第2話【勧誘】

 田舎の地方都市での生活は、多くの場合ショッピングモールに支配されている。


 千台単位の駐車スペースを有する広大な敷地に鎮座する巨大な城は、貧乏人に金を吸い上げ尽くすために存在する。

 そこに行けば全てがある。そう摺りこまれた住民の生活圏は、またたく間にモール中心へ移り変わり、依存しなくては生きていけなくなる状態になっていく。


 俺はそのショッピングモールの一角にあるフードコートにいた。

 周りの席では走り回る子供を放置して雑談に興じる家族や、学校帰りの高校生がギャアギャアと騒ぎ立てている。


 その喧噪を気にしている暇は今の俺には無い。ただ、先ほどの電話が仕事疲れの幻覚であったことを願うばかりだった。

 そしてそんな願いは、当たり前のように現実であると突きつけられるだけで終わった。


「久しぶりだな、何年ぶりだ?」


 俺が到着してから三〇分。俺よりも頭一つ分大きい大男――平田は、剃りあげた自身の頭を撫でながら、机を挟んで向かいにどっかりと座った。


 俺は黙っていた。

 硬いソファーに座り目を合わせないように努める。ここに来るまでに何度も引き返そうと考えた。しかし、連絡先を知られている以上、八方塞がりだ。

 今は従っていた方が波風は立たない。そう判断するしかなかった。


 平田は無反応の俺を無視して、壁に並んだファストフード店を眺めている。


「こういうところにある飯屋ってのは、どうしてこう代わり映えがしないんだろうな」


 そう吐き捨てながら、腹が減ったと言ってハンバーガーチェーンの前に歩いて行った。


 俺は動かず、ただ待った。


 地方都市の住民はショッピングモールが好きだ。というより、ここにしか文明的な生活を享受できるところがない。他に遊ぶ場所などパチンコ屋くらいしか無いので、自然と選択肢が豊富なモールに集まっていく。


 その法則は、以前の俺ににとっても例外ではなかった。


 地元で工業高校に通っていた俺は、部活終わりに友人との遊び場によくショッピングモールを利用していた。

 そこで声をかけてきたのが、別の高校でグループを作っていた平田だった。その良く回る口は、校内外で信頼を高めるのに上手く機能しており、友人の中にもこの男を知っている者がいたくらいだ。

 俺はあまり信用できないと頭の片隅で考えていたが、敬遠する材料もなかったので、友人につき合って相手をしていた。


 それが間違いだったと後悔するのは後になってからだ。


「不味い。本当に不味い」


 平田はこの場所に呼びつけた理由を話さず、ハンバーガーを頬張りながら世間話を続けるばかりだった。それも、俺が一刻も忘れたい思い出話ばかり。聞き続けるのは堪えがたく、意を決して尋ねる。


「あの」


 ああ、声がうわずったな、と他人事のように思った。


「何の用ですか」


 それだけを告げた。平田は白々しく、そうだった忘れていたと繰り返した。おどけた様子を演じる表情が気持ち悪い。背筋に緊張が走った。


「その前にお前、確か水泳部だったよな?」

「……そうですが」


 いきなり飛んできた質問に、生返事をしてしまう。

 もう何年も前の話だ。中学から初めて、高校で辞めて、それっきり。

 返事に満足したのか平田の顔は益々歪み「実は今困っててな」と切り出した。


「チームを作って事業を手掛けてるんだが、この前バイトが一人飛んじまってよ。だから、代わりを探していてな。お前の顔が浮かんだ。昔から断らない、良い奴だったお前をな」


 意気揚々と平田はこちらを指さしてくる。


「しかもお前は泳げると言いやがる。こりゃあ是が非にでも参加して貰わなきゃいけなくなった。金も家族もいない、ぴったりの人材ってやつだ」


 唯一の肉親だった母が死んだことまで知っている。何もかも筒抜けだった。胸を奥を締め付けられたような、鈍い痛みが襲った。


「それで、何をするんですか」


 なおも演説を続けようとするのを遮るように言う。本当なら、顔を合わせるのも苦痛なのだ。長話につき合う義理はない。


 平田は顔に皺を寄せながら、口許から笑みは絶やさなかった。

 まるで密談をするように、芝居がかった仕草で顔を寄せてくる。


「俺は今、ナマコを獲っている」

「……ナマコ、ですか」


 意味がわからない。この数時間、意味がわからないことが続いているが、特に理解が追いつかない。


 平田は俺の薄い反応に何故か愉快げだった。


「そうだ、海の地べたに張りついているナマコ。黒ナマコは中国人に売れば金になる。キロ六千円で買い取られることもある。それを掻っ攫う」


 平田はチームを組んで週に数回の夜中、海に潜ってナマコを獲っているらしい。その際に潜水する者と車を運転する者に別れるため、どちらもこなせる人間が好ましい。


 そこまで聞いた俺は、一つの疑問を口に出さずにはいられなかった。


「それ……密漁じゃないんですか」


 密漁は当然ながら犯罪だ。


『真冬に海へ潜って浮かんでこなかった』 『集団でアワビを獲ろうとして逮捕された』


 そんなニュースをテレビはよく流している。漁業法で許可された期間、範囲外で海産物を獲るのは禁止だと喋っていたと記憶していた。


「まあそうだな。捕まる可能性はある。だが現行犯でないとパクれないし、仮にパクられても懲役は三年以下、おおかた執行猶予だ。大体は三〇〇万払っとけば出てこれる。そんな金、ナマコ獲ってれば小銭みたいなもんだ」


 まるで優良企業の社長です、とでも言いたげな口ぶりだった。


「もちろんお前にも分け前は出す。バイトじゃ金が足りないだろ? 仲間にしてやろうって言ってるんだ」


 上から目線の物言いに、不愉快な気分が膨れ上がっていく。


「いい加減にしてください。犯罪に手を貸す気はありません」


 限界だった。いくら今の仕事に不服で金に困っていたとしても、捕まるのはごめんだ。

 席を立つ。


「もう連絡しないでく――」

「なあ、お前」


 平田はいつの間にか立ち上がっていた。怒りを滲ませた顔が、じっとこちらを見下してくる。目が死んだように濁っていた。


「何か勘違いしてねえか」


 俺の肩に、ゆっくりと平田の手が置かれる。汗が背中を伝っていくのがわかった。

 今ここで殴られたら。肩を押されて突き飛ばされ、のしかかられたら。

 そんな想像が、泡のように浮かんでは消えていく。

 身体に痛みが走る。ゆっくりと肩が握りしめられていく。


「大声出すか? そんなにボコられたいなら構わねーぞ、前みたいに仕込んでやっても」

「いや……そんなつもりは」

「やるよな?」


 痛みで肩が外れたと勘違いしそうになる。息づぎの間隔が乱れ、心臓の鼓動が加速していく。

 選択肢は初めからなかった。今更それに気づいた。


「やります。やります!」


 半ば叫ぶように言葉を吐き出す。平田の手から一刻も早く逃れたかった。


「そうか。そりゃ良かった」


 ぱっと手が離れる。バランスが取れず崩れるように座りこんだ。深く息を吸い込み、むせて咳こんだ。

 平田の口には笑みが浮かんでいたが、目は笑っていなかった。


「断られたら説得しなきゃだったぜ」


 どんな説得を試みようとしてたのかなど、考えたくもなかった。


「仲よくしようや。昔みたいに、な」


 軽く肩を叩かれ、俺の身体は反射的にビクリと震えた。

 快活に笑いながら平田は歩き去り、人ごみの中に消えていった。

 俺はしばらく動けず、荒い呼吸を繰り返す。

 しかし、限界が来た。


「う、ううううう……」


 涙が溢れてくる。何とか止めようと手を顔に当てるが、せきき止めようとすればそれだけ涙は流れ出てきた。

 弱みは見せたくなかった。昔とは違うと思わせたかった。だが俺は、ただ震えていることしかできなかった。


「くそっ!」


 衝動に任せて机を叩く。バンッ、という打撃音に周囲の客が静まり返った。視線の波に晒されて、俺は逃げるように出口に向けて駆け出した。

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