171. しん愛

 カツカツ、と地下牢を歩く音がする。


 ジークが歩いていた。


 彼女は目的の場所にたどり着く。


「……」


 ジークは牢に入れられた少女を見る。


 この牢には特殊な魔法術式が貼られているため、魔法を使って逃げ出すことはできない。


 だが、そもそもその少女――ブリュンヒルデは逃げ出す意思がないように見えた。


 虚ろな目をするブリュンヒルデ。


 愛しのジークが来たにもかかわらず、彼女の目が輝くことはない。


 反応を示すこともない。


「お嬢様」


「……」


 ブリュンヒルデは反応しない。


 彼女にとって一番大事なモノ。


 失われてから気づいた。


 ファバニールの存在はブリュンヒルデの心の大部分を占めていた。


 近すぎて、側にいすぎて気が付かなかった。


 今さら気づいたところでもう遅い。


 ファバニールはもうこの世にはいないのだから。


「お嬢様……」


 ジークは、ブリュンヒルデを痛ましく思う。


「私は――」


 どうすればあなたを救えたのでしょう?


 ジークは、そう問いかけようとしてやめた。


 問いかけたところで意味がないとわかっているから。


 今のブリュンヒルデに訊ねる内容ではない。


 それでも問いかけたくなるのは、ジークがブリュンヒルデを想っていたからだ。


 形は違えど、ジークもブリュンヒルデを愛していた。


 愛の形が違うだけで、なぜここまで苦しまなければならないのだろうか。


 なぜ、ブリュンヒルデを一人にしてしまったのだろうか。


 ジークは何も言うことができなかった。


 ただ時だけが過ぎていく。


 と、そのとき。


 コツコツ、と。


 誰かが地下牢を歩いていた。


 音は一つ。


 聞き慣れた音、ジークの知っている音だ。


「どうしてこちらに……?」


 アークが彼女らの前に現れた。


「なに。少しおもしろいものがあってな」


「面白いもの?」


 ジークは首を傾げる。


 アークが箱を抱えているのだが、その中に何があるのだろうか?


「ジーク。今回はよく働いてくれた。貴様への褒美だ」


 アークはそういって箱を開いた。


 するとそこには――、


「くぅ~ん」


 小さな竜がパタパタと羽を動かしていた。


「なんで……」


 ありえない。


 そんなはずはない。


 だって、その竜はもう死んでるはずだ。


 その死ぬ瞬間をジークははっきりと見ていた。


「……ファバニール?」


 ブリュンヒルデが呟く。


 先程まで死人のような目をしていたブリュンヒルデだが、今は縋るような目をしている。


「どうして……なんで?」


 ジークが疑問を口にする。


 死者が蘇ることはない。


 死して魔物になることはあっても、それはもう全く別の個体である。


 それは竜とて同じ。


 実は死んでなかった……なんてことはない。


 ファバニールはあのとき確実に命を落とした。


 それならのになぜ?


 どうしてファバニールは生きているのだろうか?


「王女から頂いたものだ。丁寧に扱えよ?」


「……ッ」


 ジークは目を見開く。


 それですべてを察することができた。


 ファバニールが消滅したあの場にマギサも駆けつけていた。


 なぜそこにマギサがいたのか、ジークは気に留めなかった。


 というより、ブリュンヒルデのことで頭がいっぱいであり、気に留める余裕がなかったのだ。


 しかし、冷静に考えれば違和感があった。


 マギサがわざわざそんな危険な場所にいたことに、もし意味があったとしたら?


「――創生魔法」


 創生魔法とは、人を作るという神の所業。


 ジークもマギサが創生魔法を使えることを知っている。


「ファバニールを復活させた。いいえ、違いますね。ファバニールの魂を新しい器を入れ替えた……」


 そんなことができるなら、まさしく神の魔法であろう。


 神級魔法がいかに常識外れなのかを理解させられた。


 人間の理から外れている。


 だからこそ神級・・・魔法なのだろう。


――まさか、アーク様はここまで読んでマギサ様をお連れになったのでは?


 ジークがそう勘違いしてしまうのも無理がない。


 あの場にマギサがいるということ自体が異常である。


 それに意味を見出すとしたら、最初からこれを予測してアークが動いていたとしか考えられない。


 偶然にしすぎてはあまりにも出来すぎている。


 と、そんなことよりも――、


「ファバニール……ファバニール。ファバニール!」


 ブリュンヒルデが小さな竜に向かって手を伸ばす。


 小さな竜は上手に空を飛ぶことができず、パタパタと飛んで地面に落ちる。


 それでも必死にブリュンヒルデのもとに翔けようとする。


 ジークは小竜を優しく持ち上げ、ブリュンヒルデに渡した。


 ブリュンヒルデがそっとファバニールを両手で包み込む。


「ああ、ファバニールなのね。本当に……本当にファバニールなのね」


 くぅーんと嬉しそうに鳴く小さな竜――ファバニール。


「良かった。本当に良かったわ……」


 ブリュンヒルデが目いっぱいに涙を貯める。


 特大の涙の粒がポタポタとこぼれ落ち、ファバニールを濡らしていく。


 ジークも目頭が熱くなる。


「ねえ、ファバニール。私ね、あなたに伝えたいことがあるの。とってもとっても大事なことよ」


 ブリュンヒルデは愛おしそうにファバニールの頭を撫でる。


「愛しているわ」




――しん愛編 完―― 

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