第4話 オーレンという少年について

 市場を発ったサイモンが向かったのは、村の少しはずれにある小さな民家だった。


 日焼けした石の壁はかなりの年代が経っていて、ここに住む力弱き者たちには二度と作ることのできないロストテクノロジーのような偉大さを誇っている。


 台風でもくれば今にも崩れそうだったが、丁寧に掃除や補修がされていて、ウサギのすみかになっている村の石塀よりかは長持ちするだろう。


「オーレン、具合はどうだ?」


 ドア越しにホワイトアイコンが浮かんで見えたので、彼が中にいるのは分かった。

 サイモンが木の扉を開いて中に入ると、ベッドに座り込んでいる少年がいる。

 腕も肩も細く、薄っぺらいパジャマを一枚身に着けていて、髪までやせ細っている感じがした。

 サイモンを迎えて微笑む顔も、どことなく生気がない。


「バッチリ。今日は2回しか発作が起きなかったよ」


「バッチリっていうのは、ゼロ回の事を言うんだよ」


「いいんだよ、ここじゃ比較する相手が他にいないんだから。昨日のボクと、それよりも前のボク、そして今のボクしかいない」


「そうかそうか、つまり俺はゴリラだから比較にならないわけだな。毎日来てやってるのに。シーラ姉ちゃんは?」


「姉ちゃんは女だから比較にならない。ああ、今日は冒険者ギルドに向かったよ。トキの薬草の依頼がどうなったか、見に行くって言ってた」


 トキの薬草は、沈痛と解熱作用のある薬になった。

 オーレンの病気には、これしか特効薬がないらしいが、入手が非常に困難で、おいそれと手に入るようなものではない。

 こういった物の入手は、冒険者ギルドに依頼を出して、善意の冒険者が見つけてくれるのを待つしかなかった。


 だが、サイモンは内心複雑な気持ちだった。


 ――本当に冒険者が依頼通り、トキの薬草を持ってきてくれればいいのだが。


 ギルドの買取値は常に適正だが、それは市場価格と比較しての話だ。

 希少な薬草は、上手く取引すれば大金を手に入れることが出来る。


 この家が冒険者に見返りとして出せる報奨など高が知れているし、ギルドには、もっと高額な報奨を出す依頼が同時に出ることもある。


 そのような場合、一度依頼を受けた冒険者が、クエストを棄権して、高額な方に乗り換える事もあるが、特に罰則はなかった。

 他にもオーレンのような病に苦しむ者がいるのだ。彼らを責める事はできない。

 冒険者の成功に、他の者たちの健康に、いくつもの祈りが通じた時に、ようやくこぼれて手元に落ちてくるようなものだ。


 サイモンは、器にはった水をタオルに含ませ、オーレンの汗を拭いた。


「今日は変な冒険者たちが村に来た。全員Fランクで、エアリアルを討伐しにきたそうだ」


「勝てそうなの?」


「まあ、五分五分だろうな。そんなに強そうじゃなかった。山の途中の火属性モンスターで苦戦してるらしい。ただ――」


 妙に心に残る、変な連中だった。

 彼らは、この世界をゲームのように楽しもうとしている。

 彼らのような冒険者ならば、ひょっとすると損得勘定に流されずに、オーレンに真っ直ぐ薬草を届けてくれるのではないだろうか。


「もしダメそうだったら、サイモンが手伝ってあげなよ」


「なんでそうなる?」


「サイモンがいれば楽勝なのに。むかし戦ったことあるんでしょ?」


「いいや、エアリアルはすばしっこいから、槍の攻撃がぜんぜん当たらないんだ。後衛の魔法使いに全部丸投げしてたよ」


「じゃあ、サイモンは他のモンスターと戦ってあげたらいいんじゃない?」


「それは――」


「サイモンも冒険者だったんでしょ? シーラ姉ちゃんから聞いたよ」


 サイモンは、小さく息を吐いた。

 傍に置いてある短槍に手を伸ばしたが、背中に鈍い痛みを感じて、手をひっこめた。


「……冒険者だったのは、ほんの一時の話だよ。俺は軍人だったんだ。その話はしたか?」


 オーレンが首を振ったので、サイモンは、彼のすぐそばに近寄って、ベッドに座った。


「ちょうど俺がお前と同じ年の頃だった、ナザール帝国とエストニア王国の戦争が始まったんだ。

 帝国の連中はこの山の辺りにモンスターを放って、俺の村は今じゃもうなくなっちまった。

 貸し馬屋の息子だった俺は、ナザールの連中が許せなくて、山から飛び出して、王都で王国兵に志願した。

 ところが俺はアホだから、兵士に年齢制限があるのを知らなくてな」


「年齢制限があるの?」


「ああ、15になるまで軍には入れないんだそうだ。その間に何もできなかったから、冒険者ギルドに入って、冒険者をやってたんだよ。それだけだ。

 槍のスキルを8階梯ぜんぶ習得して、最優秀新人賞を受賞して、大陸中かけめぐって、たいていのモンスターとは戦って、仲間も出来て、Aランクまで昇りつめて、軍隊に入るころには、筋肉ムキムキの大男になってた。

 軍隊でも俺より強い奴は中々いなかったらしくてな、どんどん昇格していったけれど、あるとき、森を行軍しているときに、黒い毒ヘビが俺のケツを咬んだんだ」


 サイモンは、自分のお尻をオーレンに向けて、指さして見せた。


「いまでもあれは、ただの毒ヘビなんかじゃなかったんじゃないか、と思う事がある。目の前がピンク色に染まって、俺は一歩も動けなくなっちまった。

 俺の治療をしてくれたヒーラーが青ざめて『こりゃ大変だ』って言って、俺は担架で治療テントに運ばれた。

 治療テントの医者でも俺の回復はできなくて、みんな『大変だ』『大変だ』って大慌てでさ。最後には完全回復魔法が使える大佐までやってきたけど、それでも俺は回復できなかった。

 俺は怖くなって、大佐に聞いたんだ『大佐、俺を咬んだのは一体何だったんですか』ってな。

 大佐は『たぶん毒ヘビだろう。ただ、お前の筋肉が分厚すぎて、ヒールがみんな筋肉に弾かれてしまうんだ』と言ってた。

 俺は『そうでありますか、俺が鍛えすぎただけでありましたか、閣下』とバカ正直に納得するしかなかった。なんせ相手は大佐だったからな、反論しようものならクビが飛ぶんだ」


「ヘタレだ」


 オーレンは、顔をくしゃくしゃにして笑った。

 サイモンはその頬を拳でこづいて、苦笑いを浮かべた。


「それで、傷が癒えるまでの間、ヘカタンの親戚の家に戻って療養することになったんだ。

 そしたら、そのうち村長が『門番でもやらないか?』と言って誘ってくれてな。

 ……暇つぶしのつもりだったけど、俺の代理がなかなか見つからないから、仕方なくずっとやってるんだ」


「じゃあ、傷が治ったら、また戦争に行くの? それとも、冒険者に戻るの?」


「まだ兵役があるから戦争に行くけど、その後の事は考えてないな……どっちにしろ、この村にはずっといられないよ」


「じゃあ、ボクと一緒だ」


「お前と?」


 オーレンは、自分の手をサイモンに見せた。

 オーレンの親指の付け根には、黒々とした牙の痕がついている。


 サイモンの村が滅んだとき、ヘカタン村もモンスターの襲撃を受けていた。

 シーラはあまり話したがらないが、オーレンの傷はたぶんモンスターに咬まれた痕だそうだ。


「この傷が治ったら、ボクも連れてってよ。ボクもサイモンと冒険がしたい」


「おいおい、本気か? 冒険の世界はお前の知らないことばかりだ、夜一人でトイレに行くぐらいの勇気じゃ足りないぞ?」


「うん、もちろん知ってるよ。サイモンは知ってる? トキの薬草を冒険者が持ち帰ってもさ、ギルドに他の人の依頼が入ってて、ウチが貰えなかったりするんだよ?」


「……知ってるのか」


「そのくらい知ってるよ。だから、お姉ちゃんは、他の依頼が出ていないか心配で見に行ってるんだ。他の依頼が出ているときは、すっかり青ざめて戻ってきて、一晩中泣いてるんだよ」


「そうだったのか……」


「たぶん、報奨をつり上げたり、出せもしないような高額な報奨にしたりして張り合ってるんだ。

 向こうにもボクと同じ病気で苦しんでいる人がいるのにね。そんな事を考えちゃって、いつも後悔して戻ってくるんだ」


「やけに詳しいな。なんでそんな事まで知ってるんだ?」


「だってお姉ちゃん、前に冒険者ギルドの掲示板から他の依頼書を引きはがして、こっそり捨てちゃったことがあってさ」


「前科があるのかよ」


「その時ギルド職員に捕まっちゃって、しばらく冒険者ギルドで働かされてたんだって。他の冒険者たちが教えてくれたんだよ。サイモンは気づかなかったの?」


「いいや全然。ギルド職員って言っても事務方から裏方まであるし、罰としてやらせるんだったら、もちろん裏方になるだろうからな」


 モンスターの死体を解体するので、毎日清掃が大変なのだそうだ。

 サイモンのような普通の冒険者は、受付嬢ぐらいとしか面識がない。


 シーラは、ちょっと前まで街で働いた経験はある、と言っていた。

 だが、彼女は病気のオーレンを街に連れていけないから、この村から離れることができなかった、と言っていた。

 まさか、そんな裏話があったとは。


「というかオーレン、それで、どうしてお前は冒険者になりたいんだ? どんな職業なのか、十分に知ってるんだろ?」


 後ろめたい事のはずなのに、オーレンは、どこか誇らしげだった。


「だって、世の中には、ボクとおなじ病気で苦しんでいる人がいるんだよ? それを考えたらさ、ボクは心が安らぐんだよ。

 モンスターみたいだろう? 人が苦しんでいるのを知って、それを薬にしているんだ。

 だから……もしもボクの病気が治ったら、今度はボクがトキの薬草を自分で探さなきゃいけないんだよ。

 お姉ちゃんの罪も、僕が背負わなきゃ。姉弟だからね、これが助け合いだよ。

 サイモンだったら、分かってくれるよね?」


「……………………」


 なんと答えるべきだったのだろう。

 結局サイモンは、あいまいに言葉を濁すことしかできなかった。

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