175. 死んだ魚の目

 アーク軍が王都に向かって進軍する。


 連戦のあとだというのに、彼らの顔には疲れが見られない。


 強敵を前にしているのに焦りもない。


 なぜ戦うのか?


「軍ならば考えるよりも従え」


 そう教わるものだ。


 しかしここはアーク軍。


 他の軍とは違い、自ら考えることを許されていた。


 なぜ戦争をするのか?


「そんなのお前……上の連中が決めたことだ。俺達には関係ない」


 そうやって納得するものもいる。


 しかし、それだけで納得できず理由を求めるものもいる。


 出発前の演説で、自ら答えを得たものもいる。


 守るべきもののために戦おうと決意したものもいる。


 だが、全員が答えを得られたわけではない。


 ――ただ戦え。


 アークは最後、兵士たちの背中を押した。


 これほどシンプルで力強い言葉はない。


 そう、ここは軍だ。


 戦うことそのものが意義なのだ。


 アークがそれをいうだけで兵士たちは前に進めた。


 軍としての任務を果たせ、と。


 アークの言葉が彼らを奮い立たせ、前進させた。


 アークが後ろに控えていることがどれほど心強いことなのか。


 アークの何気ないひとことは確かに彼らに響いていた。


 そしてこの軍にはアーク以外にも信頼をおける指揮官がいた。


 ランスロットがいた。


 あの第一軍を破る策を立てたランスロット。


 彼はアークに続いて絶大な信頼を得ていた。


 だが、兵士たちから信頼をおかれているランスロットといえば……


「胃が痛い……」


 今日も絶不調なお腹を気にしていた。


「どうされましたか? ランスロット様」


「いや、なんでもない」


 腹を抑えようにも部下がいる手前、あまり下手な格好が許されずキリキリと痛む胃を気にしながら行動していた。


 アークがウラノス陛下にも喧嘩をうってしまい、後戻りできない状況に対し、ランスロットの腹は決壊寸前だった。


 ひしひしと感じる重圧に逃げ出したくなっていた。


 だが、ランスロットにはここで逃げ出すほどの勇敢さもなく、異様に膨らんだ期待を受け、死んだ魚の眼をして王都に向かっていた。


 おそらく、アークに最も振り回されているのがこのランスロットであろう。


 かわいそうな男である。


 ランスロットはこの戦いが終わったら本気で軍を辞めることを考えていた。


 そもそもこの戦いで無事に帰られるかもわからないが……。


 死亡フラグである。


「ランスロットよ。王都まで軍を任せる」


「はい?」


 突然アークにそう言われたときは、不動とも呼ばれ表情をあまり動かさないことで知られるランスロットでも、一瞬だけ顔が崩れてしまうほどだった。


「貴様がいれば大丈夫だろう。あとは任せた」


 軍議の場でそう告げられたランスロットは頭が真っ白になった。


 何が大丈夫なのか説明してほしかった。


 以前よりアークの指示は曖昧であり、意図を汲み取れないことが多かった。


 干支や指のメンバーはアークの意図を汲み取れるらしいが、ランスロットにそこまでの能力はなかった。


 そもそもの話、アークには大した意図はなく、それをラトゥとかカミュラとかが勝手に勘違いして解釈しているだけなのだが……。


 それはともかくとして、この状況下で軍を任されるのはランスロットにとって荷が重かった。


「いえ……しかしアーク様。私はどうすれば……」


「貴様ならできるだろう? オレが見込んだ男だ」


 この場がアークとランスロットだけなら、ランスロットも首を横に振れたかもしれない。


 だが、重要な会議の場面でアーク自ら期待をかけられてしまったのだ。


 当然、ランスロットに首を横に振れる意思もなく、うなだれるように「はい」と応えるしかなかった。


 こうしてランスロットはただでさえ重荷だった行軍が、胃を崩壊させるほどの重荷なものになってしまっていたのだ。


 王都に向かって進軍するアーク軍。


 そのトップであるランスロットは今日も死んだ魚の眼をしていた。

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