第52話:伝説と踊る火山舞台

「けほっけほっ」



変な咳が出た。



意識はある。なんとか無事みたいだ。


エアブズの声は聞こえない。無事なんだろうか。



目をぐりぐりと擦れば、視界が戻ってきた。


飛び込んできたのは、海のように揺らぐ世界だった。



「綺麗…だなぁ」



辺り一面、波が押し寄せては引いていく。



ゆらゆらパチパチ。ドロドロくらくら。



煉獄プルガトリウムを受ける洞窟に、火の粉の喘ぎが小さく響く。




ふと手元を見れば、陰翳と紫苑をしっかりと握っていた。


感覚はない。


ぽたりと落ちては悲鳴を上げる、命の水が全てを物語っている。



「動…かなきゃ…」



ーー光よ・夢を謳えーー


ーー《イルジオ》ーー



薄橙に変わった。


手が動く。


問題は…ない。



ゆっくりと立ち上がる。


ヒリヒリする空気を吸い込んで、喉の異物をまとめて吐き出す。



二刀を納刀し、一歩踏み出す。


一歩、また一歩。


少しでも速く。少しでも遠く。



気がつけば、広い空間に出ていた。



「…っ!!」



背中に奔る悪寒。


反射的に抜刀。紫苑の白閃が空を斬る。



響く轟音。巻き起こる暴風。


巻き込まれた俺の体が、上空へと射出された。



風切り音で耳が溢れる中、視界に巨大な影が映った。



琥珀色の瞳。


ビルよりも太い四本の脚。


この山を覆い隠せる大きな翼。


鋭い全身は深海の恐怖と冷気を彷彿とさせる。



この生き物はまるでーー




「ーードラゴン…?」



空想と幻想にのみ存在する伝説の生き物。


それが今、堂々と空を泳いでいる。



「ふっ、あっは!」



笑いが込み上げてくる。


頬が上がる。


脳汁が止まらない。



だって…だって…



伝説ホンモノがそこにいるんだからぁ!!!」



上昇の勢いが消え、下降へと転じる。


紫苑を突き出し、抵抗を切り裂く。加速する体とテンションが、一条の軌跡に変わる。



突き刺さる一撃。


甲高い火花と流れる衝撃。


紫苑は…鱗の一枚にすら押し負けた。



「あっはははははは!!!かってぇぇぇ!!!」



陰翳抜刀。二刀を振り回し、手当たり次第に斬り続ける。


どこに当てても鱗、鱗、鱗。


弾かれてお終いのナマクラ剣技。



「かはっ!!」



何が起こった…?



目線を動かす。


横には岩。前には…光!?



「それはやっばぁいいいい!!!」



跳ね起きた瞬間、光球が解き放たれた。


目覚めた時に見た、あの煉獄。刹那に満ちるその熱は、マグマどころの話じゃない!



紫苑を重力から解き放ち、全力で球を描く。


寸分先のヘルヘイムが、死の鎌を突きつけてくる。



息が上がる。手が痺れてくる。


イルジオを見ては、また振るう。



まだ終わらない。まだ止まれない。


灼熱地獄の出口が見えない。



「見えないなら…ぶっ壊すだけだぁぁぁぁ!!!」



回転に合わせて、ステップを踏む。さらに地を蹴り、紫苑の重みに身を任す。


加速し続ける剣閃の独楽こまが宙を舞い、炎の海を切り裂いていく。



色が変わった瞬間、急停止。目前のアウイナイトあおのうろこに足を掛ける。


同時に紫苑で薄皮を切り、重力から逃走。



グッと指先に力を入れ、強引に跳躍。


ドラゴンの上をとり、重力に捕まって着地する。



「なん…これ…」



視界に飛び込んできたのは、大きく抉られた岩壁。まるで大きな衝撃を受けたかのように砕けている。


それは正面だけじゃない。


右にも、左にも、後ろにもある。



「まさか…さっきのは…」



反射的に走り出した。



目指すのは、翼。


どっちかでいい。片方さえ無力化すればいい。


それはそうなのだが、如何せん遠いすぎる。



翼に力が籠るのが見える。


まずいまずいまずい!またあれが来る!!



「一か八かだあぁぁぁぁ!!!」



鱗を蹴り、紫苑を構える。


場所は下段。掠らなきゃ死ぬ!!



奴の姿が消えた。



一瞬来る、引っ張られる感覚。間に合わなかった!当たらなかった!!


でもーー



「ーー紫苑なら!!!」



空を一閃。


一拍の後、咆哮が轟いた。



砕け散る岩。弾け飛ぶ溶岩。


その惨劇を引き起こすのはーー



ーー移動。



「あっははははは!!!伝説ぱねぇ!!!」



身を捻って、回転。背後のドラゴンとご対面だ。



美しい二本の角。


鋭くて厳格な顔。


歯の間から覗く長い舌。



ああ…なんて…なんて…



「かっこいい…」



溢れ出る、帝王の風格。


冷酷で、無慈悲で、獰猛で、優雅。


並び立つものはないほどの、圧倒的な存在。



「ふ、ふふ」



零れ出てくる。


溢れ出てくる。


全身が痺れで満ちていく。



「あっはははははは!!!」



帝王が生む、光の揺らぎ。向けられる死の塊が、今はすごく心地良い。



「伝説を相手するなら!こっちも伝説で返さなきゃ!!」



インスピレーションが湧いてくる。この場にふさわしい一太刀が。



紫苑は前。刃は水平に…


陰翳は左脇腹。刃は後ろに!



「ーー水よ!集い流れよ!ーー


ーー《ワーテル》!!!ーー」



水弾炸裂!最大加速!!



二天一流 左脇構ーー



「ーー流水!!!!」



解き放たれる、煉獄ブレスと奥義。



二又になる煉獄。


突き進む純白。



煉獄が晴れた先、現れる奴の顔。瞬間、両手を振り抜く。



交差する二刀。


舞い散る鮮血。



陰と陽がもたらす赤黒い十字が、深々と首に刻まれた。



速度を受け流して無事着地。


反転、両刀クロスで陰陽交差。残心にて警戒を怠らない。



「まあ、この程度じゃ死なんよな!!」



口の両端から漏れる大海の霧あおのミスト。奴の怒りを示すように、熱く激しく溢れている。



『ヴウゥゥゥ…』



地鳴りの如き唸り声。



腹の底が崩れる感覚。


否、実際に崩れていた。



「それは残像だ…てか…」



背中に感じる、圧倒的存在。


唯一の救いは、首チョンパは防げたことか。



遅れてくる、移動の大津波よは


しおんに隠れきらなかった下半身が、どこかへ飛んでいくのが見えた。



「ふっ、はは」



体に僅かに残っている、感覚。



風でもない。


岩でもない。


雷でも火でも水でもない。



俺は確かに、爪で斬られた。



あの巨体で、あのスピードで、あの力で、にも関わらず原型を留めておけるなんて。



「あっはははは!!」



ーーどんな技量してるんだよ…!






ーーーーー






両者から溢れる鮮血。



片やかすり傷。


片や致命傷。



心配も束の間、翠の光が現れた。


彼奴エアブズの魔法だろう。



『ふっ、相変わらず仕事が早い』



ならば我のすべき事は一つ。あの蜥蜴の相手だ。



今の我では厳しい相手。全盛期の力が懐かしいものだ。



穿つ閃光。


燃える霊山。


崩れる岩壁。



とかげの息が乱れ飛ぶ。



『寝ている間に随分と生意気になったようだな』



正面に立つ。


焔を上げる。


両腕から力を抜く。



一足と同時に横一閃。


剣音が高々と響く。



重い。かつてより遥かに。



一合、千合と重ねる程に、腕に痺れが残る。


そしてその度に動きが鈍くなっていく。


我が友ユウトの技量が身に染みる。彼奴なら寸分の間の硬直もないだろう。



ここが限界か。



爪の先で流しきり、奥へ駆け抜ける。


間髪入れずに飛ぶ炎を、焔を飛ばして相殺する。


腕を休めつつ、弾幕を展開。それを目眩しに蜥蜴の裏へ飛び出す。



『ーー原初の滅炎ーー』



真紅の魔法陣を展開。


姿を現した炎剣の柄を握る。



『ーー《ソル・イグニスト》ーー』



抜剣。


魔法陣から引き抜かれた切先が、弧を描き宙を舞う。


無防備な背から鮮血が降った。



『この程度か…』



蜥蜴の傷が塞がっていく。


弱いというものは、こんなにも苦い味がするものだったか。



突如、奴の姿が消えた。



腹に響く衝撃。


どうやら斬られたようだ。



『彼奴も…このような世界を見ていたのだな』



幸い、爪よりも我の方が硬い。押し潰されない限り、問題はない。


それよりも自身の弱化を把握仕切れていない方が問題だ。



速さも、力も、魔法も、動体視力も。



『全く、指導者がこの為体ていたらくとは…』



情け無い。


あまりの情け無さに冷笑ですら物足りない。



ここに封印されて以来、戦いどころか動くすら滅多になかった。


ただ激情に身を任せ、時の経つままに生きた己に腹が立つ。



『修行が足らんな…』



蜥蜴の炎を捌きつつ、嘗ての感覚に想い馳せる。



僅かに、本当に僅かにだが目が戻ってきた。


そして叩かれ続けた我が身は、奴の速度に慣れてきた。



『そろそろ…か』



ただの枷だった右腕を動かす。


焔を止め、両の手で炎剣を握る。



『構えるがいい蜥蜴!ちょうど凝りが解れたころだ!』






ーーーーー






『ーーゥト』



声が…聞こえる…



それに…なんだか…温かい…



なんだろ…これ…



『ーーウト!!ユウト!!』


紅玉こうぎょく!!!!」



思わずりんごの品種を叫んでしまった。



『目覚めたのう!!ユウト!!』


「うん…?生きてる…?」



ペタペタと体を触る。どこにも傷がない。



『ワシが治しておいたぞい』


「まじか、ありがと」


『当然じゃよ。それよりもーー』



金属音が響いた。


甲高く心地良い、闘いの音だ。



音の方を見れば、カークスがドラゴンと渡り合っていた。


幾つも並ぶ両者の姿が、住む速度の違いを見せつけてくる。



「やっば!!カークス強すぎでしょ!!」



戦いは互角。


ドラゴンは体格で、カークスは技量で差を埋めている。



『とはいえ、今のワシらでは勝てないんじゃよ』


「今の…?」



含みのある言い方。封印でも施されてるんだろうか。



『あとで教えるぞい。今はとにかく、彼奴あやつをなんとかせなばならんからのう』


「りょーかい」



ゆっくり立ち上がって、軽くジャンプ。


体に異常なし。



「さーて、どうするん?」



このまま突っ込んだって、余波で死ぬだけ。無意味も無意味。無駄がすぎる。



『ワシに策がある』


「お!なになに?」


『耳を貸すのじゃ』



意地悪な笑みを浮かべたエアブズ。


なんだかいい予感がする!

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