89. シャーリックの潜入
シャーリックは魔法学園を首席で卒業し、宮廷魔術師になり、アークの家庭教師になり、そして塔で教授になった。
それがシャーリックの送ってきた人生だ。
過去の自分では考えられないほど充実した人生だった。
それもすべてアークのおかげである。
アークがいなければ魔法学園を退学しているはずだった。
魔法学園を退学してしまえば、魔法使いとしても未来が閉じてしまう。
アークのおかげで未来が開かれた。
それだけでない。
アークに家族を救われた。
シャーリックはアークのためなら、なんでもやる気持ちでいた。
バベルの塔で教授になったのも、アークのためである。
ハゲノー子爵の出来事から、誰かをバベルの塔に潜り込ませる計画がガルム領で立てられていた。
適材がシャーリックであった。
シャーリックの実績をもってすれば、塔の研究員になることなど容易であった。
シャーリック理論は想像以上に学会からの評価を得ており、すぐに教授まで上り詰めた。
なぜそこまでシャーリック理論が評価されたのか?
単純に演算スピードを速くしたというだけでは、ここまでの評価を得ることはできない。
最も評価されたのがその理論の将来性だ。
シャーリック理論が普及すれば、魔法界全体が飛躍的に進歩することは間違いない。
今後の変化を正確に予測はできないものの、いままで100年、200年かけていた技術の進歩を数十年、下手をすれば数年でやってしまいかねない。
ひょっとすると、今使われている最上級魔法が、もう数年後には普通の魔法になるかもしれない。
それほどまでに可能性を秘めた理論がシャーリック理論であった。
これはもはや技術革新と言っても良い。
今のシャーリック理論の評価すら、後世では「過小評価」とされる可能性すらあった。
この若さと出世のスピードは異常だが、それ以上にシャーリック理論というのは高く評価されるべきものであったのだ。
そうして教授になってから、シャーリックは気づいた。
バベルの塔がすでに魔境となっていることに。
塔長であるイカロス。
イカロスは完全に黒であり、闇の手に属していることは確実であった。
それをすぐにカミュラに報告。
しかし、イカロスを失脚させるのは容易ではなく、シャーリックのみでは太刀打ちできなかった。
そしてもう一人、シャーリックのライバルといえる存在、フレイヤ。
フレイヤは闇の手に属している可能性が非常に高かった。
黒ではないが、限りなく黒に近いグレーだ。
すでに魔境と化していた塔。
しかし、それでも塔が完全に闇の手に落ちることはなかった。
そもそも塔の研究員を操ろうなんてできようもないことは、シャーリックが塔に入ってすぐにわかったことでもある。
なぜなら、塔の研究員とは頭のおかしな連中が非常に多く、そして良くも悪くも成果に対しては誠実であった。
他人を蹴落とすことはあっても、魔法に関しては正当に評価するという、矛盾を抱えた者たちなのだ。
シャーリックが教授になれたのも、この特殊な環境のおかげである。
バベルの塔では、権力というのはその功績によって保証される。
権力闘争はたしかに存在するが、実績がないものはまず権力闘争に足を踏み入れることさえ許されない。
そしてシャーリックの実績はほかを圧倒するものがあった。
塔内でいえば、イカロスとフレイヤしか並ぶものがいない。
だから彼女は急進派のトップに据えられたのだ。
そして急進派のトップでは否応なしに保守派ともやりあわなければならない。
そもそもシャーリックは権力闘争など得意ではない。
彼女のバックにカミュラやラトゥがいるおかげで、なんとかやりあえているが、シャーリックには向いていない。
その権力闘争をやらされているのだから、アークに対して愚痴をこぼすのも当然だろう。
なんたって、教授になってバベルの塔に潜入しているのは、アークの命令でもあるのだから。
と、シャーリックは考えているものの……。
もちろん、アークはシャーリックに命令などしていない。
といよりも、アークのためにバベルの塔に潜入しているとは露にも思わなかった。
なぜかトップのアークにだけ情報が行き届かない、ガルム領の情報網。
これには訳がある。
干支や指、軍やランパード、エリザベートはアークのことを信頼している。
信頼しすぎている。
盲目的なほどに。
そのせいで、アークならすべてを理解しているだろう、というまったくもって見当違いな考えを持っていた。
だからこそ、アークへの報告を最低限にしてしまっている。
報告の時間を少なくするための彼らなりの配慮だが、最小限の報告ではアークには何も伝わらない。
結果として、アークだけが何も知らない組織が完成してしまっていたのだった。
ガルム領は組織として終わっているのに、奇跡的に機能しているようだった。
こうしてアークの知らないところで物事がどんどんと進んでいくのであった。
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