第13話
欲張りすぎた。たしかにそうなのかもしれない。
笑い声が聞こえて三奈は視線をそちらに向ける。女子高生のグループが楽しそうに観覧席の階段を降りてプールへ向かっている。そのうちの一人が、やや遅れて彼女たちを追いかけていた。不安そうな表情で。グループの中で彼女だけが馴染んでいないように見える。
その姿が、あの頃の美桜に重なった。
あれからしばらくの間、美桜は三奈のグループで静かに過ごしていた。三奈のグループは幸いにもあまり深く物事を考えないメンバーばかりだったので、誰も美桜がグループに入ることを反対はしなかった。それでも美桜は三奈たちと距離を置いていた。
ときどき会話にも参加したし、誰かがバカなことを言えば控えめに笑ったりもしていた。相手の反応を窺いながら、ずっと自分を隠したまま。そんな彼女を三奈はずっと苛立った気持ちで見ていた。
また、あの笑顔が見たかった。あの綺麗な言葉が聞きたかった。ウソのない、彼女の言葉を。だから三奈は感情を抑えることをしなかった。
腹が立てば相手に絡んでいき、ケンカを売られたら買った。周りがどんなに引こうとも、教師から目をつけられようとも構わなかった。三奈が感情のままに動けば美桜の言葉を聞くことができると気づいたから。
美桜の言葉はまっすぐに伝わってくる。彼女の言うことならどんなことでも信じられる。
美桜が怒ればそれは悪いことで、美桜が何も言わなければ彼女も自分と同じ気持ち。通じ合っていると思えた。きっと美桜だって同じだったはずだ。
彼女はいつの間にか当たり前のように三奈の隣にいて、当たり前のように三奈に笑いかけてくれていた。隣にいるのが当然のように。
それが自分にとって満足するべき関係だったのだろう。その関係が一番心地良くて幸せだったのだから。きっと三奈にはそれ以上の幸せは用意されていなかったのだ。
視線の先では、グループの一人が遅れていた少女の手を引いて輪の中に引き込んでいた。不安そうだった少女は笑みを浮かべてみんなと笑い合っている。嬉しそうに。その笑顔は自分の手を引っ張ってくれた少女に向けられていた。
あの笑顔だけで満足していれば、こんなに苦しい思いをしなくてもすんだのだろう。
屋上へ続く階段で美桜たちの会話を聞いたとき、きっとそのことに自分でも気づいていた。それでも気づかないふりをしたのは許せなかったからだ。あの場所で美桜が自分以外の誰かに、自分が聞いたこともないようなキラキラとした切ない言葉を伝えていたのが許せなかった。その言葉を自分に向けてほしかった。
だから、溢れる感情を抑える努力すらせずに言ってしまったのだ。
自分と付き合ってくれたら黙っててあげる、と。
そうすれば、また美桜の綺麗な言葉を聞けると思ったから。また彼女と通じ合うことができる。そう思ったから。
だけど彼女から伝えられた言葉はウソだった。大切な人への想いが溢れた、とても綺麗なウソだったのだ。
三奈はため息を吐いた。そしてわずかに残っていたコーラを名残惜しい気持ちで飲み干す。隣を見ると、松池はバッグにぶら下がったクラゲのキーホルダーを手にとって見つめていた。
「――それ、ここで買ったの?」
聞くと、彼女は小さく頷いた。
「ガチャでね。お互いに出たやつを交換しようって。これは、サチがくれたの」
「へえ」
そういえば、美桜と来たときは何も買わなかったなと思う。松池たちと会ってから美桜は目に見えて落ち込んでしまったから。とても買い物を楽しむ雰囲気ではなかった。
「ちゃんと恋人らしいことしてたんだ」
――わたしと違って。
しかし、松池は首を左右に振った。
「どんなに恋人らしいことをしてもずっとサチは遠いままだったから。わたしたちのは、ただの恋人ごっこだったんだと思う」
言って彼女はため息を吐いた。そして苦笑する。
「それがいつか本物になるように、頑張って仕向けてたつもりなんだけどなぁ」
その笑顔を見て三奈も笑みを浮かべる。
「松池先生ってさ、もしかして性悪?」
「え……」
松池は目を丸くする。そして真剣な表情で考え始めた。
「そうなのかな。どうなんだろう……。考えたこともなかったけど」
――ただの冗談なのに。
思いながら三奈は松池を見つめる。彼女はきっと三奈と似ているようでいて違うのだ。
その素直な反応はまるで子供のようで、しかしやはり大人だから三奈よりも分別がある。分別があるから我慢もする。自分の感情を抑え込んでしまう。そしてウソをつくのだ。普通の大人のように。
彼女は子供のような大人なのだろう。だからこそ、どこか歪んで危うい気持ちを心に抱いているのかもしれない。
「それ、いつまで付けてるつもりなの?」
聞くと彼女は微笑みながら「ずっと、かな」と答えた。
「ふうん……。あの人はもう付けてないんじゃない?」
図星だったのだろう。松池は少しだけ表情を強ばらせた。しかし「それでも」とクラゲのキーホルダーを撫でる。
「大事なモノだから」
呟くように言った彼女の顔は、儚げで綺麗だった。
「……いいな」
――わたしには、そんな大事なモノなんてないのに。
空になったペットボトルをグッと握る。それはベコッと音を立てて大きく凹んだ。三奈にあるのは、消えてなくなるものだけだ。
――わたしも欲しかったな。
美桜と、一瞬でも恋人であったという証拠が欲しかった。それがあれば、この行き場のなくなった想いを縛り付けて閉じ込めることだって出来たかもしれないのに。
「……いいな」
三奈は松池の手の平に乗るクラゲのキーホルダーを見つめながら、無意識に繰り返していた。
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