第5話【道程】

 仕事には、三、四日ごとに呼ばれた。夕方に配置につき、夜を徹して見張る。それを何回か続けた後、実際に密漁を敢行する班に加われと命じられた。


 とは言っても、俺の仕事は潜ることじゃなく、潜ってくる連中を送り出し拾うためのゴムボートの番をすることだった。


 夜の闇に紛れて大型のワゴンで海岸に乗りつけると、急いで準備にかかる。目立つのを避けるため、なるべく短時間でゴムボートを海に送り出さなければならない。

 真っ黒なドライスーツに酸素を詰め込んだ円筒状のタンク。重装備を着こんだ三、四名のダイバーと舵を握る平田、それを補佐する役割を負った俺は、真っ暗な海に船外機のエンジン音と共に漕ぎ出す。


 ライトは一切使えない。海岸にいる漁師や警察、海保に見つかるのを逃れるため、海の中に潜って初めて使うことができる。料理用のプラスチックザルに結束バンドで水中ライトを巻きつけた手作り感あふれる代物だ。「意外と使いやすいんだよー」とは、同乗した長谷の言葉だ。


 ダイバーはタンクの酸素を使い切るまでナマコを獲り続ける。一度潜ると基本的には上がってこないため、平田と俺は水中のライトを追いかけダイバーを見失わないようにしつつ、陸上の動向を監視する。

 ダイバーが網にナマコを満杯に浮上してきたら回収し、撤収する。


 この一連の流れを三回もこなすと、どう思っているかに関わらず、慣れてしまっている自分がいた。


 やがて長谷も加わり、あの底が抜けたようなバカ笑いからは想像もできないくらいに、手際よくナマコを回収している様には素直に感心させられた。自称ベテランはどうやら嘯いていたわけではないらしい。


 しばらくはパチンコ屋のバイトと密漁を掛け持ちする生活を送っていたが、やがてバイトは店長と給料を巡って、事務所の外まで貫通するような激しい言い争いになり、そのまま辞めてしまった。残業代は最後まで振り込まれることはなかった。


 家にたどり着くとそのまま布団に倒れこんだ。風呂に入りたかったが、立ち上がる気力が湧かない。これほど自分がうちのめされるとは想像もしていなかった。

 ゴロリと布団の上で転がると写真立てが見えた。まだ生きていた頃の母親と仏頂面の俺が、こちらを見つめていた。


 今まで自分が歩いてきた道が否定されたようだった。一人の男が人生を壊し、逃げ出した者を食い物にしようと再び姿を現した。

 このままでは奪われるばかりだ。時間も居場所も、しまいには命も。


 スマートフォンが震えた。寝ころんだままアプリを操作すると、長谷からだった。密漁者の中で、電話番号が知られている平田以外、唯一連絡先を交換した相手だった。アイコンは昔のプロレスラーだと自慢していたが、死ぬほどダサい。


 長ったらしい文面を要約すると、酒を飲んでるからお前も来いとの文面だった。酒は怖くて飲めないが、鬱屈とした気分から逃げたくて、街のチェーン居酒屋に向かった。


「あ、やっときたじゃーん。ほら飲めよ飲めよー」

「飲みません」

「んだよー、ウチの酒が飲めねーってのかよー!」

「おっさんですかアンタ……」


 到着した時には既に長谷は酔っぱらっていた。平時よりも大きく身体全体を揺らしながら、しきりに酒やご飯を進めてくる。


「なんか元気ないじゃん、どうしたのさあ」


 この人察しが良すぎないか。感心しながらバイトを辞めたことを話すと、長谷は一際大きな声で笑った。


「クソ上司とディスり合いして勝ったとかカッケー。今日から自由人じゃん。どうするか決めてんの? 密漁一本に絞るぜ! とか」

「いや、流石にあんまり寄りかかりすぎるのもどうかと思いますし……またバイト探します」

「いいんじゃん、いいんじゃん。次の目標決めといちゃうのは良いことだよ。迷ってばかりで次に進めないよりは」


 長谷は顔を赤く染めて、自分の言葉に感じ入っているのか、うんうんと頷いていた。俺はポテトフライを箸で摘まみあげ、皿に盛られたケチャップの上に沈めた。


「けど、その先が全然見えないんです。その場しのぎでバイトして、密漁して、そのあとどうすればいいのかわからなくて」

「そんなの誰もわかんないよ。わかんないけど、とりあえず生きていかなきゃいけない。そのためにやることをやる。なんだってやればいい。人に迷惑かけなきゃね」

「密漁は漁師に迷惑じゃないんですか?」

「まあ、直接はかけてないからねえ。ご飯の種を奪ってるとも言えるけど」


 俺の頭に、長谷の手がポンと置かれる。髪サラサラやんねえ、と呟かれながら、何度も頭を撫でられた。


「ちっとは自信持ちなよ。自分で思ってるよりも、早坂ちゃんは上手くやれてるって」

「……ありがとうございます」


 ケチャップを絡めたポテトは、気づくと長谷に食われていた。


 結局寝落ちした長谷を車に乗せ、揺り起こしながらアパートまで送った。二階建ての角部屋には、女が住んでいるとは思えないほど物が無かった。


「ほら、着きましたよ」


 唯一生活感を醸し出している乱れた布団に寝かせると、長谷は腕を部屋の隅に置かれたテーブルを指さす。


「ある……そこに……ハンカチ」

「ああ、貸してましたね」


 正直すっかり忘れていた。テーブルの上にはハンカチが折りたたんで置いてある。手に持つと、硬い感触があった。


 ハンカチを広げると、それは黒い柄の折り畳みナイフだった。


「あげる……それも」


 とんでもないことを言いだした。慌てて断ろうとしたが、長谷は首を縦に振らなかった。


「早坂ちゃんになんかあったら大変だし……前のカレシんのだから大丈夫だって」


 なにも大丈夫じゃない気がするが。


 そのまま長谷が寝てしまったのでナイフもそのまま置いて帰ったが、後日長谷から受け取るように迫られ、仕方なく受け取る羽目になった。

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