第5話 違和感
やがてサイモンは、門の前に戻って仕事を始めた。
痛む腰をぐっと伸ばして、気持ちを切り替える。
この仕事の難点は、気を抜くと立ったまま眠ってしまいそうになるところだった。
どこからか飛んできたモンシロチョウが、彼の目の前の古木に止まって、しばらく羽を休め、ひらひらとどこかに飛んでいった。
草むらから頭を出した野ウサギが、村を囲む石塀に作られた巣にひょこひょこと戻っていく。
あとは音もなく草原が泡立ち、音もなく雲が過ぎ去ってゆく。
後ろを振り返れば魔の山が見えることなど忘れてしまいそうなほど、ヘカタンの周りの草原は本当にのどかだった。
サイモンの見積もりでは、もうそろそろ一つ目の集団が村に到着する頃だった。
そのうち、馬車がもくもくと砂ぼこりを上げながら、サイモンのところまで走ってきた。
いつも村人たちが利用している乗合馬車だ。
便数は少ないが、たった半日で麓からヘカタンまで山を登ってくれる、重要な足である。
サイモンは、馬車の運転手と軽く挨拶をかわした。
シーラの姿を探したが、見当たらない。
「シーラは?」
「いんや、乗っ取らんよ」
シーラが丸一日以上、オーレンの側を離れるようになったのは、つい最近だ。
昔は胸騒ぎがしたとかなんとか言って、行き違う馬車に乗り換え、町まで行かずに途中で引き返してきたことがあった。
ひょっとして、また冒険者ギルドで仕事をさせられているのかもしれない。
一回や二回の手伝いでは許されないのかもしれないし、多額の報奨金を支払うためにももっと働く必要があるだろう。
念のために、オーレンの夕食を作っておいてよかった。
オーレンも具合が良ければ自分で料理を作られるし、自分の体の世話など、一通りの事はできる。
けれども発作が起きたとき、彼はすべての能力を失ってしまう。
無力なただの少年にすぎない。
誰かがそばにいないといけなかった。
「……あいつ、俺には何も言わないからな」
シーラは、村人の誰にもオーレンの事を頼らなかった。
平和なヘカタン村も、かつて帝国軍の襲撃を受けた事がある。
オーレンの手の傷は、その時モンスターに咬まれたものだ。
サイモンは、怒りに身を任せて村を飛び出していったので、その後シーラの身に一体何があったのか、詳しい事は知らない。
ただ、サイモンが戻ってきたとき、シーラとオーレンは家族を失い、2人ぼっちになってしまっていた。
村からも孤立していた。
村長からも念を押された、あの家族には手を出してはならない。
わかっているのだ、サイモンは一時的にこの村に身を置いているにすぎない。
そして今は、ただの村の門番だった。
彼には彼の責務がある。
村を守る責務が。
乗合馬車を見送ったあと、サイモンは丘の上に立ち、次に来る集団の姿を探した。
どうやらその集団は、森で野営の準備を始めているようだ。
開けた場所に、テントらしき三角形の布地を張っているのが見えた。
金属製の鎧を着こんでいるのか、時おりちかっと眩い光を放つ人影が、森や川の方々に散らばってキャンプの材料を探している。
じっと目を凝らしてみると、旗が見えた。
ぞわっと背筋が凍った。
軍旗だ。
さび色の軍旗は、国王軍のものだ。
王家と海の守り神であるマーメイドをあしらった家紋が刻まれている。
村まで馬車で半日、人間の足でもそのまま歩き続ければ、日没までにはサイモンのいる丘まで来られた距離だったが。
野営に適した場所を見つけたら、それ以上無理に動かないのは、適切な判断だと言える。
武装した人間が、これだけの大所帯で行進するのだ、どんなハプニングが起こるか分からない。ちっぽけな乗合馬車とは訳が違う。
それでサイモンも、今日は途中で野営をするだろう、と踏んだのだが。
「……まいったな、こんな日に残業か」
サイモンは、眉をしかめた。
なにかと口実を作って、ここから離れて、オーレンの様子を見に行けたらよかったのだが。
今夜は、ここから離れられない。
まだ相手が何者なのか、サイモンには分からなかった。
分かるのは、武装した連中が村のすぐ近くで野営をしている、という事だけだ。
ひょっとすると、国王軍を装った野盗である可能性もあった。
そもそも、国王軍が武装して山を登っている事自体が、異常事態である。
まさか、療養中のサイモンを見舞いに来たわけではあるまい。
サイモンには、まるで理由が判然としない。
だが、もしも相手が野盗ならば、説明がつく。
日のあるうちに村の近くでキャンプをして、寝静まった頃に夜襲を仕掛けてくる腹積もりだ。
あるいは、もしも本当に国王軍だったとしても、彼らが出動しなければいけないほどの非常事態がこの山に起こっているのかもしれない。
もし村に用事があるのなら、部隊とは別に伝令兵だけが村まで走ってくる可能性がある。
そういう時に、門番がいないのでは話にならない。
サイモンには、村と村の外の境界、最前線を監視する役割があった。
たとえ危険を防ぐ力はなくとも、村人たちに危険を知らせ、逃げさせることができるのは、門番だけなのである。
「……オーレン、もうちょっと待っててくれよ」
サイモンは、つぶやいた。
一応、通りかかった村民を呼び止め、村長への伝令を頼んでおいた。
相手が動かないのでは、こちらからは何もできない。
じりじりと日が落ち、やがて空からこぼれんばかりの星の光が降り注いだ。
夜に至っても、野営をしている国王軍の動きはない。
伝令兵が走ってくる様子もない。
夜の闇に紛れて、襲いにくる様子もない。
ひょっとすると、ホワイトアイコンが見えないだけで、『潜伏状態』のまま森を走っているのかもしれない。
サイモンは、自分の太ももをばしん、ばしん、と叩いて、気分を落ち着かせるために、深く長い息をついた。
「ああ……月がキレイだ」
そして、関係ない事で心を紛らわせる。
ふと、サイモンは月の中に、なにか黒い影が浮かんでいるのを見つけた。
鳥が羽ばたいているようにも見えるが、鳥にしては大きさが普通ではない。
「ん……なんだ、あの鳥……焼いたら食いでがありそうだな?」
さまざまな鳥料理のレシピが、サイモンの頭に浮かんだ。
王都では酒のお供の定番だったが、ここ最近は食べた事がない。
しばらくの間、サイモンは上空の鳥をぽかんと見つめていた。
鳥の影の中から、ちかっちかっと、眩い光が二度瞬いたような気がする。
ジジッ……ジジッ……。
なにかが燃えるような音がして、サイモンは月の眩しさに目を細めた。
異変と言えば、本当にただそれだけだった。
だが気が付くと、辺りは朝になっていた。
「あれ……え?」
朝だ。
はるか水平線の向こうに、昇り始めた太陽が浮かんでいる。
鳥の影どころか、月すらない。
「夢か……? 変な夢を見たな……」
などと言いながら、丘の上に立ち、森を見下ろしたサイモンは、蒼白になった。
先ほど国王軍がはっていたキャンプが消えている。
それどころか、どこにもその姿はなかった。
何が起こったか、わからないが、今の彼にかんがえられることは、ひとつだった。
「やばい……俺、立ったまま寝てたのか?」
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