわからない。最初からスカートの中を狙っていのでしょう?」

 

 

「はあ!?そんなの言いがかりだ。猫の目線になるから日常にはない視点で構図を作れる。そうじゃなきゃわざわざこんなカメラで写真を撮ったりしない」

 

 

先ほどの、自らへの注意喚起をすっかり忘れて久志は声を荒げていた。

 

 

 

 神経質警官は必死に抗議する久志を汚いものでも見るかのように見る。

 

 

上瞼と下瞼が浮き上がり、その間の鋭利な瞳はまるで土偶を思わせた。

 

 

そんな、何万年も土に埋まっているから芸術の芸の字もわからず頭が硬いままなのだと言い返したくなる。

 

 

きっとどれだけ構図の意図を説明しても彼は、その行為が常識か非常識か、そんな教条主義的な物差しでしか測れないのだろうと思った。

 

 

「瞳孔が開き呼吸が乱れてる。明らかに動揺してる。任意同行を求めてよろしいですか?署にて詳しくお話しを聞かせてください」

 

 

 土偶警官は久志の腕を掴んだ。動揺しているのではなく話の通じないお前に何を言っても無駄なのだと吐き捨てたい。

 

 

彼の手は有無を言わせず強行したい意思が込められているように力強く、神経を逆撫でしてくる。久志は相手が警察官だということも、立場も忘れて土偶警官の腕を強く跳ね除けた。

 

 

「あんた正気か?女子高生の盗撮と猥褻容疑でそれ以上抵抗したら現行犯で逮捕しますよ?証拠写真はある。動揺するのはわかるが落ち着いた方がいい」

 

 

 神経質警官は女子高生の盗撮と猥褻容疑という部分の声を張り上げ、周囲の注目をこちらに向けようとしている。帰宅ラッシュの歩道の真ん中で繰り広げられる警察24時のような光景に、行き交う人が興味深そうに振り返る。

 

 

あまりにも屈辱的で恥ずかしかった。

 

 

全身が泡立ち、目の前の土偶警官を全身が拒絶しているのだとわかった。偏見と軽蔑で人を見下し、自分の考えの範疇を越えた特異な人間を嫌がらせのために警官という立場を乱用して中傷して楽しんでいるのではないかとすら思う。

 

 

それほど本気で振り払っていないにもかかわらず、土偶警官は振り払われた手を、これ見よがしに痛そうに抱えている。

 

 

 

「せ、先輩。急に逮捕だなんて大袈裟ですって。もっとちゃんと話を聞いてあげましょうよ」

 後輩の方がより良く状況を整理できている。

 

 

彼の方が公序良俗を良好に保つ才能に長けているし、話も分かってくれそうだ。彼の方がよっぽど警官に向いていると思った。少なくとも彼なら、最初から街でスナップ写真を撮り歩くフォトグラファーに変質者のような疑いの目は向けないだろう。

 

 

「お前は黙ってろ!」

 

 

 

 公然で後輩をお前呼ばわりするなんていかにも全時代的だ。土偶は土偶らしく土の中で永遠に時が止まっているのだろう。

 

 

「あのーすみません」

 

 

 控えめで恐る恐るといった澄んだ女性っぽい声が、後ろから届き、張り詰めた空気の中でやけに大きく響いた。

 

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