第10話

 美桜は視線を彷徨わせながら顔を俯かせると、足を抱えるようにして座り直した。その姿は、まるで怯えた小さな子供のようだ。しばらくそんな子供のような美桜を見つめていたが、彼女が動く気配はない。

 三奈は仕方なく彼女の前まで行くと「ちょっと端に寄ってよ」と声をかけた。美桜はビクリと肩を震わせて顔を上げる。


「え……?」

「寄ってくれなきゃ座れないじゃん」


 当然のように言ってやると彼女は「あ、うん」と頷き、座ったまま横に移動した。さっきまで彼女が座っていた場所に三奈は腰を下ろす。狭いスペースに並んで座った二人の距離は近かった。

 美桜は居心地悪そうに視線を壁の方に向けている。そうしながら、親指と人差し指を擦るように動かしていた。

 何か意味があるのだろうかと不思議に思ったが、別に聞くようなことでもない。三奈はため息を吐いてドアにもたれかかると天井を仰いだ。ちょうど、さっきまで美桜がそうしていたように。

 遠く聞こえてくるかけ声は外で体育の授業でも行われているのだろう。それ以外は何も聞こえない。ほんの少しだけ暑さを感じるのはドアの窓から射し込む日差しのせいだろうか。床に手の平をつけてみると、ひんやりとして気持ちが良い。

 静かで落ち着く空間だった。

 隣には話したこともないようなクラスメイトが座っている。少し手を動かせば触れてしまいそうな距離で。それなのに、こんなに落ち着いた気持ちになるのはどうしてだろう。

 スッと服が擦れる音がして視線を向けると、美桜が少しだけ体勢を変えていた。三奈に半分背中を向けている。そんなに一緒にいたくないのだろうか。そう思うと、なんだか無性に腹が立ってくる。


「サボり」


 三奈が口を開くと、美桜は面白いようにビクリと身体を震わせた。そして三奈の方を振り向く。まだ青白いその顔に表情はなかった。三奈はそんな人形のような顔を見ながら続ける。


「うちって私立だからさ、あんまりサボるとクビになるかもよ?」

「……高知さんだって」


 低い声で彼女は言う。三奈は「わたしは今、保健室にいるから」と笑った。美桜は意味がわからないといった様子で眉を寄せている。


「ウソついて出てきたの?」

「黙って出て行く奴よりマシだと思う」


 三奈が言うと、美桜は言い返すこともなく項垂れてしまった。三奈はため息を吐く。


「ま、誰もあんたが出て行ったことに気づいてなかったけど」

「――だろうね」


 どこか嘲笑を含んだような声だった。見ると、彼女は顔を上げて口元に薄く笑みを浮かべていた。そしてさっきと同じように壁に背をつけ、手足を投げ出すようにして天井を見上げる。


「誰も、わたしには興味ないから」

「そうだね」


 その通りだったので素直に肯定する。すると彼女はフフッと息を吐くようにして笑った。


 ――ちゃんと笑えるんだな。


 彼女の横顔を見ながらそんなことを思う。可愛い笑顔だった。きっと楽しいことがあったときの笑顔はもっと可愛いだろう。思えば入学してからの数ヶ月、彼女の笑顔を見たことは一度もなかった気がする。


「合宿、どうすんの? それもサボるつもり?」


 余計なお世話。三奈だったらそう思う。しかし美桜は薄く笑みを残したまま「どうしようかな」と、どこか遠い目をしながら言った。


「どこかの班に入れてもらえないかと思ったんだけど」

「無理でしょ。今更、あんたを仲間に入れるグループなんかないって」

「うん。さっき痛いほどそれがわかった。誰も考えてもくれなかったもん。ていうか、返事すらしてもらえなかった」


 彼女は遠い目のまま自嘲するような笑みを浮かべると「先生に言って、どこか適当に入れてもらおうかな」と半ば投げやりな口調で言った。


「……それでどこかの班に強制的に入れられてもさ、結局また面倒なことになるだけじゃない? あのときみたいに」


 三奈の言葉に、美桜はハッとしたような表情を浮かべた。そして力なく笑う。


「かもね」


 それでもサボろうという気はないらしい。真面目な性格なのだろう。見た目だって悪くない。ちゃんと普通に会話もできる。それなのに、どうしてこんなにクラスで浮いてしまっているのだろう。


「――なんで上手くいかないんだろう」


 泣きそうな声で美桜は言った。その顔には笑みが残ったまま。しかし、その瞳は悲しそうに輝きを失っているように見えた。


「知らないよ、そんなこと」


 自分でわからないことが、他人にわかるはずもない。


「自分で考えなよ」


 三奈が冷たく言い放つと、美桜は「だよね」と長く息を吐き出した。


「ずっと考えてるんだけど、よくわからない」


 弱々しい声だった。体勢がキツくなったのか、彼女は床に手をついて座り直した。そのとき三奈の手にふわりと彼女の手が触れる。じわりと暑い空間の中で、その手は少しひんやりとしていた。

 三奈は反射的に手の位置を変えながら「中学の友達とか、いないわけ?」と聞いてみる。


「同じ中学の子なら他のクラスにいるけど、友達じゃないと思う。話したことないし。仲良かった子は別の学校に」

「へえ。じゃあ本気で友達いないんだ? かわいそう」


 美桜は答えない。しばらくじっと俯いていたかと思うと「かわいそう、かな」と呟いた。

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