8 燃える十字架の記憶

   8 燃える十字架の記憶


 日付を忘れがたい出来事といえば、私が拐われてから二〇七日目に襲撃した村の記憶は特に鮮明に思い出せる。

 その頃の私は着実に兵士として力を付けていたが、〈徴税人〉の男たちを皆殺しにできる可能性がわずかでもありそうな日は訪れなかった。

 訓練や戦闘が終われば武器は返却しなければならなかったし、拠点をどこに移動しようと武器を補完する場所には夜通し見張りが置かれていたし、男たちは寝床に最低限銃を一丁忍ばせることを徹底していた。

 夜の相手に呼ばれたとき、体格と腕力に優れたボスをどうにか素手で殺すことができたとしても、即座に武器を準備できる男たちの集団を相手に戦うのは無理だ。

 それを可能にするには、それこそ常人を超えた力が必要になる。自分の中のルミナスは少しずつ強くなっている実感があったが、今の調子ではそれだけの力が得られるまで更に長い月日を要することになりそうだった。

 ルミナスについて聞きかじったことのある数少ない知識として、ルミナスの力を使える人間のほとんどは、コミックのヒーローのような常識外れの力をというものがあった。人間の限界を明らかに超えるようなパワーを見せているのはクリストファーのような例外だけであり、それすら映像や記録のような確固たる証拠があるわけではないのだという。

 自分がその例外だと考えるのは楽観的すぎるだろうか? もし普通の人間に毛が生えた程度にしか強くなれないのだとしたら、どれだけ鍛えたところで自分が望むような形で復讐を完遂することは無理なのではないか?

 そうした先行きの不安を抱えていた頃に襲撃した村。そこには私の郷愁を誘う施設――教会があった。

 それなりに広い村を、私たちは三手に分かれて攻め入った。他の粗末な民家より大きな家の屋根に十字架が立ててあったが、踏み入った中にいた二人の女の格好を見るまではそこが教会として使われているとはわからなかった。礼拝堂でも何でもないただの居間の壁に十字架がかけられていて、申し訳程度に三人がけのベンチが二列並んでいるだけだ。

 古めかしいシスターの服に身を包んで震え上がった彼女たちが、下衆なゲリラたちの慰みものにされるのは当然の流れだった。

 小さな集落を襲ったとき、殺戮に興奮した兵士が、その場で住民を犯すのを目撃したことはあった。蛮行から目を逸らしても悲鳴や嗚咽は耳に突き刺さってきて、その場から逃げ出したくもなった。だがそうした光景は私にとって、どこか遠い地の出来事のようにも感じられた。

 それはおそらく、この国に降り立ったときから心の底に隠れていた感覚だ。彼らを救おうとする立場の人間が決して口にすることを許されない感想。つまり、自分が生まれ育った国よりもずっと文化レベルの低い、劣った国の劣った人々という認識。

 私の両親のように殺される村人や、私と同じように犯される女たちの姿に心を痛めはしても、彼らは「あちら側」の人間だった。未開で野蛮な国の一員であり、私とは別の種類の人間だと、どこかでそう考えていた。

 だが教会の女たちは、私にとって別の世界の住人ではなかった。生まれた国と肌の色が違っていても、彼女たちは私がかつて信じていたものと同じものを信じている人たちだった。神に仕え、正しい生活を志している者たちだ。「あちら側」ではない。「こちら側」の人たちだと、そう私は認識した。

 彼女たちが、彼女たちの質素な神の家が襲われるのは、「こちら側」の文明世界が「あちら側」の野蛮な世界に蹂躙されるということだった。文明世界からの来訪者である私が陵辱され続けているように。だがそれに心を痛めても、止めることなどできなかった。

 その場にいたのは先に踏み込んだ男の兵士が三人に、少女兵が私ともう一人。不意を突けば三人程度なら銃でもナイフでも瞬時に殺せる自信はあった。その後に少女兵を口止めすることもできたかもしれない。だが兵士の死体を三つもこしらえて、まさか住民からの抵抗を受けて殺されたなどという作り話が通るわけがない。裏切り者として即刻射殺されるだろう。裏切りが発覚する前にボスを急襲しても、他の全員を敵に回せば蜂の巣にされるのは時間の問題だ。私は奴と刺し違えるつもりはなかった。奴を殺して、他の男たちも皆殺しにして、私が生きてこその勝利だ。

 だからシスターの一人がベンチに押し倒されて後ろから犯されているのも、もう一人が床に蹴り倒されて服を引き裂かれているのも、ただ見て見ぬふりをするように隣の部屋に入った。ドアを閉めても嗚咽や怒号は響いてきた。目を閉じるように、耳も手を使わずに塞げたらいいのに、と馬鹿なことを考えながら部屋を見回す。

 人間一人分のルミナスを感知していたのは、キッチンの下の戸棚の辺りだった。

 そっと近寄って戸棚を開けると、もう一人のシスターが隠れていた。隣の部屋の二人よりも若い、女の子といってもいい年齢に見えた。彼女が悲鳴を漏らす前に素早く口を塞ぐ。

「声を出さないで」

 身体は強張っていたが、喚こうとはせずじっとしていた。抵抗の意志もないようだった。戸棚には調理用のナイフもあったが、それを手に取ろうとは考えなかったらしい。ここに隠れ、襲撃者たちに見つからないことだけを祈っていたのだろう。そんなことを瞬時に考える一方で、私たちは男どもの迂闊さに怒ってもいた。屋内を探索する前に女たちに手を出すとは。住人が武器を持っていて、無防備なところを攻撃されたらどうするつもりだ。

 兵士としての思考が自然に、即座にできるようになったのはいつからだったろう。

 兵士の思考と並行して人間の思考を巡らせる。彼女を助けてやることは可能だろうか。この部屋に私が入ってきた以外の出入り口はない。窓から出ることは可能だが、家の外に出ても奴らに見つからずに逃げるのは現実的ではなかった。ならここにそのまま隠れていれば見つからないか?

 いや、ここが教会として利用されている建物である以上、おそらくここは焼かれる運命だ。

 黒曜連合の理念ではキリスト教は白人の生み出した宗教であり、打倒すべき敵だからだ。奴らが世界各地で教会を焼き討ちするのは昔ニュースで見ていた。〈徴税人〉は実質的には理念などあってないような山賊に過ぎなかったが、建前としては黒曜連合の思想に基づいて戦う集団である以上、白人の神の家は燃やさなければならなかった。

 逃げることもできず、隠れていても焼け死ぬ可能性が高い。そして見つかればどんな目に遭うか。隣の部屋からは変わらず女の嗚咽と獣たちの声が漏れてきていた。シスターの少女が恐怖に震えながら、懇願するような目で私を見上げた。

 私が彼女にしてあげられることは一つしかなかった。

「……あいつらにひどいことされる前に、死なせてほしい?」

 彼女は絶句して口を覆った。涙がその頬を伝った。私は目を逸らさずに彼女を見つめ続けた。――あんたには生き残る道はないよ。楽に死ねるか、辱められて殺されるか、どちらかしか選べないのだということを理解してもらいたかった。そして終わり方を自分で選んでほしかった。

「時間がない。答えて」

 彼女が首を縦に振り、きつく目を閉じた。

 彼女の手を取りそっと戸棚から外に出すと、背後に回り込んで首に腕を巻き付けた。以前少年兵に対して大人たちが戯れに首を絞めて気絶させているのを見たことがあった。もがこうとする彼女の身体を押さえつけ音を出さないようにして十秒ほど締め続けると、彼女の身体から力が抜けた。

 自分のナイフを抜き、それを使う前にできることがないか考えた。だが神を捨てた私には彼女のために祈ることもできない。諦めて速やかに肋骨の隙間から心臓にナイフを突き入れた。

 微かにくぐもった声が、彼女の最後の生命の吐息が漏れるのを聞いた。

 彼女の身体を横たえ、戸棚から調理ナイフを取り出す。そして自分の左腕を浅く斬りつける。縫わなくてもテープで治療できる程度に。もうこの程度の痛みは何とも思わなくなっていた。自分のナイフを握り、調理ナイフを放り捨てる。そしてキッチンテーブルを思いきり蹴飛ばした。

 隣の部屋が静まり返った数秒後、お楽しみを中断した兵士たちが血相を変えて飛び込んできた。私は血を流す左腕を掲げて言った。

「一人隠れていた。ナイフで切られた。舐めやがって、雌犬が」

 私は顔をしかめて、たった今殺したシスターの死体を蹴りつけた。まだ事態を把握できていない男どもの横を大股で通り過ぎ、銃を構えた。

「まとめて地獄へ送ってやる。売女ども」

 隠れていた少女が犯される前に死ねたこと。そして自分たちがこれ以上陵辱される前に死ねること。そのことにほんの少しでも救いを見出してくれていればいいのだが、直後私に心臓を撃ち抜かれた二人の女たちにその時間はなかっただろう。

 立ち尽くす少女兵に目を向けると、彼女は顔を歪めて後ずさりした。それが逆上してシスターを皆殺しにした人間に対して向ける恐怖の表情なら、私の演技は悪くなかったということだ。



 それぞれに略奪と陵辱を終えた兵士たちが集落の中心に集合した。そこでは既に、選ばれた三人の不幸な男が両腕を切断されていた。

「よく覚えておくんだぞ。手足をぶった切ったり脳天をかち割ったりするときは、腕の力だけじゃダメだ。全身の力を使って、得物の重さを上手く利用するんだ」

 血まみれの山刀を片手に少年兵たちに語りかける〈断頭〉。普段と変わらない穏やかな口調はまるで学校の授業で、それがあまりに不気味だった。

 転がる六本の腕。呻き声。震える住民たち。事前に聞かされてはいたが、実際目の当たりにすると酸鼻極まる光景に胸が悪くなった。

「今日襲撃する村は大きく、よその集落との交流も盛んのようだ。ところでおまえたちは知ってるか? 地雷ってのはな、大抵の場合即死しない程度の威力しかないんだ。なぜだと思う?」

 今朝ボスからそう問われた少年兵たちは、私を含め誰も答えることができなかった。

「死人を作るより怪我人を作った方が戦力を削れるからだ。死人が出ても減るのは一人分。だが怪我人は、そいつを運ぶために数人の戦力が削られることになる」

 地雷というのは戦争が終わっても埋まり続け、民間人を殺傷する非人道的な兵器だとは知っていたが、そんな悪魔的な設計意図があるものだとは夢にも思わなかった。

「それと同じことをやる。働けない人間を作り、そいつらを世話する分の労働力も奪う。生産力が落ち、ひいては政府の力を弱体化させることに繋がる。大きい集落なら他の集落からやって来た人間もその姿を見る。そいつらにも恐怖を植えつけることができる。実に効果的な攻撃だ」

 私はなるべくそちらに意識を向けないようにし、ボスに歩み寄って腕の怪我を見せた。そして使い道のある若い女たちを咄嗟に殺してしまったことを詫びた。

「いきなり切りつけてきたか。シスターにしとくには惜しいな。いい兵士にできたかもしれない」

 本気とも冗談ともつかないことを言いながら、私の肩に手を置いて、寛大ぶった笑みを浮かべた。

「まあやっちまったもんはしょうがねえ。それにいい収穫もあったしな」

 そこに男女二人ずつの少年兵候補が集められていること、そのうち一人の少女が目を引くほど美しいことには既に気付いていた。イギリス人の私の美的感覚がこの国の人間と同じかはわからないが、少なくともこの少女は明確に他の子より顔立ちが整っているように見えた。

 この場では凌辱されなかったようだが、彼らも今夜、私たちが誘拐されたときと同じように歓迎の儀式を受けるのは明らかだった。

 その後、予想どおり教会は燃やされた。引き上げる車の荷台から、屋根の十字架が焼け落ちるのをずっと眺めていた。

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