3 神なき世界
※作者からのご注意
前回からの流れで予想はつくかと思いますが、この3話から内容・表現共に残酷な箇所が増えていくことになります。作者としましては決して露悪的な暴力描写がやりたいのではなく、あくまで今世界のどこかで現実に起こっている暴力の範疇から逸脱しない描写を心掛けているつもりです。とはいえそういった描写がどうしても苦手で触れたくない読者の方もいるでしょうし、そういう方を不快にさせてまで「この現実から目を背けるな!」と押しつけるのは傲慢だと思っています。小説に限らず、人は不快な表現から自分を守る自由があるはずです。不安を感じる方は、ご自身の体調や精神状態と相談して、場合によっては引き返していただくことを推奨します。
3 神なき世界
後になって振り返ってみると、あのときの父の行動は間違ってはいなかった。
暴力と無縁だった父が屈強な男から銃を奪い取って反撃できる可能性はゼロに近かったが、言葉で説得や交渉を試みたところであの場を切り抜けられたとは思えない。
それに最期に必死で家族を守ろうとする姿を見せることができた。母にとっても最期に見たものがそれだったのは幾ばくかの救いになったのではないか。
何より二人ともあの場で死ねたからこそ、その後の私を待つ受難を知らずに済んだのだ。そのことだけは紛れもなく幸福だった。
車はいつの間にか悪路を逸れて道なき荒野を走り続けた。周囲の風景はやがて森になり、車一台がやっと通れる道をしばらく揺られてから、私たちは降ろされた。
後ろから銃を突きつけられ獣道を長いこと歩いた。この国に来てから暑さにはずっと閉口させられたが、森の中のそれは市街地や荒野の村とはまるで違う過酷なものだった。あの乾いた空気が嘘だったように蒸し暑くなり、涙も涸れ果てたように感じる身体からなお汗が流れ続ける。生まれて初めて強烈な喉の渇きを覚える。だが足を止めることなど許されるはずがない。
疲労で朦朧とする意識がまともに思考することもできなくなった頃、開けた場所に辿り着いた。粗末な小屋とテントがいくつか建っている。短時間で設営・撤収できるように作られた反政府ゲリラの仮設基地だった。
連れ去られた八人、いや私を含めて九人の子供たちが、そこで男女別に並べられた。
あの村の子供たちがみんな連れ去られたわけではなかった。私の髪を編んでくれた女の子と一緒にいた、彼女より更に一つか二つ年齢が下に見えた女の子はいなかったし、男の子ももっと小さい子を村で見かけていたが、ここに並んでいるのは四人だけだ。
村を襲撃した面々に基地で待機していた仲間が加わり、整列させた少年たちを基地中央のやや開けた所まで行進させた。そして――問答無用で殴り始めた。
肉と骨がぶつかり合う音に怒号が混じる。倒れた少年たちは蹴られ、踏まれる。全くわけがわからなかった。なぜ少年たちを笑って暴行しているのか理解できずに、ただ震え上がっていた。早くこの異常な暴力が終わるように、私は両手を合わせて神に祈った。次は自分たちの番だとも知らずに。
――主よ、どうか私たちをお救いください! お救いください!
あんなに切実に神に祈ったのは、後にも先にもこのときだけだ。
そうだ。こんなことがあるはずがない。慈善活動を続け、正にこの国を救おうとした両親が殺されるなんて何かの間違いだ。毎日曜日には教会へ通い、親に逆らったり学校で誰かを泣かしたり、そんな悪いこととは無縁のいい子だった私が誘拐されるなんてことがあっていいはずがない。何の罪もない少年たちが大人たちに寄ってたかって痛めつけられるなんてことが許されるはずがない。これは悪い夢だ。目を覚ませば首都のホテルの一室で――いやロンドンの屋敷の柔らかいベッドに包まれているに決まっている。こんな国を訪れたこと自体が悪夢に違いない――
少年たちが立ち上がれないほど痛めつけられた後、恐怖に立ち尽くし声も出ない私と他の四人の少女たちは、手を引かれ一番大きな小屋に連れて行かれた。
そこで全員がレイプされた。
三人は十二歳だった私と同じか少し上くらいで、三つ編みを編んでくれたもう一人の子は明らかに年下だった。初潮を迎えているかどうかも怪しかったが、そんなことも構わずにゲリラ共は全員を代わる代わる犯した。四、五人の男に順番に慰み者にされた子もいた。
私は同じ男に続けて二度犯された。母を撃った大男だった。
強い力で組み敷かれながら、私は必死で言葉を絞り出した。――やめて、助けて! 私を無傷で返せば、父の会社がいくらでも身代金を払うから! 殊更派手な暮らしぶりでなくとも、大企業の令嬢として育った私には、この期に及んで金の力が自分の身を守ってくれるかもしれないという一縷の望みがあった。そんなものは何の効力もなかった。男は楽しそうに笑うと黙って私の頬を張り飛ばした。耳鳴りがして視界が歪んだ。気づいたときには男の片手が私の細い首を締め上げていた。必死に抵抗したがびくともしない。息ができない苦しさが思考を塗り潰し、このまま殺されるのだと本気で思った。一分に満たない時間だったが、男が手の力を緩めて呼吸ができるようになった瞬間、苦痛が去ったことと殺されずに済んだことへの安堵感がどっと押し寄せ、それでもう私の心は折れてしまった。それ以上抵抗などできなかった。
陵辱されている間、それまでの人生でなかったほど強く拳を握り締め、歯を食いしばり肉体の痛みに耐えていた。だが魂を擦り潰される苦痛は到底耐えられないものだった。今までの短い人生で感じた気持ち悪さや恥ずかしさ、そうした感情が全て取るに足りないものだったと思えてくるような、不快や恥辱などという言葉では言い表せない、嵐のような苦痛の奔流だった。実際頭の中でずっと暴風のような、世界が壊れていくような音がしてやまなかった。
男が欲望を満たすために女を力ずくで犯す。時には年端もいかない子供がその毒牙にかかる。そういう恐ろしいことがこの世には存在するのだということを知識としては知っていたのに、どこかで自分とは遠い世界の出来事のように考えていた。自分の身に起きたそれは想像を絶する残酷だった。あのまま絞殺されていた方がどれだけよかったか。最中に胃の中身を全て戻してしまわなかったのが不思議なほどだ。
だが同時に心の底から湧き上がってくる衝動があった。それは周囲から愛されて育ち、学校でもどこでも誰かと本気で争ったことがなかった私が、初めて抱いた本物の殺意だった。自分の上に覆い被さる男を殺したいという願いが、必ず殺すという確固たる意志になるのに時間はかからなかった。この獣を必ず抹殺する。凄惨な死でもって罪を償わせる。
そのときになってやっと気づいた。教会で祈りを捧げていた神なんて本当は存在しない。父と母が殺され、私が犯されているこの状況が何よりの証明だ。神は誰も救い出してくれないし、誰も罰しない。神に何かを願っても無駄だ。私がこの手でやらなければいけない。
必ずこの男に復讐する。
絶望に支配されかけた魂の中で、それだけがたった一つ生まれた望みだった。
乱暴に扱われた少女たちは、身体のあちこちにあざを作っていた。一番小さい子は歩くのも辛そうだった。私は比較的軽い怪我で済んだ。あの男以外の誰にもレイプされなかったからだ。
寝床として充てがわれた小屋には、私と一緒に連れてこられた四人以外に三人の先客がいた。この年長の少女たちが、壊れかけた新入りたちをケアしてくれた。
虚脱の時間がとうに過ぎ、ひたすら殺意と憎悪に身を焦がしていた私は、涙も涸れ果てた眼差しで天井をじっと睨みつけていた。そんな私の頬に濡らした布を当てたのも年長の少女たちの一人だった。殴られて腫れていたのを冷やすために。かけられる言葉のうち理解できた単語は半分もなかったが、私はまず自分が手当てを受け、慰められているという事態に驚きを感じていた。この世界にまだ労りというものが存在していたことに驚いてしまったのだ。
身体を拭けるよう濡らした布も配ってくれた。溜めた貴重な雨水を使ってくれたのだと後になって知った。少しでもあの汚辱を擦り落とそうと強く全身を拭っている間、背後からそっと年長の少女が私の髪に触れ、三つ編み――世界が壊れる前の最後の時間、まだ笑うことのできた幼い少女が編んでくれた――をほどいてくれた。
優しくしてくれた年長の三人も、私たち新入り五人と同じように誘拐された境遇なのは察せられた。
彼女たちはいつからここにいるのだろう? テントや仮設小屋が並ぶここは、大人数が長く住み着いている場所には見えなかった。彼女たちはいつゲリラに誘拐され、いつから一緒に移動しているのだろう?
今夜私は地獄の底に来たと思っていた。だがここはまだ入口でしかないことを、すぐに知ることになる。
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