162. 覚悟
ときを同じくして――。
別の場所でブリュンヒルデとジークフリートが対峙していた。
ブリュンヒルデがジークを誘う形で、二人は昼間に戦場となっていたニーベルンゲン平原にいた。
死臭が漂うこの場は、お世辞にも再会に最適な場とは言えない。
だがブリュンヒルデにとって、この死臭こそ二人にはふさわしい場だと考えていた。
日の当たる場所は、もはやブリュンヒルデの生きる場所ではない。
ヘルの力を賜り、死臭が漂う場所こそが彼女には似合っていた。
幸いというべきか、ブリュンヒルデはヘルのもとに
それにはもちろん、理由がある。
ファバニールの存在だ。
ファバニールはナンバーズの中で最強だ。
それはつまり、闇の手の中で最強ということ。
そのファバニールを、ある意味飼いならしているともいえるブリュンヒルデは、闇の手の中で自由に動くことができた。
と、それはさておき。
ブリュンヒルデはジークフリートとの出会いを喜んでいた。
この場にはブリュンヒルデとジークしかいない。
他は死者が眠っているのみ。
その死者も、魔物になることもなくただの死体として安らかに眠っている。
それは幸運なことであるとともに、また一つの事実を示していた。
ガルム領はヘルの力が及んでいない場所である、と。
それはアークの、正確にはアークの部下たちの功績だろう。
ヘルの力が及ばなければ、死者が魔物になることはない。
今やガルム領は最も闇の手が手を出しにくい領域となっていた。
「会いたかったかしら。ジーク」
「……お嬢様」
ジークは大剣バルムンクを両手で持ち、剣先をブリュンヒルデに向ける。
「覚悟はできておりますか?」
「あら? すごい目ね、ゾクゾクしちゃうわ」
ブリュンヒルデはわざとらしく体をもじもじと捻らせる。
「お嬢様。私には大切なものが2つあります」
「うふふっ。何かしら?」
「1つ目はお嬢様です」
「嬉しいわぁ。ジークの大切に私が入っているなんて。ときめきで
「ええ。そしてもう一つは、この場所――ガルム領です」
ブリュンヒルデから濃密な殺気が放たれた。
ジークは眉を一つも動かさず続ける。
「どちらがより大切なのか。優劣をつけるなど、私には
それでも今どちらを守らなければならないのかは判断がつきます」
「だから私を殺すと? かつての主人であるこの私を」
「それをアーク様が望んでいらっしゃるのならば」
ブリュンヒルデの顔から色が落ちる、
無表情で虚ろな目。
「うふっ」
ブリュンヒルデは無表情のまま唇の端を釣り上げた。
「ふふふふふふっ」
無表情で笑う。
顔も目も笑っていないのに、声だけは楽しそうに笑う。
静寂の中、ブリュンヒルデの不気味な笑い声だけが響く。
「残念ね。非常に残念ね。いえ、良かったわ。本当に良かったわ。
ねえ、ジーク。あなたの好きなご主人様は――アークはもう死ぬわよ?」
「……」
「ファバニールは強いわ。アークが今まで闇の手の刺客を
それでもファバニールは別格よ。
竜の王というのはね、人間の想像を遥かに超える生き物なの。
人間ごときが挑んで良い相手じゃないの。
それもわからず挑むなんて、アークはとんでもないバカね」
ブリュンヒルデはファバニールとずっと一緒に過ごしてきた。
だからこそ、彼女は誰よりもファバニールのことを理解していた。
ファバニールは人間とは別次元にいる。
なぜ闇の手でファバニールが一目置かれているか?
それは圧倒的な強さがあるからに他ならない。
「ジークもわかっているんじゃない? アークではファバニールに勝てないことを」
ジークは黙ってブリュンヒルデを見る。
「ああ、勘違いしないで頂戴。昼間の戦いは関係ないわ。
たとえアークがいま全力で戦うことができても、ファバニールには敵わないわ。
だってそうでしょう? どうやってファバニールを倒すというの?
私にはどうしてもファバニールが負ける姿が想像できないのよ」
ブリュンヒルデのいうことは正しい。
彼女は決してアークを侮っているわけではない。
イカロスを倒したという実績を無視しているわけではない。
しかし、アークが人間である以上、竜との生物の差を超えることはできないと考えているのだ。
たとえニブルヘイムが使われたとしても、ファバニールが倒れることはない。
「それとも私を潰してしまえばファバニールも止まると? だったら短絡的ね。
私が死ねば、あの子はこのガルム領を徹底的に破壊するわ」
「アーク様はファバニールを倒します。絶対に。
アーク様が一人で行かれたのです。勝てる確証があってのことでしょう」
ジークは、アークに対し絶対的な信頼を寄せている。
それはもはや盲信といえるレベルだ。
ジークも干支の一人ということ。
干支はもれなく、アークを盲信しているのだ。
「ですので、私はお嬢様を全力で食い止めます」
さすがのアークもブリュンヒルデとファバニールを同時に相手するのは苦しいだろう。
だからジークがいるのだ。
ファバニールとアークの戦いに邪魔をさせないように。
ブリュンヒルデを足止めし、殺すこと。
それがジークの役目であった。
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